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念写写真の封印と呪い





これは心霊マスターテープ2のメタパラ公開収録用のフィクションです。





念写写真の封印と呪い

Youtubeをはじめとしたネット動画で俄かに話題となったとある念写写真の噂。
そんな写真のありかを掴んだと言う映像監督が、生配信中にそれを手にしたことにより不幸に見舞われた姿がSNSで拡散されたことでその存在は一気に広がった。
実際、それらを目にした方も多いだろう。

そんな中で私はその配信を「生」で視聴していた。
最初こそ流行りに乗っかった行き過ぎたやらせであると思っていたが、中断された配信やその後の展開により現実であったことを突き付けられた。
それは同時に間接的ではあるが「自分も呪いの念写写真を見た」ということでもある。
幸いにも現在に至るまで私には何も起きていないが、いつ自分もあのような目に遭うのかと恐怖を感じる日々だ。

そこで自身の精神安定を図るためにもあえて逆に当該の映像を繰り返し見ることにした。
真偽は不明だが写真には封印が施されていたというし、それらがどういうものなのか分かれば身を守る術が見つかるかもしれないからだ。


まず初めに配信者である映像監督(以降N氏と呼ぶ)が社の様な場所から持ち出した写真は古めかしい紙が厳重に巻かれていた。
社に保管すること自体が封印であった可能性も否定はできないが、少なくとも持ち出してカメラの前に現れるまではN氏に異常がなかったことを考えればその包んでいた物が封印の役目を果たしていたと仮定できるとして進めていきたいと思う。

ただし部分的に切り取っているとはいえ彼の写真を間接的に見る行為にもなり得るため、未見の方はここから先は自己判断でご覧いただきたい。


まず一番外側で紙をまとめ正に封をするかのように貼られていたこちら

蚕切守4

これは今回読み取れた文字の中で最もはっきりしているにもかかわらずこれという正解に辿り着くことができなかったものである。

まず上部にある「><」の様なものは『以字点(もしくは「以」字点)』と呼ばれるものである。
お経の経題や護符の上部に書かれるもので、その由来は梵字のイの変形、水を表す、東西南北を守護する四天王を意味するなど諸説あるがいずれにせよ強い意味と力を持った文字である。
仏教用語であり日本固有のものではなく高麗の経典などにもみられる。
以下参考資料

以字点説明

その以字点に続く文字は一見すると「蚕切守」のように見える。
しかし上二文字は少し違和感がある。
一文字目の「虫」の上のにあるのは「天」とは断言しづらく、また異体字である「𧉕」とも言い切れない。
二文字目は「土に刀」であり「切る」の異体字である可能性が高いが「功」の異体字とする説もある。
ひとまず見た目通りに「蚕切守」と呼んだ場合であるが、蚕を切るお守りという様な意味になる。
日本においては養蚕が盛んな地域では蠶(かいこ)が無事に育つようにと神様に祈り、それゆえに「天から授かった虫」という文字を与えているほどだが、最終的には繭をそのまま茹でて糸を取りだすという残酷さのある工程になる。
そう糸が途切れてしまうので繭は切らないのだ。
では、切れないようにするお守り?
それもなんだかしっくりこないし、そもそも「繭」ではなく「蚕」それ自体にかかる言葉とは思えない。
次説としては「蚕」に相当する文字のバランスの悪さから、上部の文字と「虫切守」なのではないだろうか。
以字点の由来の一つに梵字があるように、以字点に挟まれるのは梵字であるケースもあるようだ。
そして「虫切守」であるならば用語として存在する。
幼児がぐずったりする際に疳の虫がおこる、虫の居所が悪いなどと言うが、昔はそれらをまさしく寄生虫や悪い虫がついたせいだと捉えていて、それらを封じるために「虫封じ」を行ったとされる。
これらは神仏様々な方法があったがその中には「虫切護符」と呼ばれるものもあった。
以下は300年の長きに渡り虫切加持根本霊場にて虫封じの儀式を行ってきた日蓮宗 壽命山昌福寺の「虫切護符」である。

画像3

虫の異体字と切るの異体字の並びは今回のものに何か通じる要素がある。

とは言え問題なのが今回は呪いを秘めていると言われる写真の封印である。
虫封じが効果を発揮するものなのであろうか?…
また最初の写真をよく見ていただくと横に文字が書かれていた名残の様なものも見える。
つまりこれ単体での護符ではなく経典なり護符の一部を切り取ったものの可能性もある。


次は取り巻いていた紙そのものの一番上にあったものである。

シール2

これは文字も判別しやすく由来もはっきりした印である。
「本師如来・剣印牛王」と呼ばれる印で、上部の模様こそ僅かに違えど以下と同じものであるのが分かると思う。

画像5

これは長野県善光寺の正月行事である御印文頂戴の際に押される善光寺如来の
三判の宝印の一つであり、他に「本師如来・宝印牛王」、「本師如来・往生牛王」がある。
本師如来とはここでは阿弥陀如来のことを指します。
この御印文頂戴により宝印を押されることで諸願が成就し極楽浄土が約束されると言われるほどご利益のあるものだそうだ。


その次に記されている文字は読み解くには判別が困難だった。

1枚目奥2

中央に天照皇大神と思しきものは確認できるがそのほかは一部の文字が拾える程度。
しかし、天照大神ではないことから伊勢神宮に関連するものの可能性が高い。


そしてその次の印も書体や崩し方もあって判別が難しい。

札 (2)

下の文字は門構えに火とも読める。
であれば「火の様」を表す「リン」と言う文字だそうだが。
朱色の文字が上書きされた紙には「旅」のような文字も見えるがこれもはっきりとはしない。


その次も詳細にはたどり着けなかった図形。

画像8

一見すると絵のようにも見えるが次のようなものも想起される。

画像9

(※参考:檀特山 小松寺)
これはいわゆる霊符と呼ばれるものだが要素はよく似ている。
ここに挙がっている「鎮宅七十二霊符」、「武帝応用五十八篆霊符」の他にも「天帝尊星八十六霊符」やキョンシーでお馴染みの道教の霊符などデザインは相当な数に上るため探せば近いものが見つかるかもしれないし、場合によっては力ある人がオリジナルに書き起こした符である可能性もなくはない。


その次には三行に渡り漢字が羅列されている。

文章三行

これは日本の史書であり神道における神典である『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に登場する『十種神宝(とくさのかんだから)』が列挙されたもの。
これら10種類の宝物は饒速日命(にぎはやひのみこと)が天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたものとされる。
それぞれ
羸都鏡、邊都鏡、八握劔
生玉、死反玉、足玉、道反玉
蛇比禮、蜂比禮、品物比禮
で読みは
おきつかがみ、へつかがみ、やつかのつるぎ
いくたま、まかるがえしのたま、たるたま、みちがえしのたま
おろちのひれ、はちのひれ、くさぐさのもののひれ
となる。
いわゆる三種の神器と同一のものであるとする説もある。
鎮魂祭の起源となった心身安鎮の儀にも用いられ、この神宝を振り鳴らしながら布瑠の言(ふるのこと)と呼ばれる言霊を唱えれば、疫病の際には死者すらも蘇るほどの力を秘めていると言われている。


そして次は少し長めに巻かれている符である。

後半文字

後半文字2

間にある面はこちらからは確認できなかったが、これらは日蓮宗のものであると推定できる。
まず一枚目は最初に挙げた以字点が見え中央に「奉祈誦陀羅尼」とあり、陀羅尼を唱え祈り奉る旨が記されている。
そして右側には「汝等」、左側に「法華名」と見える。
これらの他の一部は最初の封の時点で僅かにずれて見えていた。

擁護受

「擁護受」
これらを総合すると『妙法蓮華経陀羅尼品第二十六』の一説である「善哉善哉。汝等但能擁護受持法華名者。福不可量。」であると思われる。
『陀羅尼品(だらにほん)』は菩薩や神々が陀羅尼(梵語の呪文)を唱え行者を守護する品である。
本来なら鬼女であったものが改心した鬼子母神や十羅利女らが陀羅尼を唱えたのに対してお釈迦様が「法華経の名前を受持する者を守るだけでもその福は計り知れない」と説き褒める部分であり、ここでは転じて法華経を受け入れてる者であるので菩薩や神に守ってくださいという符であると考えられる。
また二枚目は中央に「妙法大善神」、左右には「身延山」「高座石」などが見える。
これのより山梨県の身延にある日蓮宗の寺院である妙石坊のものと推察される。
この地にある高座石は日蓮上人が初めて説法を行った場所とされる。
また妙法大善神は元は天狗であったと言われ修験者を守る存在であることからここでも力持つ者の守護を祈る符であることが窺える。


そして最後、写真に接して映っているのがこちら。

最後傾き補正

中央に「大般若経六百」横に「安寧」と読める。
これは玄奘三蔵が持ち帰ったとされる『大般若経』を翻訳し実に六百巻も存在する『大般若波羅蜜多経』の事であると推測できる。
ただ、ここでは本文等が書かれているわけではないので、大般若経を全て読み教えを体得することですべての苦厄を消し去り五穀豊穣や国家安寧を祈ることにかけて表題を添えたものなのか?



配信から読み取れたものは以上です。
知識不足で追いつかないものも多数ありますがある程度は拾いきれたかと思います。
そこで分かったこととしてはつなぎ合わされたものは統一感が薄いということ。
特定の宗派や信仰のもので固めるのではなく、多種多様な力あるものを雑多に詰め込んだ印象。
写真に巻かれていたものが封印であると仮定するのならば、そもそも「封印」を目的としたものでないものが多く結果として呪いを抑え込んだに過ぎないと考えざるを得ず、またその場合もこれらのうちのどれが効果を発揮していたのかは定かではない。
逆に言えばあらゆる神仏の力を結集したからこそ封印できていたとも言えるが。

実は一番最初にも写真に巻かれていたこれらが本当に封印だったのかには疑問を呈していた。
その時点で封印と仮定して考察を進めた理由はN氏に異変が起きたのが社から持ち出したタイミングではなく、紙片を取り除いた後だったからである。
しかし、実はここにも疑問の湧くポイントはあった。


そこで、締めとして念写写真に宿る呪いそれ自体の謎にも触れつつその疑問を解いてみたい。

配信でN氏はアシスタントの制止を無視し写真に巻かれた紙を解き始めた。
こちら側からは裏面しか見えていないが徐々に露になる写真を見つめながら一枚一枚紙を剥がしていき、最後の一枚を解いて少しの間をおいて突然苦しみだし目を抑え……
というのが問題の映像の顛末だ。
なので剥がし終えた時点でいきなり呪いが発動したという様な印象ではない。
目から血を流し苦しみ始めた光景と合わせて考えるのであれば「見る」という行為自体が呪いの発動するキーであり、巻かれていた紙片は視線を遮る役目としてのみ作用し、呪いそのものを抑止していた訳ではない可能性があるのだ。
つまり隠されていた社も紙片も力を封じ込めるという意味での封印ではなく、人の目に触れる事のないように保管するという行為そのものが封印と言えるものであったのかもしれない。
であるならば、焼却することも、有効な封印を施すこともできないほどの呪いが秘められた写真というのは一体どういうものなのであろう。

そこには此方から彼方へと誘う様な「向こう側」の存在であったり、目にすれば正気度を失ってしまう様な悍ましい怪物が写っていたのか。
しかしN氏の反応はそういった怪奇写真といえるものを見たような表情ではなかった。
どこか淡々としたまなざしで封を解いていた。
であればそこには「何」が写っていたのだろう。
例えばこれが念写実験によるものであったのならば、被験者となった超能力者やその身近な人が写っていたのかもしれない。
そこに写し出された人が持つ怨念などが呪いとして写真に残存しているなどと言うのはありえそうだ。
他にも、念写自体がその時点での「現在」を写すとは限らないことから過去や未来の画が写っていた可能性もある。
例えば「見た者が死にゆく姿」が写る予言めいた写真というものだ。
しかしこれの場合は写真一枚に対して一人ないし一度しか呪いが発揮されないという事態に陥るため、語り継がれるような呪いのアイテムと化すだろうか。
そこでふと思いついた。
もしかしたら件の写真には本来、明確な像は何も写っていないのではないだろうか。
そこには超能力者の持つ強い念・呪いだけが籠められており、その都度見た者の恐怖を煽ったり、その死に様を写し出すものであるとしたら?
能力者であるとされた女性が残したのはただの古びた印画紙であり、それを手にした者が意図せずその秘めた力に方向性を与えてしまう。
つまり今回で言えばN氏本人が「念写」をしてしまったというような……

今回の考察のきっかけは、知ることで安心ができるかもしれないと始めたものだが、結論から言えば明確に分かったことは少なく自分の安全を信じ切れるだけの証左を集めることはできなかった。
はっきりと言えることは、少なくとも今現在の私自身は精神面での不安はあれど呪いの影響を受けている様子はないということだけである。
仮説として立てた「現物に触れる」「印刷面を見る」という点は免れているので大丈夫だと信じ込むしかない状況である。


願わくば速やかにこの呪いの連鎖を断ち切るなり、有効な呪いの回避方法を発見してくれる誰かが現れてくれますように。

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