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近況報告 上京待ったなし!

こんばんは。

最近、日々に忙殺されながらも、こんな時間に少し時間ができたので、更新を試みることに。

何となく昨年の夏頃、ピンク映画の準備をしている頃から
「あぁこれは、一度都内に出て、色々経験しないとダメだな」と感じ、重い腰をあげ、遂に上京を決意。実は、交際している恋人からは一昨年から上京の話をされていたのだが、一年越しにようやく決意した。

思えば、大学に入学したのが19の頃。卒業したのが23の頃。1年空いて、研究室に職員として戻ってきて現在26歳。実に6年間通わせてもらった。

入学した頃は、大森一樹の薫陶を受け、職員になった年に亡くなり、今年映像学科の新学科長として田中光敏のもとで仕事をしている。この数年間で、先生方の顔ぶりも変わっており、年齢による変化も大きく感じる今日この頃。あと数年もすれば、ガラッと映像学科全体が変貌を遂げ、私の知る大阪芸大の姿は、良くも悪くもなくなってしまうんだろうな、と一抹の寂しさを感じる。

大学を卒業して、1年間フリーランスで奈良で生きて、限界が訪れたタイミングで職員の打診があり、今に至るわけだが、やはり何十年と映画の世界で生きてきた先輩方の言葉というのは、学生時代には伝わらなかったものの、卒業してこそわかるものだなと改めて感じる。

きっと、この3月から上京して以降、より身に染みて感じるのだろう。

私は大阪芸術大学の門戸を叩いてよかったなと改めて思う。きっと他の映画を学べる大学だと、在学中になかなかピンク映画を撮影する機会は許されなかっただろうし、そもそもここまで先生方と飲みの場でよくしていただけることもなかっただろう。職員として戻ってきたのも、もし戻ってなかったら、いまだにピンク映画デビューには恵まれていなかったかもしれない。生活のある一定の担保がある中で、どっしりと色んな企画を考えられたし、相談できる対象も多かった。

6年間、長めにいさせてもらったが、本当に感謝でいっぱいだ。

今、まるで最後の集大成かのように産学協同映画という4年に1回のプロジェクトに当たらせてもらっている。学生時代にも関わったものだが、それの4年ぶり2度目の参加である。学科長が交代になって、大きくこのプロジェクトも内容が変化しているが、驚きなのは、助監督が私一人であるということ。私はチーフはおろか、セカンドも経験のない人間なので、心労やまぬ現状なのだけれど、この企画は、あくまで主人公は映像学科の学生であるからして、どんどん学生に仕事をなすりつけて、成長していってもらおうという気持ちで参加している。

昨年の暮れに、すでに撮影を済ませたものもあるのだが、そちらは学生時代からの先輩がチーフ、応援で東映の方がいらっしゃったりと、心強かったのだが、私はOPフェスと被っていた事もあり、ちょこっとの参戦。

この2月にクランクインするのは、がっつり全日参加となる。
世話になってる方が監督する事もあり、エンジンかけていかねばなと感じている次第である。

今現在、次なる作品への絶賛改稿中という事もあり、また別の企画も遂に始まってきているという事もあり、大忙しの日々なのだが、とにかく東京へ引っ越すまでの残り1ヶ月と少し、体調に気をつけながら、立つ鳥跡を濁さずの精神で、頑張ろうと思う。

最近、忙殺されすぎて彼女への連絡が疎かになっているのが気がかりだが、同棲にあたって、親御さんにも挨拶に行かねばならぬし、何より今の家の退去作業に引っ越し作業、あぁ憂鬱、嫌ですね、大変ですね。

アディオス。


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