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タイでの出会いが全ての始まり

午前4時半の目覚め

「もうダメだ……」

そうつぶやいたのは、まだ夜も明けていない真冬の午前4時半過ぎのことだった。

ひとり暮らしではあるが、広いとは言えない1DKに一年半前から住んでいる。

日差しが入らない1Fの場所は、家賃が安いからという理由で決めた。

建物は隣の家の裏に隠れて建てられており、太陽の光が届かないので一日中ジメッとしている気がする。

唯一のメリットは、新築なので人の住んでいた形跡がないことぐらい。

ここ最近まったく上げていない窓のシャッターが、部屋の暗さをさらに際立たせているようだ。

ボクの会社

それにしても、昨日から会社を休んでいるため、誰とも話をしていない。

というより、会社へ行っている時も孤立しており、会話をすることがめっきり減った。

一日の会話は朝と帰りの挨拶「おはようございます」「お先に失礼します」だけ。

今の会社は、以前の会社が倒産して吸収合併というかたちで救われ、そのまま入った同業他社になる。

吸収された側ということもあり、立場はやたらと低い。

給料はさがり、裁量権も無くなり、それでいて責任だけは負わされる典型的な中間管理職の身分。

まさにライスワークという言葉がしっくりとくる。

最近のボク

いつもだと眠っているこの時間に目が覚めてしまったのは、押しつぶされそうになっている自分に耐えられなくなったからだ。

ずっと気づいていた。自分で自分が信じられなくなっていた。

果たして、このまま自分はこの会社にいて意味があるのか、自問自答して9ヶ月が過ぎようとしていた頃だった。

取引先の中国企業担当者とはまったく話が噛み合わず、上司やまわりからはなんとかしろと責め立てられる。

基本的に楽天的な性格だったが、いつしか自分がまったく信じられなくなっていた。

朝起きるのがただただ憂鬱で、誰もいない6畳半の部屋で何も考えられない。

いわゆる思考停止。

午前5時。会社に休暇の連絡をして、僕は旅立つことにした。


何処にいく?

さて、旅立つことにしたものの、何処に行こうか?

たまには観光も兼ねて京都に行ってみようか?

……いゃいゃ、そんな気分ではない。

では、いっそのこと東京まで行ってしまうか??

……それもやはり今の気分ではない。

こんな時は、一番落ち着く場所である故郷の鳥取県に向かおう。

10年振りの高速バス

電車を乗り継ぎ、高速バス乗り場へ到着。
故郷に戻るのは何年ぶりだろう?

高速バスに乗るのも上京したとき以来なので、本当に久しぶりだ。

平日早朝便のバスは、少ないながらもボク以外に3人ほど乗車していた。

みな窓の外を眺めて、何をするでもなく座っている。

ボクはというと、みなと同様にただぼーっと座っていた。


帰省

帰省は楽しみの1つだった。

高校を卒業後に大学入学のため上京して以来、たまの帰省が都会に住んでいる心を癒やしてくれていたから。

もちろん、帰省したからといって何かのイベントがあるわけではない。

ただ、帰省するという事実が気持ちを楽にしてくれる。

友人とは会っていない期間がうそのように会話が弾む。

外は明るさが増してきた朝8時の空。

到着まで4時間弱の小旅行だ。

初めてのカフェ

いつのまにか眠っていたが、ふと目覚めると地元に到着していた。

まだ実家には連絡していないので、ひとまず駅前にあるカフェに入ってみた。

スタバやタリーズといった都会のカフェがあるわけでもなく、地方都市によくある駅前カフェといったところ。

店内はカップルが二組いるだけだ。

カフェに入って気付いたが、今日は2/14のバレンタインデーだったようだ。

バレンタインといえば、高校入学して初めてもらったのは今となっては良い思い出。

恥ずかしくてお返し出来なかったな。


着信メールあり

ふと、おもむろにメールを見てみる。

いつもと変わらない広告メールが大半の中、一通だけ懐かしい人からのメールを見つけた。

時間を見ると、昨日の夜中にあったようだ。

メールには、LINEのIDが書いてある。


メールの相手先

メールの相手先は、昔、タイで出会ったユナからだった。


大学生のボク

当時、ボクは大学生最後の思い出にと、バイトをして貯めた50万円を握りしめて旅だった。

どこにいくかは決めていない。戻るのも夏休みが終わる10月くらいには戻ろうかといった程度。

決めていたのは時計まわりにまわりたいな。

ひとまず向かったのは、中国の上海。

2泊3日かかるが、海外へ行くには破格の価格だったからというのが最大の理由。

しばらく戻ってこないので、フェリーの片道切符だった。

初海外のわりには冒険的だったかもしれない。

知らないということは強みでもある。

いま、お金と時間をもらっても、同じスタイルの旅は二度と行きたくはないが。


タイでの出会い

中国の上海に上陸後、広州→香港を電車で移動し、飛行機でタイのバンコクにやってきていた。

タイは居心地がよく、1ヶ月滞在するつもりだったため、タイの南に位置するサムイ島へ。

ホテルで夕食を食べようとしていたとき、女性が2人チェックインしてきた。

1人は日本人のようだ。

日本語だったのが嬉しくなり、声をかけてみた。

2人ともオーストラリアからバカンスにきたらしい。

彼女はタイ人の友人とこの島にやってきたようだ。

この島には1週間いるとのこと。

カフェにて

彼女は9歳下。

年齢は離れているけど、なぜか話がかみあい、当時もよく話したな。

もちろん少し好意は抱いていたけど、彼女はオーストラリアに戻るといっていたので、何も言えなかった。

LINEに連絡してみようか?

こんな昼間に出てくれるかな?と思いつつ、ひとまず連絡してみる。

……つながった。


懐かしい会話

ドキドキする。当時の記憶が蘇る。

彼女 ひさしぶりだね。

ボク 本当に。何年ぶりなのかな?

彼女 8年ぶりくらいだよね。最近、どう?

ボク 相変わらずだよ。(と、うそぶく)

彼女 いまはどこに住んでいるの?
   私はオーストラリアから日本に戻ってきたの。

ボク そうなんだ。いまは大阪市内に住んでる。
   ちょっと狭いのが難点かな。
   仕事は始めてる?

彼女 戻ってきたばかりでいま探しているところなの。
   英会話スクールで面談中だから、そこに決まりそう。

ボク それは良かった。
   それじゃ、いまはわりと予定が空いてるってこと?

彼女 そう、しばらくは大丈夫。

ボク じゃ、週末にご飯に行こうよ。

彼女 そうね。よろこんで。


……

社会復帰

その後、ぼくは大阪に戻り、翌日に退職願いをだした。

社交辞令的な引き留めは言ってもらえたが、特に強いものではなく、あっさりと了承された。

次の転職先は決まっていないけど、前を向くしかないかな。


その後

退職して、2週間後には縁あっていまの会社に決まった。

思い切ってやめて良かったなというのが今の気持ち。

そしていろいろあったけど、彼女とボクは結婚した。

ハワイで結婚式を挙げる予定だったものの、コロナ禍で行けなくなってしまったのは少し残念。

だけど、子供を授かりました。

もしあの時、地元の鳥取県に帰っていなかったら……

もしあの時、辞める決意をしていなかったら……

もしあの時、LINEに連絡をしなかったら……

さらにいうと、タイであの日あの時出会っていなかったら……

人生は選択の連続。大なり小なり決断している。

出会いに感謝。

#私を変えた旅先の出会い

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