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まふゆママを推したい-イミシブル・ディスコード感想

 まふゆママかわいい。
 私、こういうまふゆママみたいなキャラを見る度に「このキャラがオチたらどんな風になるんだろうなぁ!(ニチャア」って妄想してしまうクセがありまして……へへっ。


 ……失礼しました。初っ端性癖を垂れ流してしましました。

 どうやらプロセカ三周年で進級イベントが来るらしいので、それが近づいてきたら一気にイベストを読もうと思っているのでまだほとんど追えていないのですが、今回まふゆママの立ち絵が登場するということでつい見てしまいました。まふゆママすこれるなぁという感情と、一方で奏やまふゆのことを考えたときのこの苦しみが混ざった愛憎のような気持ちを吐き出すための私なりのイベントの感想です。なのでエアプ発言するかもしれませんが許してください!!(でもいくつか見てるイベストもあります)

 やっぱりツイッターとかを見ていると、まふゆママに対してヘイトを向けている人が多く、否定的な意見をよく見かけるので、その代わり私は肯定はしないけどちょっと好意的に書いてみようと思います。




 定期的に過去回想ってあると思うんですけど、改めて今回奏の幼少時代や中学時代と今の違いを見ていて、私はめちゃくちゃギャップに弱いので色々考えちゃうというか……もし奏が何事もなく家族と幸せに過ごしてまっすぐに高校生になっていたら、普通の学生生活を送って一般的な女子高生をやっていたのかな~ってやっぱ妄想しちゃいますよね。「テスト嫌だなぁ」とかいつメンと駄弁ったり、体育のマラソンで一緒に走ろうって言ってくれた友達においていかれたり、買い食いしたりしてたのかなぁって思うと”現実の奏”と”あったかもしれない奏”では似ても似つかないというか……。普通って言ったらあれですけど、普通のキャラって幼少期と成長後って違和感がないというか、この子がこうなるんだなっていうのが結びつくと思うんですけど、奏はそこが結びつきにくいというか、過去と今の奏を比べたときのこの、見た目だけ同じ別人になってしまっているという感じが見てて苦しい。

 もちろんああいう過去があって今の奏があるのでちゃんと地続きの人生だしそれはちゃんとわかっているんだけど、ただ見る側としてはこの昔と今の乖離した性格がフックのようになっていて、そこにギャップ好きの私の心が引っかかって”推せる”ってなるんですよね……!
 そういう奏の過去を考えると、やっぱ「守護らねば……」ってなる一方で、奏自身は守護られるだけでなくまふゆを筆頭にニーゴのメンバーに対して、どちらかというと守護する側という役割もあって何だかもう天国の奏ママと一緒に後方保護者面になっちゃう。

 何となく奏の生き方について考えた時に私の脳内に浮かんできた喩えみたいなものがあって、わかりにくかったら申し訳ないんですけど、

「幸せに過ごすための”人生という一本道”を歩いているところに、闇という名の岩石をひとつまみして橋が壊れて沼地に落ちてしまい、その沼地を必死にもがき、時に転んでしまって体中泥まみれになりながらも歩んでいる」

ようなそんな感じなんですよね。
(伝わるのかこの喩え……伝われ……!)

 一方でまふゆの場合は奏とは正反対で、

「一見、幸せになるためのルートに見えるその一本道は周りに何もなく、ただただ真っ白で窓もついてない高い壁に挟まれている」

って感じじゃありません? 敷かれたレールの上を走るというよりは、脱線しようとしてもそれを阻んでくる感じ。


 ただただ真っ白で窓もない壁に挟まれた通路を歩いている感じ。先を見ても後ろを振り向いても、あるいは上を見てもどこまでいっても終わりが見えない空間になっている。まさに”誰もいないセカイ”みたいな感じなんだと思う。
 ただ最近はニーゴのメンバーを筆頭に周りのみんなのおかげで、外を眺められる窓が生まれはじめていたけど……そこをまふゆママによって外からカーテンを掛けられてしまっている感じ。きっとまふゆが救われるときが来たら、今まで邪魔をしていた壁が全て吹き飛んでキレイな景色が広がってくれると思います。
 よく「世界に色がつく」みたいな喩えがありますけどまさにそういう感じで……早くまふゆのセカイにも彩りが戻って欲しいよ……!


 一方で、ぶっちゃけまふゆママの言ってることも正論ではあるんですよね。(でも正論は人を傷つけることもあるんですよ!!!!)
 半分ぷちセカのこの回みたいな感じでユニット名を根本から覆すような話になってしまいますが、そもそも25時から活動っていう時点で家によってはそりゃあ親からいろいろ言われても仕方ないよなって時間帯だし、どちらにしても1~2時間くらいしか活動できないわけだから……。

 それなら部活動みたいな感じで日中のどっかでみんなが都合の良いタイミングで活動するっていうのがやっぱり一般的という健全というか……

 と思ってたらそういう風にしてるみたいだった……!


 結局まふゆママの悪い部分って奏の言う通り、まふゆにとって勉強や医者という夢が何より大事だと思いこんでしまっているところだと思うんですよ。

 KAITOとの会話で、まふゆママは”本当にまふゆのことを思っているのか?”ってあったけど、個人的にまふゆママは本当にまふゆのことを想ってはいると思う。少なくともそこは信じたいです。でもそれはまふゆのことを想っているだけで考えてないというか、思考停止してしまって頑なに思いこんでいるんですよね。

 じゃあどうしてまふゆママはこんな頑ななのかっていうと、やっぱりまふゆのことは本当に想っている一方で、まふゆママ自身にコンプレックスがあってそれをまふゆに投影してしまっているからだと思います。

 こういうタイプの人間って、自身のコンプレックスに起因して”何か自分が抱えているコンプレックスを子どもに押し付けている”っていうのありがちなので……ほんとにそうかはわからないけれど……!

 それでママはある意味まふゆのことを自分と同一の存在のように感じており、まふゆのことは自分が一番よくわかってるって思い込んでいるからこうなってしまっているんだと思うんです。それに対し、まふゆはママのことを盲信している部分があるからこそ今の状況が産まれてしまっている。

 ただ、私がまふゆママを好きと言えるのは、まるで子どもみたいに頑固だけど、立ち振舞いがちゃんと大人なところです。
 こういうキャラってヒステリックになりがちだけど、まふゆママは残念に思いつつもそれを激しくぶつけないというか、奏との話し合いで色々言われてもムキにならずに保護者らしい態度を崩さなかった。
(過去イベにまふゆママのそういうシーンあったらすみません……!)

 やっぱり飽くまで、まふゆが絡むことだけバグってて他はとても大人で、そのギャップが怖いし、まふゆのことを考えると許せないんですけどそれはそれとしてすこれるわぁってなりました。

 そんなまふゆママって凄いラスボス感あるというか、得体のしれなさがあって理解ができなくて、やっぱり怖いとか嫌いって思う人が多いと思うんです。特に、他人事とは思えないというような経験をしている方なんかは本当にきついって感じる人もいると思います。実際ツイッターでそういうツイートもちらほら見かけました。私自身も思い当たる節がないわけではないですがマシな方で拒否反応がでるほどではないので、まふゆママのことも「こういうキャラなんだな」と受け入れることができてるんだと思います。

 プロセカのストーリーって結構現実的な闇というか問題を扱っているので刺さるときはホント刺さりますよね……。


 けれどまふゆママのその根本にあるものは何かって考えてみると、やっぱりコンプレックスがあるんかな〜って。
 そう考えると何だかまふゆママも人間臭く感じてきて微笑ましく思ってしまうんですよね……!

 まぁ全部考察というより妄想なので、ほんとにそんな感じかはわからないですけど!!



 個人的な考察もとい妄想としては、3周年の折にまふゆママのことを懐柔できるんじゃないかな~って思ったりしてます。まふゆには早く救われてほしいけど、救われてしまったらニーゴの物語に一区切りついてしまうので、メタ読みでまだその時が来るには早いよな〜って。とすると、その代わりにママを懐柔することになるんじゃないかなって思います。
 ハーフアニバーサリー直前のこのタイミングで立ち絵を出したっていうのも、ここから3周年までで大きく話が動く前触れにも感じますし……!

 個人的にいつかまふゆママが奏にオトされて、まふゆのことも救うことができたら、ぜひ母娘で奏にべったりして欲しいですね……!
 奏が朝比奈家に呼ばれたりして三人でお茶しながら、ソファに座ってまふゆとまふゆママに挟まれて気まずそうにお茶を啜っててほしいです!!!(だいぶ強火の妄想)

 そして対面にはえななんと瑞希が座っていて、奏が助けを求めるんだけど、二人は面白そうだからってそのまま放置……みたいな!

 なんなら親子喧嘩もできるような関係になったまふゆとまふゆママによる奏の取り合いが始まって、二人のバチギスでもみくちゃにされてる奏とか……絶対ありえないけどみてみたいです!

 誰か、ファンアートを……描いて……くだ…さい……………

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