「天気の子」 掃晴娘と人身御供譚考
すでに何度もノートを書いておりますが、現在全国の映画館で新海誠監督最新作「天気の子」が公開中です。本作では、祈ることで天気を100%晴れにできる晴れ女の力を持つヒロイン「天野陽菜」が登場し、ヒロインの能力を中心として物語が展開していきます。
新海誠監督といえば、「言の葉の庭」で万葉集を、「君の名は。」でとりかへばや物語を引用したように、日本古来の物語や和歌を着想の元にしていることで有名ですが、今回の「天気の子」についても、そういった民俗学的な由来が隠れています。
今回はその民俗学的な由来について少し考察したいと思います。ネタバレがありますので、未見の方はご注意ください。
1 天野陽菜の力はどのように描写されている?
前述のとおり、ヒロインである天野陽菜は「祈ることで必ず晴れにすることができる」という「100%の晴れ女」の力の持ち主。
最初こそその力を大したものではないと考えていた陽菜ですが、「晴れ女ビジネス」を始め、たくさんの人の笑顔に触れることで、その力が彼女にとっての生きる意味に変わっていきました。学校にも行かずバイトばかりで、そのバイトすらクビになってしまった彼女にとって、晴れ女であることは社会とのつながりを保つ唯一かけがえのないものだったのでしょう。
しかし、その後に会う夏美さんとの会話から、陽菜の正体がおそらく「天気の巫女」であること、「天気の巫女には悲しい運命(≒人柱として消えてしまうこと)がある」という事実を知らされます。本来人の手に負えない存在である天の気分と地上の人間との間を橋渡しし、狂った天気を整える役割を担うのが天気の巫女であり、おそらく陽菜はその一人であると告げられるのです。
実は陽菜さんの身体は、力を使えば使うほど透明になっていき、この時点で腕を隠さなければならないほど透けていました。彼女の身体は徐々に消えていき、15歳の誕生日を迎えたその瞬間、彼女はこちら側の世界から消失し、彼岸として描写される雲の上の世界に現れるのです。
2 「てるてる坊主」と「掃晴娘」伝説
晴天祈願にまつわる物語は古くから存在しますが、おそらく天気の子の大元になっているのは、「てるてる坊主」の起源といわれる中国の「掃晴娘」伝説でしょう。
これは中国各地に伝わる民間伝承です。民俗学者である畑中章宏氏も「好書好日:映画「天気の子」、民俗学で読み解いてみると……民俗学者・畑中章宏さんに聞く( https://book.asahi.com/article/12624465)」の中で、掃晴娘伝承と天気の子の関係について語っています。この物語は以下のような物語です。
「昔ある村に、美しい娘(晴娘)がいた。村では長く雨続きであったため、村の人々が晴天を祈願したところ、龍神が現れ、『晴娘を生贄(后の場合もあり)として捧げるなら雨を止めよう』といった。晴娘がそれを承諾すると、天は瞬く間に晴れ渡り、晴娘の姿はどこにもみえなくなった」
また、北京では以下のような形で伝わっています。
「北京に切り紙の得意な晴娘(せいじょう)という美しい娘がいた。ある年の6月北京に大雨が降り水害となった。北京の人びとはこぞって天に向かい、空が晴れるようにお祈りをした。「晴娘が東海龍王(とうかいりゅうおう)の妃になるなら雨をやませる」という天の声がした。晴娘が言う通りにすると雨は止み、晴娘は消えた。それ以来北京の人は雨が続くと、晴娘をしのんで切り紙で作った人形を門にかけるようになった。」
実際に、北京等では6月の雨季に入るとこの掃晴娘を象徴する切り紙を軒先に吊るす風習が今でも残っているそうです。この風習が日本に伝わり、同じく軒先に「てるてる坊主」を吊るす風習に変化しました。なぜ「娘」が「坊主≒少年」に変化したかは諸説あり、よくわかっていないようです。
てるてる坊主は「天気の子」でも印象的に描かれます。天野家にはたくさんのてるてる坊主が飾られていますし、晴れ女ビジネスを開始する際に陽菜さんに渡す傘に吊るしたてるてる坊主や凪に着させた仮装は印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
さて、掃晴娘は龍神に捧げられる生贄の物語です。一般に、龍神といえば川や雨を象徴する存在です。近代の創作では「千と千尋の神隠し」にでてくるハクが実は「琥珀川」という川の龍神であったように、龍は水を象徴する存在であり、その存在を生贄によって静める物語は、実は世界各地に存在するのです。
掃晴娘の伝承を紐解くと、「天気の巫女」と数多くの共通点があることがわかります。「雨続きの村」は「雨続きの東京」、「人々の願い」は「人々の切なる願い、にんげんの願い」、「生贄、后」は「人柱」と対比できます。晴れをもたらした天気の巫女が最後には消えてしまうことも同じです。
こうした掃晴娘のような物語は「人身御供譚」といわれます。有名なものでは素戔嗚尊によるヤマタノオロチ退治や、アブラハムとイサクの物語などがあり、世界各地に存在する物語形態です。人身御供譚の性質については「人身御供譚の構造」という本の中でこう述べられています。
「人身御供譚とは、過去に悪い存在(龍、蛇)に対して生贄や人柱を捧げていたという辛い過去が存在したが、英雄が現れてこの悪い存在を成敗し、あるいは神が改心して人間を捧げる必要がなくなった、という共同体の歴史を再認識させることで、共同体の秩序を更新するもの」。つまり、「かつては共同体の中から犠牲を出さなければならなかった」という暴力的で残酷な過去を「再認識」し、「今ではその必要はないが、代わりとなる祭祀を継続しなければならない」と、残酷な過去を「否認」することで、共同体が暴力に支配されないようにする物語です。
そう、人身御供譚とは「物語」なのです。共同体とは「自分たちが生地や言語、歴史や祖先といった共通点を持つ同胞である」と信じることで成立するものであり、この場合は、共同体が「人身御供譚」の歴史≒物語を共有する同胞であると信じることで成立するのです。
3 なぜ「天気の子」では人柱が必要だったのか。
もちろん作劇の都合といえばそれまでなのですが、実は作品の各要素を拾っていくと、「天気の子」の東京はそもそも「人柱」を捧げ続けなければあの晴れが続き、河川が氾濫せず、海に沈まない正常な状態を継続できない世界であるということがわかってきます。
まず作中の発言では、気象神社の神主の「天気とは天の気分、正常も異常も図れん」という言葉。そして立花冨美さんの「東京のあの辺りはもともとは海だった。それを天気と人が、少しずつ変えてきた」など、そもそもが海に沈んでいる方がむしろ正常なのではないか、どちらが正常かは判断できないのではないか――という趣旨の言葉がでてきます。
次いで、彼岸の世界に出てくる三体の龍です。先ほども言ったように龍は河川や雨、海等を象徴する存在ですが、「天気の子」では何を象徴しているのでしょうか。実は、三体というのが重要なヒントだと思います。3という数字は、東京湾に流れ込む主要河川(江戸川(利根川)、荒川、多摩川)の数と一緒だからです。つまりあの龍は、長らく東京を湿地帯にしてきた三つの河川の象徴だった可能性が高いのです。
富美さんのいうように、東京の大部分は海か、あるいは湿地でした。というのも江戸川は江戸以前まで利根川水系の水の殆どを東京湾に流れ込ませており、今とは比較にならないほど膨大な水量が流れ込んでいたのです。徳川家の人は、現在の利根川から霞ケ浦を経由し太平洋へ直接流れ出るように水流を付け替える大工事を行いました。いわゆる利根川東遷事業ですが、この事業により大部分が灌漑され、農地や居住地として活用できるようになったのです(http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/edogawa00222.html)。
また、荒川も暴れ川として有名でした。現在の隅田川の流路を流れていた荒川は水流が極めて速く、大雨の際はよく海抜0メートル地帯に氾濫を引き起こしていたそうです。ここに1910年の関東大水害によって大きな被害が発生した結果、荒川に岩淵水門を設置し、隅田川に流れ込んでいた水流の大部分を現荒川に流すという一大遷移事業が行われます。しかしこの工事も、関東大震災や台風等によって困難を極め、完成まで17年の歳月が必要でした。
このように江戸-東京は治水によって拓かれた都市でした。そして治水を行うためには、何よりも天候が重要な要素だったのです。だからこそ、天候を治める龍神をまずは鎮めなければならなかった。「人身御供譚考」によれば、人柱とは、川に橋を架け、川を遷移させるといった神の領域を冒す際にのみ行われるものであるそうです。過去に江戸を拓いた人々は、神の領域を冒さなければ開拓できないことを認識して天気の巫女≒人柱を捧げてきたのだと思います。
東京に大量の人柱が用いられてきたことは、作中でも「月刊 ムー」の記事の中にちらりとでてきました。そのことからも、あの世界の東京の平常な天気や治水事業が、実は人柱によって支えられてきたことは間違いないでしょう。
また、先ほど人身御供譚は物語であると述べましたが、「天気の子」の中ではこうした物語や、物語を祭祀の形で伝承する神社の姿が存在しません。
このことは、廃ビル屋上の神社の寂びれた様子からもみてとれます。前作「君の名は。」の宮水神社とは対照的に、この神社は人によって祭祀されている形跡がありませんし、宮水神社で伝承されていたような組み紐作りや神楽舞、口噛み酒といった祭祀が一切存在しません。「君の名は。」でこれらの要素が結果的に糸守町の住民を救ったのとは対照的に、この神社は祭祀や物語を伝える役割を持たず、「彼岸への入り口」以外の役割をもっていないのです。
気象神社も天気の巫女を祀ってはいますが、天の気分を鎮める祭祀は持たず、ただ「天気の巫女が天と人の橋渡しをする」、という、一種のシャーマニズムに近い物語しか語りません。この点からも、本来は神を祀り鎮める「祭祀」やそれにまつわる物語が消失しており、荒ぶる神(荒御霊)と人が直接対峙しなければならないという事実を示唆しています。
つまり天気の子で描かれる平常な東京とは、社会や共同体の維持のために「人が雨と河川を司る龍神に生贄を捧げ」、「人の心を天≒龍神に伝えなければ」保たれない世界なのです。
そんな世界を、帆高は人柱となった陽菜を奪い取ることで破壊します。
その先に訪れる世界は、まだ新たな秩序が形作られていないように見えますが、少なくとも東京は「人柱によって存続する都市」という残酷な世界ではなくなりました。
しかし、この世界は、人身御供譚の物語構造から考えればまだ”途中”であると考えることができます。
英雄の登場によって生贄という残酷な過去が否定され、そこから代替行為としての祭祀が行われることで新たな秩序が生まれ、共同体を存続させていくのが人身御供譚。
ゆえに、物語の構造に従えば、天気の巫女に代わる捧げもの(古来の伝統に従えば、神饌や御神酒、獣、米、作物といったもの)を捧げる祭祀を行い、神を鎮めなければなりません。そしてその祭祀が、共同体をまとめる物語として機能するようになるのです。
生贄を否定し、いったんは調和を失った「天気の子」の世界。この先においてどのような調和がもたらされるかはわかりません。しかし、世界の秘密を知る帆高と陽菜が、やがて新たな調和を見つけていくのでしょう。
彼らの物語は、まだまだ途中なのです。
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