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『イシナガキクエを探しています』完結し感じ想う事

TXQ FICTIONイシナガキクエを探しています(4)』
テレビ東京とTverでの1-3話の放送に始まりTver限定の最終話、第4話公開終了から早二週間が経った。
深夜帯とは言え地上波での放送ということでフェイクドキュメンタリーとしては異例の反響だった今作、きっと既に多くの考察も公開されていようが自分なりの感想を書いて行こうと思う。

イシナガキクエとは?というのが中心ではあるが読み終わった段階で「正体判明!(バーン)」みたいなことはないので引き返すなら今の内である。



何故探していたのか

番組開始当初から何ゆえ米原さんが強い想いでイシナガキクエを探しているのかが伝わって来ず、またそれを受けTV局が特別捜索番組を組んだ動機も分からないとモヤモヤし続けていた。
4話目が配信され、原点には米原さんの悲しき過去と愛が秘められているのであろうことは朧げに理解できた。
だが、やはり「何故?」という点については解決していないように思う。
ラストカット、寄り添い写る二人の幸せそうな姿からは、それが失われた際の悲しみの強さも類推できる。
そしてそれを取り戻そうと様々な手段をとったであろうことも。
ただ、長い年月を「探す」行為に費やした理由は愛情から来るポジティブな捜索だった訳ではなさそうなのは多くの人が感じ取っているはずだ。
どちらかと言えば、後悔や懺悔の気持ちから為すべきことを為さねばならぬというネガティブな強い気持ちによる狂気溢れる追跡、張り紙やTV出演から受ける印象はそれだ。

愛する者を失った米原さんはスピリチュアルな文献を読み漁り、何らかの儀式をしたであろうことは想像に難くない。
それはいわゆる反魂の様なものだったのだろう。
しかしながら、結果としてイシナガキクエがそれによって帰って来た愛した相手を指すのかと言えば疑問に思う。
まず、探す相手は「米原某」ではない。
つまり奥さんではない。
じゃぁ単に旧姓が「イシナガ」なのでは?
でも籍を抜いたわけでもなく、蘇った末に居なくなったとして探すのであればやはり「米原」として探すのではないだろうか。
写真は遺灰と共に骨壺に入っていた。
つまり、埋葬こそ行われなかったものの(墓から持ち出した可能性はあるが)、死は周知され式や手続きまでは行ったであろう。
そのような相手を近所に張り紙をして周り「探している」と喧伝するであろうか?
幾ら近隣に多くの山林を有する名士の一族とは言えそれなりの田舎町、腫れ物か鼻つまみ者かという扱いをされるであろうが、そこまでの様子ではない。
そもそもキクエとの関係を「家族みたいなもの」と明確に伴侶と言っていない時点でやはり違うのだろう。

米原氏

では、例えば愛人のような存在か。
大手を振って探す相手としてはいかがなものとは思うが、こちらの方がまだ可能性はあるし、周囲も評価を下げこそすれ、死者を探す狂人よりは受け入れられるものであろう。
「家族みたいなもの」も内縁関係であるとか、家族に準ずるとすれば分からなくもない。
捜索に用いるための写真が一枚しか残っていないのも秘めたる関係だからこそと思えば納得も出来る。
だが、遺灰から出てきた写真に写るのがイシナガキクエであったなら、あの写真を見せれば良かったはずだ。
顔も鮮明に写っているし、発見できる可能性も格段に上がるであろう。

誰を探していたのか

これらの考えをもって「米原さんの愛情の向け手=イシナガキクエ」ではない説を推したい。
その上でイシナガキクエは誰で、どういった存在なのか考えてみるに彼女は「一人目」なのではないか。
数々の遺影と並べればその顔に「1」と振られる存在。

何をしたのか

米原さんは愛する妻を失い、なんとかして取り戻そうとした。
その手段は降霊や反魂であったと予想される。
キラフさんが訪れた廃墟内にあった書籍などはそのための物であろう。

透視霊能秘伝書

目についたものでは

霊界物語』1921年(大正10年)~
新宗教「大本」の教祖がトランス状態時に語った内容を口述筆記した物語。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)を主人公とした物語で、古事記にようものとは違う本来の形の日本神話であると称している。
このスサノオはイザナギとイザナミの間に産まれたが、言うまでもなくイザナミは「黄泉返り」の代表格である。

透視霊能秘伝書』1925年(大正14年)
「透視術は何人にも可なり」との信念のもとに透視霊力発現のテクニックを詳述した著。
透視術の概念や原理を心理学や物理学といった点から解説し、それらを用いた予言や霊力による治病法などについても書かれている。

新霊交思想の研究―新スピリチュアリズム・心霊研究・超心理学の系譜』1971年(昭和46年)
日本心霊科学協会による発刊で序章は新スピリチュアリズムの本質とし死者の霊との交信について記されている。

などがある。

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余談ではあるがTXQ FICTIONのイメージアートに写っているのはスカラベではないかと思っている。

古代エジプトでは太陽神の象徴とされるスカラベは「再生」「復活」「創造」のシンボル。
装飾品や護符の意匠にも使われミイラに供えるものとしては特に重要視されるなど、この項で取り上げる蘇生の象徴的生き物と言える。
俗称フンコロガシのあの昆虫である。
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これらの文献を始めとして様々な情報や技術を集めた米原さんは段階的にか、最終的にか実際に行動に移した。
行った儀式が一体なんであったかは分からないが、過去にXで言及した見つかった数々の写真のひとつ、女性からエクトプラズムのようなものが出ているものが核心の儀式ではなかろうか。

キエフさんが見つけた写真のナンバリングがない一枚

wikipediaのエクトプラスムに関する項に載った写真はエクトプラズムではなく寒冷紗のフェイク写真ではあるが、これらの霊媒師らが行った儀式を参考にしたのは女性の様態の類似を見れば明らか。

骨壺と遺灰があったことを考えれば、蘇らせるべき肉体は既に存在していない。
一からの再生というのがあまりに非現実的であるならば、霊魂・霊体となって存在してるであろう対象を別の肉体に降ろす、宿らせるという手法をとるのが確実性が高いと判断したかもしれない。
その手順として霊媒体質の人間を用意しその霊的エネルギー、エクトプラズムを媒介とし霊を降ろそうとした。
その結果、儀式に失敗したと予想される。
正確に言えば、何某かの事象を引き起こすことには成功したが望んだ結果とは異なっていたというべきか。
少なくとも降ろされたのは愛する者ではなかった、もしくは一部は正しくそうであったかもしれないが、変質したり混ざったりしてしまったとか。
そしてその存在は人に仇為す、とは言わないまでも放置してはおけないモノだった。

米原さんが最終的に行った反魂もしくは降霊に関する儀式は一度であったと考える。
発見された数々の悍ましい映像に映る犠牲者の数は膨大だが、それは結果による産物であり、施された処置も別の物である。
封印であったり祓いであったりと最初に行われたのとは別ベクトルのもの。
長年に渡り米原さんが探したのが儀式への適合者であったなら、探す対象はイシナガキクエという同一の対象ではあり続けないし、TV番組出演時に「見つからないのが一番良い」といった発言にはならない。

つまり本来なら一度目の失敗の後、その存在がこの世の物では無くなってくれるはずだったのが、対処を誤ったのか相手の力が強すぎたのか定期的にこの世に発現する事態になってしまったのをなんとか終息させようとしていた、というのが米原さんの55年にも及ぶ戦いの真実なのではないだろうか。

イシナガキクエとは誰なのか

そこで話が戻るのだが、失敗した一度目の儀式、その霊媒対象こそがイシナガキクエさんだったというのが自説である。
儀式以降「見つかる」のは蘇らせようとした奥さんではなく、イシナガキクエもしくはそれを軸とした何かであるから、あくまで探すのはイシナガキクエであった。
では彼女はどんな人だったのか。
米原さんが語る彼女の情報は、もしかすると奥さんとの情報が混同している可能性もあるが参考にしていくと「笑うとえくぼが出る」といった特徴など、行きずりの相手ではなさそう。
「家族みたいなもの」は構成要素に奥さんが入っているからこその表現かもしれないが縁戚を含め親族であったというのはあるかもしれない。
「会話はできない」が「しゃべれない訳ではない」「大人しい」は「二人目」以降が中途半端な降霊状態や混合具合によりコミュニケーションをとりにくい存在だったという可能性をはらんではいるが「一人目」のイシナガキクエさんが実際そうだっただけというのも当然あり得る。
ある程度身近に居て霊媒体質を持ち、意志の薄弱性であったり、何某かの障碍を抱えていて「会話を行えない」存在。
書いていて自分でも嫌になる言い方だが「何かと都合がよい存在」として儀式を行う上での巫女としてこれ以上ない相手だったとしたら。

イシナガキクエさんを「一人目」とする根拠は他にもある。
放送時につぶやいたものだが、廃墟で見つかった番号付きの写真には気になる点があった。
エクトプラズムで挙げたものと同じだが

数字間違ってるやんけ

番号が付いた物の中に同じ写真が2枚あったのだ。

1枚目と13枚目

「1」と「13」の番号が振られた写真は同じものに見える。
写真の用途からすれば当然重複はしないものである。
例えば「1」の写真を抜き別にする必要があったが、そこを埋めておくために余分に現像してあった他の写真に「1」を振っておいたというものが考えられるだろう。
そして本来裏に「1」と書いてあの束の先頭にあった写真は米原さんが取材班に渡したこの写真だったのではないか。

取材班に渡されたイシナガキクエの写真

これの仮説の上で言えば、米原さんの長きに渡る捜索活動というのは「愛する者を探す為」ではなく「自身がしでかした不始末の為」や「心の平穏の為」だったのではないだろうか。
それならばあのTV番組での発言や狂気的な必死さも頷ける。

イシナガキクエとは?といった疑問への考えはこのぐらいであろうか。
数々の写真は肩幅や顔の付き方を含め別人のものが多いように第一印象で受けたし、「処置」の映像を見れば実際別の人物であったと見るべきだが、専門家は同一の人物とした見解など、細かい疑問点は上げれば出てくるが。


オマケ1

ここからはそれらとは別の小さな疑問や、X上で見た他の方の感想について。

他の方の考察などは追い出すと切りが無い上に、こうやってアウトプットする前に見てしまうと自分の考えが歪むこともあって検索はしていません。
ただフォロワーさんには心ドキュやホラーファンも多いのでその中で目についたものの中で気になったのを一点。

キラフさんの発見した写真「26番」と米原家の仏壇にあった娘さんと思われる写真の髪型が一緒であるというもの。

これは確かに「おお」となる気づきではありました。
ただこれは当然同一の写真という訳ではなく似たような髪の分け方であっただけの可能性は十分にあり得ます。
さらに「26番」の女性が亡くなったのは1982年であり、仏壇の女性の写真がその当時の物かというと違和感がある。
現在は遺影もカラーがほとんどになったが、専門会社によると1995年ですら約半数が白黒であったとのデータがあり1982年ともなればやはり白黒の方が多い。
現像の明るさや鮮明さも含めもう少し後の写真に思える。
また、近所への取材含め米原さんは近々では家族が居ないということになっていたが、子の世代で家系が止まった訳ではないと思われる。
根拠の一つは1話冒頭のお宅にお邪魔したシーン、遠くボケてはいるがかなりの量の写真が飾られている上に、小さな子供と思われる物も確認できる。

多くの家族写真
子供の写真

もう一つの根拠は米原さんがチラシを取り出した引き出し、これは学習机であり中に入った連絡帳の様な物を含め米原さんの子世代の物にしては新しく感じる。

学習机
連絡帳の様な物

つまりある時までは孫まで同居が行われていたのではないか?
可能性としては、仏壇前列の写真で向かって右の男性が息子、左は孫だったとか。
もちろん、そうだった場合は余計に現在誰も家族が残っていないという状況に悲惨さも感じるが…
米原さんのお子さんが一人とは限らないだろうという線も考えたが、かなり早くに奥さんを亡くしたのであれば複数いる可能性はかなり下がる。

ちなみに、写真の女性が娘さんであるという前提で思考を進めた場合は、やはり奥さん=イシナガキクエの線が薄くなる。
この女性が20歳とすれば1982年当時米原さんは42歳、これだけならなんら違和感はないが1947年生まれのイシナガキクエさんが15歳の時の子となる。
既に女性の婚姻年齢が16歳からの時代であり、婚前でという可能性はゼロとは言えないがツーショット写真も含めどうにも馴染まない。

さらに、写真の女性が誰であれ、娘や孫だったとして処置の対象になることは十分に考えられる。
米原さんが背局的に次の犠牲者を選び儀式を行っていたなら非人道的な度合いが高まるが、二人目以降のイシナガキクエがどこに現れるかというのは彼自身にも分からないというのは捜索活動からも明白であり、逆に言えば極身近な親族に現れてしまう悲劇的展開もあり得るということだから。


オマケ2

稲垣乙さん宛ての留守番電話はテープが伸びてしまったのか再生速度もおかしく米原さんのものか断定はできない状態だった。
念のため送られた手紙は米原さん本人のものか筆跡から確認してみようと思う。
何のために?と問われると困るが、極一部の方ぐらいしかご存じないだろうがこの🎃は心ドキュをただ楽しんでいた所から一歩検証や考察界隈に踏み込んだきっかけがなんちゃって筆跡鑑定なのである。
だからまぁ疑うべき点は特にないが一応やった。
フェイクドキュで筆跡鑑定?なにそれ?と思ったあなた、私も何でそうなったか今一つ分かっていません。
寺内康太郎監督の『境界カメラ』という作品はTXQ FICTIONの雛型の一つとも言え、ニコ生配信を通しリアルタイムで心霊ドキュメンタリーが進行し、【検証班】と言われる一視聴者集団が寺内監督からもたらされた映像や証拠を調査し各々の考えを述べ、それを踏まえさらに寺内監督が取材を進めるというインタラクティブに物語とネット上での考察が絡み合う画期的な調査プロジェクトでした。
ご興味ある方は編集や新規映像が加わったDVDオンデマンド、長きにわたる調査のアーカイブ丸ままなどをご覧ください。(記事執筆中現在、ニコニコは色々あって閲覧できませんけどね!…)
 
さて見比べるのは米原さんお手製のチラシ。

↑チラシ ↓手紙

ペンが違うことによる微細な違いはあれど基本的には同一人物の物によると思っていい類似度である。
ご年齢もあって筆で文字を書く方の特徴が多く見られるように思う。

署名などはほぼ同じ。
点の打ち方や左下に大きく払う線は特徴的。
 
平仮名は同じ文字を書くにも安定していて再現性の高い筆運び。
漢字の崩し方も独特の省略した書き方は類似性が高い。

2通ではサンプル数として少ないが同一人物によるものとみて問題ない程に筆運びは酷似していると思われる。
あ、専門家ではないので、あくまでもふわっとしたなんちゃって鑑定です。


オマケ3

稲垣義一さんはどんな方?
突然の訪問に関わらず快く取材に応えてくれた稲垣乙さんの息子さん。
だと言うのに、つい疑ってかかる悪い見方をしてしまうせいのか何となくの怪しさが垣間見える。
最初に「お一人で住まわれてる?」の問いに歯切れの悪い「一人です」の返し。
冷蔵庫には子供のものと思われるシールや掲示物が貼っていたり、玄関にはキリン?のような置物、女性ものの傘等がある。

稲垣義一さん

それ自体はまぁ、多少は訳ありな様子だなということで済ませられる。
ただ、玄関先にある罠の箱やはかり、車庫周りにも罠に使うであろうワイヤーの数々。

はかりや罠の箱
ワイヤー

本業か副業かは分からないが狩猟を長くやっている様子がある。
きっと山にも詳しく、害獣の駆除等もやっていのであろう。
 
例えば、山林に何かを埋めたり、それらが獣の餌になり得る場合は対処したりということも可能?……


オマケ4

米原さんの死への疑問。
米原さんは自殺なのか否か。
個人的には否と思っている。
まずは自死をする理由が薄い点が一つ。
あれほどまでの執念をもってイシナガキクエを探し続けた人が病気や寿命を含めた自身の限界を除き、今諦める理由とは何か?
今回の捜索番組が終わった後にというならいくらか理解はできる。
それはイシナガキクエを探しているということを広く伝えられたことで一定の満足があったと区切りにする気持ちがあってもおかしくはないから。
しかし米原さんが亡くなったのはまだ捜索番組をやるかも分からないタイミングであり、取材陣を通しての捜索も上手くはいってなかった時期だ。
なんなら彼が死を選ぶことでお蔵入りになる可能性すらあるのだ。
「死によって焚きつけられたスタッフがやってくれるはず!」などの不確定要素にすがるとも思えない。

次に状況への違和感。
キラフさんの廃墟動画が2/9撮影で2/10に米原さんの遺体発見。
これによりキラフさんが撮影した炎はこの件についてだろう。
番組の説明によると廃墟と米原さん宅は3kmほどの距離。
遮蔽物が無いとしても人一人が燃えた程度の大きさの火が確認できる距離だろか?
ニュースでは「近くに住む~」と言っているが、米原さんのお住まい周辺を見るに1km程度離れたところでも同じ町名だったりする、つまり近くと表現される可能性はある。
廃墟からある程度観測できるほどそちらに近づいたところで亡くなっていたとして、夜中に84歳のご老人がわざわざ家から灯油の入ったポリタンクを運び自死を図るであろうか?
他殺を考えるには相応の条件がそろうのでは。

上記にも関連する疑問。
”現在”イシナガキクエを追っているのは誰なのか。
米原さんの死にも関連するが、イシナガキクエを追っている存在が彼以外にもいる。
1話目の情報提供で電話と主に送られてきた映像。
米原さんが亡くなった後に彼の家へ出入りする大勢の姿が確認されたものだ。
あの時点では捜索番組は放送されていない。
つまり我々視聴者のような存在がイシナガキクエを探したのとは異なる事情や動機で探す存在がいるのだ。
以前に自分はこの映像に映る影はカメラを回しているように見えると述べた。

米原宅の集団

同時に、米原さんが亡くなってなおイシナガキクエを探すTV局の動機が分からないということも。

TV局への不信

「米原さんがイシナガキクエを探している」事を知っている人は多数いる。あれだけ捜索活動をしているのだから。
しかし、米原さんとは無関係に彼女を探す必要、つまり「イシナガキクエという”存在”と彼女に対する処置」等を知っている存在というのはどれ程いるだろうか。
代理人や依頼された能力者、もしかしたら池で見つかった映像に出てきた人物らもそうかもしれない。
そして捜索番組制作者だ。
回を追うごとに視聴者に与えられた情報。
でも彼らも自分たちと同じ順番で知った訳ではないし、いくらかは番組放送のもっと前に把握できているはずだ。
もたらされた情報、それらが彼らにコントロールされていたものだとしたら。
少なくともイシナガキクエに関する情報が集まるまで米原さんの死の真相は隠されていた。

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