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ダウン症児の母となる

今回は私が、ダウン症児の母になった時のお話をさせていただきます。

私は仕事復帰後、今までよりみんなに引け目を感じながら働いていました。
結局自分を認められない私は、
子供が出来ても幸せにはなれていませんでした。


当時は、家に帰ると大切な娘がいる。
この子のため!理想の家族を作るため!と考え頑張っているという感じで、
お世話になっている会社にも、さほど貢献できないままの2年間を過ごし、二人目の妊娠をします。
妊娠した時は、正直ホッとしました。
これでまた休むことが出来ると思ったし、目標を達成できたと思ったからです。

一人目とは打って変わって、つわりもひどくお休みをいただくほどでしたが、みんなのやさしさで何とか妊娠期間を乗り越え、いざ出産!

出生前診断は、もしダウン症だと診断された時に下ろすという決断が出来ないという理由で、受けていませんでした。
だからと言ってダウン症児の母になる覚悟があったわけではけしてありません!

そして2017年11月11日に息子を出産!
この日は、私たち夫婦の6回目の結婚記念日でした。

一人目よりも小さく生まれた息子は、血中酸素濃度が低いという理由で出産した日の夜に大きな病院へ運ばれました。
そこで、ダウン症という診断を受けます!

検査をしてから、診断を受けるまで一か月ほどかかるのですが
その一か月は本当にしんどかったです。
毎日携帯でダウン症について調べ、ダウン症の特徴
病気について調べ続けました。
ですが、幸せそうなダウン症家族のブログをいくら見ても、
自分の家族が幸せになる想像をすることは一切出来ませんでした。

なんで子供をもう一人産もうと思ったんだろう?
娘を不幸にしてしまった!
なんで出生前診断を受けなかったんだろう!
会社になんて報告しよう!友達になんて報告しよう!
本当にひどい話ですが、息子の心配もせず、
ひたすら自分の下してきた決断を後悔していました。
私は自分がかわいそうで仕方なくて、そんな風に人から見られることが
本当に嫌で、息子を受け入れられませんでした。

そして人生終わったと思っていました。


自分の考えていることがひどいことだと思っているので、
旦那さんにも、家族にも、友達にも言えず、
夜になると眠れずにただひたすらに携帯を見ながら泣いていました。

ダウン症じゃない1%の望みを信じようとしていたので、
診断結果が先生から告げられている間は、なぜか涙も出ず、
殆んど何も頭には入らなかったです。
ただ淡々とダウン症児の病気やリスクについて説明を受けました。

ですが帰りの車の中で、涙が止まらなくなりました!
あまりに私が泣くので旦那さんは泣くこともできなかったと思います。

私は、毎日NICUに母乳を届けに行ってたのですが、
行きかえりの車の中では、息子を産んだことを後悔し、
自分はなんて不幸なんだろうと思ったし、家族も不幸にしてしまったと思いました。 
ですが、息子を抱いて母乳を飲ませたり、お風呂に入れていると 
やっぱりかわいいんです!
感情が乱高下し、自分でも気が付かないうちに涙を流していたり、
耳鳴りがしたりしていました。
私は人生ではじめて、自分の意志や努力では解決できないことに直面していました。 

次回はそんな私におこった変化のお話です。
長くなって申し訳ありませんがお付き合い下さい。
 









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