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『灰羽連盟』~罪と赦しの物語~

深夜アニメブームの火付け役として『涼宮ハルヒの憂鬱(2006)』の功績が大きいのは言うまでもありません。深夜という誰も見ていないような時間帯で、京都アニメーションが「本気」のアニメを放送したことで、2000年代後半の深夜アニメ界におけるアニメーションクオリティは格段に上がりました。

一方、2000年代前半の深夜アニメはクオリティが劣るのか。作画技術面だけで考えると、確かに劣るのかもしれません。しかし、アニメの良さを測る尺は作画だけではないのです。『ガンスリンガーガール(2003)』や『かみちゅ(2005)』といった、シナリオや世界観が現在でも評価されているような名作もあります。

今回は、そんな『涼宮ハルヒの憂鬱』の放送以前である2002年秋に放送された知る人ぞ知る不朽の名作『灰羽連盟』をご紹介します。

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もしかすると『灰羽連盟』を知っているだけで、通なアニメファンを気取れる...そんな作品なのかもしれません。かくいう私も、放送当時は10歳でしたので、当然リアルタイムでは見ていませんが。

このアニメ、決して昨今の作品のように作画が華やかなわけではないと思うのです。ぼーっと見ていると少々退屈に思えてしまうかもしれません。

しかし、シナリオ面でしっかり奥行きのあるアニメであり、小説を読んでいるかのような感覚に陥るのです。そして何より、テーマ性として「キリスト教」のような宗教観がある作品だと思うのです。

何故『灰羽連盟』が放送から19年経った今でもなお名作として語り継がれているのか…その魅力に迫ってみたいと思います。


この作品は、ある日突然繭から生まれてくる「灰羽」と呼ばれる者たちの物語です。

壁に囲まれたグリの街にあるオールドホーム(灰羽たちが住んでいる古びた建物)で、ある日灰羽として生まれた少女は「ラッカ」と名付けられます。

「灰羽」の名前は、繭の中で見た夢を元に付けられるのです。ラッカの場合は、天から落ちてくる夢をみたから「落下(ラッカ)」

ラッカの視点で物語が展開していくのですが、その中でも「レキ」という少女との関係がキーポイントになります。

レキはラッカが生まれる7年前に「灰羽」として生を受けた少女で、みんなに優しい姉貴分といったところでしょうか。面倒見の良い性格のレキは、生まれたばかりのラッカにも親身になって世話を焼きます。

レキの名前の由来は、生まれてくる時に小石が敷き詰められた道を歩いている夢を見たことから「礫(レキ)」

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名前の由来で推察できることですが、彼女たちが見る夢は「前世の記憶」なのでしょう。轢死の「レキ」、飛降りの「ラッカ」といったように。

そして、本作のテーマとして外せないのは、罪からの救済でしょう。

罪を知るものに罪はない。では汝に問う。汝は罪人なりや。

これは灰羽連盟(灰羽の生活を支援する組織)の長である話師の言葉ですが、意味合いとしては

「自身の罪を認める者は、罪人ではない。でも、それは同時に自分が罪を犯したことを認めることになる。」

という「罪」から逃れられない状態を示しています。

話師の言葉どおり、この物語においてラッカとレキはこの「罪」の檻に囚われていきます。

繭の中で見た夢を思い出せない灰羽は「罪憑き」と呼ばれ、羽の一部が黒く変色します。「罪憑き」の灰羽は、罪悪感に押し潰されそうになり、その罪の意識が羽に現れるのです。

ラッカとレキの「罪」とは一体何なのでしょう。

恐らくそれは、前世の記憶が意味するところの「自殺」だと推察されます。繭の中で見た夢...それ自体が罪の象徴なのです。その夢を思い出すことで、己の罪を知り、それを認めることになります。
それは彼女たちにとって苦難と呼べるものです。他の灰羽たちと自分を比べたときに、より深く己の罪に囚われていきます。
「私はここにいたらいけないんだ...」と。


そんな「罪憑き」が「罪」から解脱するのに必要なもの、それが「赦し」です。

己の罪を認めるだけでは罪から逃れることはできないが、そこに他者が「赦し」を与えることで初めて「罪」の檻から抜け出すことができるというわけです。

罪を抱えた自分が「赦し」を求めることは、許されないのではないか…そんな葛藤を払拭し、誰かに救いを求めることを優しく肯定してくれる...そんな暖かいテーマ性があるのも『灰羽連盟』の魅力の一つでしょう。


「グリの街を囲む壁」「巣立ち」「ドーガ(壁の外に生きる者)」...『灰羽連盟』は本質となるテーマ以外にも、世界観に多くの謎を残した作品です。だからこそ、古来からアニメファンに度々考察され、そして愛されてきたのかもしれません。




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