メニエール病の症状が噂される芸能人15選まとめ!
限られた一生の中で、何処かが痛かったり悪かったりすれば、それは、本当にとても辛いことだと思います。すぐ治る一過性のものであるならまだしも、いつ完治するのかもわからない病気は、辛いとしか言いようがありませんね。
そんな辛い病気を抱えている人たちは、この世の中には沢山います。最近よく聞くメニエール病も、そんな辛い病気のひとつ。メニエール病とは、過度のストレスが原因で、日常生活に支障をきたすほどの回転性の目眩や耳鳴りなどが特徴の病気だと言われています。
そんなメニエール病ですが、じつは芸能人たちの中にも、この病気と闘っている人は少なくないようなんです。
そこで今回は、メニエール病の症状が噂される芸能人15選まとめ!というタイトルで、皆さんにご紹介して行きたいと思います。
加護亜依
元「モーニング娘」のメンバーで、身長が150cm以下の矢口真理、辻希美と「ミニモニ」というグループでも活躍していた加護亜依です。
奈良県の出身の加護亜依ですが、彼女の両親は元ヤンキー同士だったと言います。
そうな両親の相に誕生した加護亜依、当時の母親の年齢は17歳だったそうです。
また彼女の父親も、娘が生まれたにも関わらず、父親の自覚が不足していたのでしょう。
彼女が1~2歳頃には、両親が離婚を選択しています。
後に母親が再婚し、父親違いの弟が3人生まれますが、そのうちの1人が発達障害だということです。
母親の再婚相手の義理の父親も、再婚当初は加護亜依をかわいがっていたそうです。
しかし、自身の事業失敗で多額の借金を背負い、既にモーニング娘で活躍していた彼女が返済していたそうです。
不幸な生い立ちの加護亜依ですが、結婚後もまだ不幸が続きます。
最初の結婚は2011年の12月、元夫との間には、6~7歳の娘「みなみ」がいます。
しかし、ふたりの結婚生活は上手く行かず離婚。
2016年には、「美容関係の会社経営」をしている38歳の一般人と再婚しています。
そんな加護亜依が、メニエール病を発症したのは2008年頃。
当時、この事実をブログで発表した加護亜依てました。
しかし、精密検査の結果、メニエール病ではなく過労による症状だったということがわかりました。
これについて、加護亜依本人も、「睡眠をたくさん取れば大丈夫です」とコメントしているので、先ずは、不幸中の幸いだったと言えると思います。
GENKING
最近よく名前を聞くGENKINGは、幼い頃から、自分の性に違和感を持っていたと言います。
成長して行く中で、違和感がますます強くなってはいたものの、一応普通の恋愛も経験していたようです。
芸能界に入ったのは、17歳の時に受けた「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の愛知県代表がきっかけだそうです。
しかし、せっかく芸能界に入ったにも関わらず、あまり撮影には行かなかったGENKING。
2013年には、美容クリニックでOLをしながら彼氏と同棲していました。
そんな中、再び芸能界に帰ってきたGENKING。
2017年に立ち上げた、自身のブランドで、ファッション業界に帰り咲きました。
そんなGENKINGですが、2018年に手術により完全な女性になりましたが、手術の2年前からメニエール病にかかり、現在も治療中のようですね。
マオ(シド)
ビジュアル系のロックバンド「シド」のボーカル「マオ」です。
福岡県久留米市出身ですが、主にインディーズで活動していたようです。
その時代が長かったため、デビューは遅く、彼が31歳の時でした。
私生活では、一番好きな食べ物が「カレー」。
余りにもカレーが大好きなマオは、一日3食全てカレー食べる時もあるそうです。
そんなカレーがらみの内容を自身のブログに書いたりなど、話題作りもしているようです。
本当に、こよなくカレーライスを愛するマオ。
カレー食べたさに、「ココイチ」で週6回もバイトするなど、ビジュアル系の見かけによらず、とても面白い人のようです。
そんなマオですが、ライブ活動の極度な疲労が原因となり、2015年の1月にメニエール病を患っていることを発表しました。
中島誠之助
「いい仕事してますねぇ~」で、「開運!何でも鑑定団」でもお馴染みの中島誠之助です。
東京港区青山出身の中島誠之助ですが、幼い頃に両親と死に別れし、神奈川の親族宅で過ごします。
ところが、その親族宅の家業が思わしくなく、後に、骨董商をしていた叔父に引き取られ、再び東京へ帰って来ました。
その叔父宅には、既に中島誠之助の実の兄が引き取られていました。
しかし、さらに彼をも引き取らなければならなくなった叔父は、家業の後継者になることを条件に、彼を引き取ることになります。
このような生い立ちで育った中島誠之助ですが、1994年の初回放送から現在に至るまで、開運!何でも鑑定団にレギュラー出演。
今ではなくてはならない番組の名物鑑定士になりました。
そんな中島誠之助ですが、相変わらず元気な姿で番組に出ているように見えますが、じつは自らメニエール病だということを公表しています。
今井翼
ジャニーズ事務所のアイドルユニット「タッキー&翼」で大人気だった今井翼です。
神奈川県藤沢市出身の彼は、姉の応募により1995年にジャニーズ事務所に入りました。
当時13歳の彼は、アイドルには全く興味がなく、オーディションも嫌々受けたそうです。
しかし、ジャニーズ事務所の社長の「故ジャニー喜多川」にダンスの上手さを褒められ、ダンスの魅力に目覚めたそうです。
しかし、2014年、彼がメニエール病にかかり入院していると、突然の発表がありました。
彼が病気と闘っている間も、彼のファンからの温かい声援があったようですね。
そんなファンたちのために、一生懸命治療に専念し、同年12月31日の「ジャニーズカウントダウンライブ」に参加、元気な姿を披露しました。
しかし、過度なストレスが原因だったのでしょうね、2018年3月に再びメニエール病が再発しています。
現在は、芸能活動を一時休止して、再び治療に専念している模様です。
広澤克実
元「ヤクルトスワローズ」の選手で、プロ野球のコーチなどを経て、現在は野球解説者などで活躍しています。
広澤克実と言えば、日本に帰化している在日韓国人でも有名なひとりですね。
そんな彼は、身長が185cmもあり、野球をするには凄く恵まれた体型ですが、じつは野球以外にも柔道をしていたことがあり有段者なんだそうです。
広澤克実がメニエール病を公表したのは、2014年の引退後でした。
報道番組に出ている最中も、突然の目眩や耳なりに悩んだと言います。
現在ですが、たまに症状が出ることがあるそうです。
彼自身、このメニエール病とは、一生付き合わなければいけないと覚悟していると明かしているようですね。
松井珠理奈
1997年生まれの松井珠理奈は、愛知県出身の22妻、アイドルグループ「SKE48」のメンバーです。
また彼女は、SKE48のメンバーと同時に、「AKB48」のメンバーでもあります。
2008年からアイドルになった松井珠理奈ですが、これまでにも、アイドルに女優にと、全力で頑張ってきた努力家です。
しかし、辛くても無理して頑張るタイプなので、メンバーから心配されることもあるようですね。
そんな彼女ですが、グループの中では元メンバーだった「篠田麻里子」と仲が良かったようです。
しかし、その篠田麻里子もメンバーを脱退してしまいました。
そんな中、松井珠理奈がメニエール病ではないかという噂があるようです。
篠田麻里子に甘えるほど、彼女を頼っていた松井珠理奈。
そのストレスで、メニエール病が発症したのではないかと言われています。
ハイヒールモモコ
関西のお笑い芸人「ハイヒール」のモモコです。
このハイヒールのモモコの相方は、「リンゴ」。
リンゴはツッコミ役、モモコはボケを担当していました。
最近は、テレビで見ることもめっきり少なくはなりましたが、以前は、テレビによく出演していた超売れっ子の女性芸人です。
また、モモコは大の「シャネル」ファンということでも、ファンの間では良くよく知られています。
そんな彼女も、メニエール病と闘っているひとり。
現在の彼女は、恐らくまだ完治はしておらず治療中だと思われます。
しかし、ツイッターを通して、彼女と同じ病気で苦しむ人に応援メールを送っているようです。
また、彼女もメニエール病の患者ではありますが、テレビで元気に活躍している姿を見て、励まされている人も少なくないようです。
鳥越俊太郎
ジャーナリストで人気だった鳥越俊太郎です。
福岡県出身の彼ですが、その整っているルックスで、特に年配の人たちからは大人気でした。
そんな鳥越俊太郎ですが、2005年に「大腸ガン」が見つかりました。
その大腸ガンは、肺や肝臓にまでも転移し、今までに4度の手術を受けたそうです。
このように大病を患い、ステージ4だとまで言われていた彼。
現在は、食生活の改善や免疫向上のためのトレーニングなどのお陰で、再発はしていないようなので、良かったですね。
さて、そんな鳥越俊太郎をもうひとつ苦しめている病気がメニエール病。
メニエール病の特徴である、耳鳴り・目眩・難聴の3つが襲ったきたそう。
そこで、2000年に医師からメニエール病だと告知されたと言ってました。
高齢になってから発症したため、現在は両耳が全く聞こえないそうですね。
八代亜紀
火の国熊本県の八代市出身の八代亜紀です。
本名は、この八代亜紀ではなく「橋本明代」と言います。
今でこそ、演歌界の大スターになった彼女ですが、歌手になるきっかけを作った人は彼女の父親でした。
子供の頃から、父親の唄う浪曲をいつも聞いていた八代亜紀。
ある日、父親が買って来た一枚のレコード。
そのレコードには、ハスキーボイスで歌う「ジュリー・ロンドン」がいたそうです。
当時の彼女は、ハスキーだった自分の声が大嫌いでしたが、彼の歌う声で自信がついたんでしょう、いつしかクラブ歌手になることを夢見るようになります。
中学卒業後は、高校には進学せずに、地元のバス会社に就職、一時バスガイドをしていましたが、その後上京。
クラブで歌いながら生活をするようになりますが、1971年には、本当の歌手で芸能界デビューした八代亜紀です。
子供には恵まれなかったですが、今でも夫とは仲良く生活しているようです。
そんな彼女をメニエール病が襲いました。
15年以上前に大好きな父親が他界、その2日後、過度のストレスによりこの病気が発症したようですね。
相田翔子
1970年に、東京の東村山市で生まれの元アイドル歌手「Wink」相田翔子です。
おっとりした見かけにはよらず、 幼い時はとっても活発だったそうです。
中学に入ると、当時人気のあった、女子プレスラーの2人が組んだユニットの「クラッシュギャルズ」に憧れた相田翔子。
友達と一緒に、女子プロレスラーのオーディションを受けに行ったこともあるそうなんです。
そんな彼女が芸能界に入ったのは14歳の時。
友達が応募したオーディションを受けに行った時、渋谷で、芸能プロダクションにスカウトされたそうです。
高校2年の時には、アイドルとしてのデビューも決まっていましたが、彼女の父親が反対、当時は、少しだけモデルで活動していたようです。
その後は、「鈴木早智子」と出逢いWINKでデビューしています。
そんな彼女がメニエール病になったのは、結婚したはかりの2008年頃。
彼女の場合は、激しい目眩と多汗に悩まされたそうです。
また、この病気になる前には、たまに、突発性難聴があったとも言ってます。
治療の成果が出ているようなで、現在はその症状は緩和しているそうです。
久保田利伸
静岡県出身で、そのファンキーな歌声が、今でも大人気の久保田利伸です。
日本人離れしたルックスと、歌唱力は本当に素晴らしく、沢山のファンを抱えているアーティストですね。
そんな彼が生まれ育った家では、両親が青果店を営んでいたそうです。
高校までは、静岡の高校に通っていた久保田利伸でしたが、大学は東京の「駒沢大学」へと進学。
その大学では、軽音楽部のロック研究会に在籍、ここに彼の音楽の原点があったようです。
彼が、メニエール病になったのは、2006年の42歳の時でした。
ちょうど、全国ツアーを開始したばかりでしたが、延期し治療に専念しています。
その甲斐あってか、現在も再発はしていなく、より一層音楽活動に精を出しているそうです。
今村豊
山口県出身の競艇選手の今村豊です。
彼は、「艇界のプリンス」や「ミスター競艇」などと呼ばれるくらい、競艇の世界では凄い選手なんです。
そんな今村豊ですが、彼が競艇選手になったのは、父親の影響があるようですね。
競艇が好きだっ彼の父親は、息子を競艇選手にすることが夢だったそうです。
その父親の願いを反抗せずに素直に聞き入れた結果、立派な競艇選手になったんですね。
そんな彼は、じつは1992年頃からメニエール病にかかっていたようです。
現在も、まだ完治はしていませんが、それでも現役で活躍しているプロ意識は大したものですね。
勝間和代
東京の下町で、町工場を営んでいた両親の元に4人兄弟の末っ子として生まれた勝間和代です。
中学から大学までは、慶應義塾に通い、他にも「早稲田大学」の大学院も卒業している才女です。
高校生の頃は、既に、公認会計士の勉強を始めた彼女ですが、23歳の時にはプロの会計士として登録されました。
そんな彼女ですが、これまでに2度の離婚を経験しています。
最初の結婚は21歳だったそうで、子供は娘が3人いるようです。
また、大変頭の良い彼女ですが、意外な面もあるようです。
以前から麻雀が好きだったのでしょうね、2015年には、麻雀協会のプロ試験にも合格しています。
そんな彼女ですが、過去に、理不尽な上司やクライアントに振り回されたことがあるそうなんです。
その当時は、睡眠もとれないほど酷い状態で、うつ病寸前だったといいます。
そんな状態が積もり積もってメニエール病が発症したと言ってました。
現在は、自分に無理しない生活をしているそうです。
栗山英樹
元「ヤクルトスワローズ」で活躍していた栗山英樹です。
野球好きの兄に誘われて、軟式野球を始めたのが、後にプロ野球選手になったきっかけだそうです。
しかし、中学では野球とは全く関係無いバレー部のセッターとして活躍しまた。
現在は、スポーツジャーナリストや大学教授など、幅広い分野で活躍している栗山英樹。
2012年からは、北海道を拠点とする「日本ハムファイターズ」の監督として、選手の育成にも努めています。
そんな彼がメニエール病になったのは、かなり昔のことだそうです。
プロ野球選手として野球界に入団したものの、自分のレベルの低さに悩んだそうてすね。
そんな悩んでいたプロ野球生活2年目の時に突然発症し、入院までしたそうです。
しかし、自分より遥かに重い症状の子供たち。
そんな子供たちの頑張っいる姿を目の当たりに見てからは、自分の病気に対する考え方も前向きになったそうです。
増田恵子
「増田恵子」、本名「桑木啓子」は、1970年に大人気だった「ピンクレディ」のメンバー。
同じくメンバーだった「ミー」と共に大活躍、「ケイ」という愛称でも親しまれて来ました。
静岡県静岡市出身の増田恵子は、2人姉妹の次女として生まれました。
しかし、彼女が4歳の時、実の父親が他界、その後は、同じく静岡県にある焼津市の増田家の養子となり、養父母の元で育ちます。
地元の中学に進学した時にミーと出逢い、高校進学後には、2人で「ヤマハ」のオーディションを受け優勝。
その後も、ヤマハのコンテストに出場するなどしデビューに至っています。
デビューしてからは、休む暇なく仕事をしてきた増田恵子でした。
しかし、20代前半頃には、突然の難聴に度々襲われたということでした。
一旦、症状はおさまったものの、2010年に再び再発。
少し様子を見てはいたもののその症状は治まらず、検査を受けたらメニエール病だということがわかったようでした。
「昭和」を代表するトップスターのピンクレディだったので、過度のストレスやプレッシャーなどで、この病気になってしまったと思われます。
以上、今回は、メニエール病の症状が噂される芸能人15選まとめ!ということで、お伝えして参りました。
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