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ゆっくり、死ぬ

3年。

世界から色が無くなった瞬間。
今も鮮明に覚えている。

4月1日、新しい一年のスタートの日。
私が余命宣告された日。

入院していた。
主治医の異動で、新しい担当医と挨拶をするだけのはずだった。
なのに、その2日後には退院して、日本有数の病院を数件回ることになった。

暫くは生きる気力を亡くして、色のない世界を見た。
日常のふとした時に涙が出たり、やり場のない思いを夫と子供にぶつけたりしながら過ごした。

そして、常に死という概念に晒される事に慣れて、諦めの様な日々に変わった。

いまや常時、苛立っている。
体力の限界で生きる毎日に、呼吸以上の事は負担が大きい。食事すら疲れる。

毎晩少しのつもりで、ワインを飲む。
日付が変わる頃には、キッチンでジンやウォッカに炭酸を注ぐ。

身体に負担なのも、死へ近づく行動なのも、体調を顧みれば、納得できる。
それでも、酔っ払って不安から逃げられる時間は、私にとっては大きな救いなのだ。

せめて、好きな時間でゆっくりと人生を削りたい。
毎晩少しずつ、キラキラしたエンディングロールが増えてくのを、はっきりしない視界で追いかける。
それは泣けるほど至福の時間で、削られていくことを恐れないでいられるのは、きっと私が強いからなんかではないんだと自覚する。

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