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春分の日(2022年3月21日)のホロスコープを見ながらダラダラと綴る。

こんにちは。イルマーヤです。
今回は2022年の春分の日のホロスコープを見ながら、
思いつくことを書いていこうかと思います。

占星術を学び、
春分の日が「宇宙元旦」と呼ばれていることを知りました。
なんか、すごい表現ですよね。
「宇宙元旦」。
宇宙規模でおめでたい。
「あけましておめでとうございます」というのかな…
太陽が魚座から、牡羊座に入った時が、「春分」です。
また1番目のサインである牡羊座からスタートしていくのです。

日本の習慣だと、3月に卒業、4月に入学、
新生活というパターンですよね。

社会の流れにも、その時の太陽の位置での影響はあるとすると
4月からスタート、というのは牡羊座の始まりのエネルギーをより大きく、
そして、有効活用できそうな感じがします。

春分の季節で種まきをし、
夏至まで成長していきます。
秋分で収穫時期を迎え、
冬至で最終仕上げ、
春分までに土壌を整える、という流れをぐるぐるとしていきます。

春分は種まき。
どんな種まきの時期になるのでしょう。

そうそう、春分の日のホロスコープはそこから1年間の社会の流れを読むのに
よく使われるのです。

占星術の基本的な考え方は
大きいものは小さいものを表すし、
小さいものは大きいものを表す…
フラクタルとかなんとかなんですって。

だから、宇宙で起きている流れは
社会を反映していて
個人の心も反映している、ということで、
宇宙をホロスコープに落とし込んで、よんでいくんですね。


春分の時期の印象は、理想高く、情熱もありそうな雰囲気です。
大きな理想を掲げるようなメッセージがあちこちで
聞こえてきそうです。
その理想は、まだふんわりしていてはっきりとした道筋ができていないから
どことなく不安感もあるかもしれません。
その「聞こえが良い」理想に対して、自分の気持ちや経験からの判断を迫られることが
ありそうです。
牡牛座の天王星は、数年前から
「豊かさとは何か?」を社会にも、個人にも問いかけ続けています。
そこに向き合ってきた経験が、進んでいく道への自信に繋がりそうです。

18日の満月では、心や住まいの整理整頓をしたくなる感じだった
乙女座のエネルギーの月は、
この日には天秤座へ移動しています。
天秤座は、乙女座とは違うエネルギーで「整えて」いこうとします。
整然と綺麗に整える、というよりは
お気に入りのものを揃えて居心地の良い雰囲気を作っていく感じです。

お気に入りのカップで、お気に入りのコーヒーとかお茶を入れて
居心地の良いお部屋で
「さあ、何しよう」と作戦会議するイメージです。
肩の力は抜いて、どんな未来を味わいたいか、に思いを馳せます。
何か不安な気持ちが湧いてきたら、
自分にとっての幸せってなんだろうと、
「今の自分」に聞いてみます。
「誰か」や「社会」ではなく、「昔の自分」でもなく
「今の自分」。


星の動きは、「予言」ではないので、
「こういうことが起こる」というところを見るのではありません。
(そう捉えてみる人もいますけど。。。)

こういう風な問いかけがくるかもしれない、というお知らせというか。
自分自身で考えるきっかけを作っていくもの、というか。
未来を作っていくのはあくまで自分です。

どうしたらいいのか教えてくれるのではなく、
テーマをくれる感じです。
どんなことをテーマに考えたり、気付きを得たら次に進めるのか。
ヒントを与えてくれる感じです。

それから、
自分を信じる、自分を愛する気付きも与えてくれます。



前向きなイメージを大事にします。

わたしは楽しいイメージを先に作っておくと、
楽しいことができる、ということに
「占い」を使うことが好きです。
なので、こういう記事を書くときには前向きなイメージを
たくさん散りばめることを心がけています!(笑)

子どもに水の入ったコップを運んでもらうときに、
「乱暴に歩くと、こぼすよ!」と声をかけると
こぼすイメージが出来上がり、こぼしやすくなるから
「そっと歩いてね。」というと、こぼしにくい、というのと同じです。
(同じかな?)

この春分の時期は、お別れと出会いの季節でもありますね。

別れることになって、はじめてその人の、大切なところが見えてくる、
という経験ありませんか?
もっと感謝の気持ちを伝えておけばよかった、
もっと話しておけばよかった。とか。
でも、その人がまだこの世にいるのなら、伝えるチャンスはあるので、
お手紙を書いたり、メールやラインで伝えるのも大事なのかな、と
娘の先生にお手紙を書きながら思ったのでした。

どんな出会いでも、
自分にとって大事な出会いであることを忘れないようにしていきたい。


春分の日は、実父の命日です。
もっと、伝えたいことがあったような気がするけど
じっくり話し合うという関係ではなかったな、とか
思ったりします。
最近、顔のどこかに、体のどこかに、心のどこかに
父を見つけます。
見つけたときには、ありがとう、と伝えます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。

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