国民を守るとは
前回の記事「岸壁の母」・・・あまりにも昔のことゆえ、おそらく皆様には関心を示していただけないであろう、と覚悟致して居りましたのに、寧ろいつもより多くの読者様がメールでコメントをお寄せ下さり、感動致しました。
我々が次の世代の語り部にならなければ、との決意を新たに致しました。
いただきましたメールへの私の返信から、以下に2つ抜粋させていただきます。
①「コメント有難うございます。
拝読し、圧倒されました。
私は上野が大好きで、下谷神社様によく参詣致しますが、上野を選挙区にして居られた深谷隆司元通産大臣は10歳の時 満州から引揚げ、暫く上野の地下道で御一家で暮らされたそうです。
なけなしの財産であった荷物を奪われない様、リュックを抱きしめながら雑魚寝した上野の地下道での日々。
その時、親を亡くした子供たちの生きざまをすぐそばで見て居られましたので、よくお話し下さいます。
私はいつも、宮城まり子さんの『ガード下の靴磨き』の歌を思い出します。
♪なんで この世の幸せは
ああ みんな そっぽを向くんだろう♪
(私は、患者様がどうしてもどうしても具合が悪くなっていく時、泣いていると、この曲が心に響き渡ります。)
私たちが次の世代の語り部にならなければ・・・との決意を新たに致しました。」
②「胸が熱くなるコメント、有難うございます。
拝読しながら、『異国の丘』が脳裡にこだましました。
シベリア抑留のさなか、抑留兵 吉田正青年の自作の歌が絶望しそうになる仲間を励まし、生きる力を与えた。
その歌は、やがて帰国を果たした復員兵たちが歌い広め、戦後の焼け野原で絶望しそうになる国民を励まし、生きる希望を与えた。
それが『異国の丘』です。
吉田正氏はその後、昭和を代表する大作曲家となり多くの名曲を世に出しましたが、私は『異国の丘』は桁違いだと感じます。
『異国の丘』は 天がこの国の国民に下さったものだ、と信じてやみません。」
私に最も影響を与えたドラマ「奇皇后」。
舞台は、元帝国とその支配下の高麗。
「奇皇后」の中では
「国の力が弱かったために、民を守れなかった」
「国から見捨てられた、国に守ってもらえなかった、自分で自分を守るしかない寄る辺なき命」
という言葉が繰り返し発せられ、胸をえぐります。
「国力が無かったら、民を守れない」
と私は思い知らされました。
・・・身命を賭して国民を守れる政治家に、私はなりたい。
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