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役所で絶望した24歳

《裏切らないものを僕らずっと探して生きている だらしない自分に終点を見ている》

SixTONESの『フィギュア』を聴いたとき、腑に落ちたことがあった。今年8月、私が”私”とペアリングを作ったときのことだ。

新卒で入社した会社を辞め、フリーランスのライターになる決意をした。辞めようと思った理由は色々あったが、一言で表現するなら「許せないことが多すぎた」に尽きる。

上司の振る舞いが許せなかった。
その上司を認める会社も許せなかった。
仕事の進め方が許せなかった。
何より、それらを飲み込んで上手くやれない自分自身が一番許せなかった。

正直フリーランスになると決めた時は覚悟もなにもなく、「とにかく現状を変えたい」その一心だった。信頼している人にだけ打ち明け、次の会社との契約が決め切らないうちに退社を告げてしまった。

フリーランスになってからの最初のショックは、役所で税金関係の手続きをしているときに起きた。

当たり前だが社会保険証を会社に返納してしまったので、代わりに国民保険証を受け取る手続きをした。大金の請求書と引き換えに私が受け取ったのは、薄い紙一枚とペラッペラのフィルム。そのとき初めて、自分が失ったものの正体に気づいた。とてつもなく心細い気持ちになって、「あぁ、私ってもう誰からも守ってもらえない存在なんだな」と思った。社会という大きな海に放り出されて、ひとりで泥舟に乗っている気分だった。

「自分の身を守ってくれるのは自分しかいない」

そういう思いを強烈に抱いて、形にしないと、自分の目に見えるようにしないとダメだと思った。次の日向かったのは、ペアリングが作れる指輪ショップ。ひとりで二つの指輪を作って、右の薬指に二つとも嵌めた。

私のフリーランス生活がはじまったのは、そこからだった。全てが一変した。

今まで概念でしかなかった”ノルマ”が、生活に直結するようになった。
逆算して手を動かさないと、家賃が払えなくなると何度も思った。
天引きされていた税金の種類を覚えて、本気で家計簿をつけるようになった。

正直、無駄に高い月島の家賃を恨めしく思った。だけど、不思議とそこまで辛くはなかった。なぜなら、自分が好きなことをはっきりと自覚できるようになったからだ。

私は心から、文章を綴る仕事が好きだ。

今だに上手く書けるわけではないけど、始めた頃はより拙かった。謙遜なしに「絶対編集さんが自分で書いたほうが早いだろ」っていう出来で、変に真面目だから、こんなんで原稿料もらって申し訳ないなって毎日思った。

いつもだったらその申し訳なさで潰れてしまうんだけど、でも、今回ばかりはなんか開き直れた。文章を書くのが楽しかったから。初めて取材した記事、ほぼ赤字で返ってきたけど「内容は面白かったよ」って言ってもらえた。ほんとに嬉しくて、この道で生きていこうと思った。

自分でも「すがってでもやるしかない」って気合いを込めていたということもあるけど、それ以上に、何回も何回も希望をもらった。

こだわりが強くて神経質なところ、前の職場では「いらない」って言われてしまったものだったけど、今度は”プロ意識”という形に転換することができた。「手を抜いたら簡単に仕事なくなるな」と危機感を抱いたからこそ、自分の100%を追求したくなった。

私が一番幸運だったのは、追求したものを出せるまでの時間をもらえたこと。まぁ、実際出しているものはだめだめクオリティなんだけど(笑)。

やっていくうちに、自然と「こうなりたい」「こういうことができる人間になりたい」という思いが生まれた。自分で自分に前向きな目標を課すようになった。

それと同時に、今まで自分が目標のように感じていたものは、他人から望まれたことへの答えでしかなかったことに気がついた。

自分の意思で決めていたようで、それは”ただ流されていた”だけだった。だって、自分から「No」ってほとんど言ったことないんだもの。

それと、流されて生きていたからこそ、《裏切らないもの》を他人に求めていたなと思った。だから自分の願いを自己完結できなくて、常に人の顔色を伺っていた。寛容なようでいて、否定されたくないから否定しないだけのただの自己中だった。

どんな人と、どんな関係性に持ち込もうが、裏切られるときは裏切られる。でもそれは、必ずしも不健全な理由だけではないと思えた。一方からは”裏切り”に見えるようなバットエンディングも、もう一方からは始まりですらないのかもしれない。

心に影を落とすような辛く悲しい出来事は、己を知り、また他人の心に寄り添えるようになるための材料になる。絶望を知っているから光を光と認識することができるし、それを人に伝えることができる。

いまあるものに感謝ができて初めて、目の前にいる人をただ自分の欲求を満たす道具としてではなく、ひとりの人間として尊重できるようになる。私はそういう関わりを築いていきたいから、それが感じられないような人からは、理解してもらわなくていいし、好かれなくていい。奥底で冷えていく寂しさを感じながら「それでもいつか」という希望をもってまで、関わろうとしなくていい。

じゃあ《裏切らないもの》ってなんだろう。

そう思ったとき、自分の薬指に輝く銀色が目に入った。

あぁ、役所で絶望したあのときの私は、絶対に裏切らないものを見つけていたんだな。

《ショーウィンドウに並ぶ僕ら 代替不可であれよフィギュア あるがままで》

いつから私は他人と比べることの無意味さに気がついていて、本当の意味での寛容さに足を踏み出していたのだろうか。



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