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#59 自己肯定感の正体のはなし | 古性のちの頭の中

今月は古性のちが3本のエッセイを担当しています。来月より伊佐知美が復帰となりますので、楽しみにおまちくださいませ。(多分!)

わたしの通っていた高校は、当時システムが大変画期的な学校だった。
今ではあまり珍しくないのかもしれないけれど、ひとりに1つ、専用のノートパソコンが配られ、時間割や学校からのお知らせはそこに送られる。
授業はノートを使わずにPCで取るし、時間割も毎年、生徒自らがほしい授業を自分のものに当てはめていって、オリジナルで作成していく。

制服や規則こそあれど、生徒たちは比較的伸び伸びと過ごしていて、学校嫌いだったわたしが何とかギリギリ卒業まで頑張ることができたのは、このシステムがあったからこそだと思っている。
(まあ、学校特有の謎の決まりだとか、クラス分けだとかが嫌いなことには変わらないのだけど。ちなみに嫌いなだけで必要性はきちんと理解してるよ、大人だしね)

人間の「若い頃の成功体験」たちは、良くも悪くも後の人生に大きな爪痕を残していると思う。

例えば、わたしは中学3年間バドミントン部で、スポーツは比較的得意な方だったから練習をあまりせずとも、さらりとレギュラーとして活躍していた。
私をよく知っている知人は「嘘でしょ?」とおどろくのだけれど、当時は県大会でTOP8に入る成績を納める、スポーツ少女だったのだ。

そこから自分の中に才能を見出して「もっと上を!」と目指すことができるのが、天才と呼ばれる人たちなのだと思う。
才能こそあれど、そこから努力できないのが物ぐさなのだと私は認識しているのだけれど、完全に私の場合は後者だった。

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