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親になったら死ぬほど心配性になった話

「もし娘が死んだらどうしよう、生きていけない」
 娘が生まれてからというもの、子の喪失の恐怖が常に付きまとうようになった。
 事故に遭ったら、犯罪に巻き込まれたら、行方不明になったら、誤飲したら、SIDSになったら…果ては戦争に巻き込まれたらなど、ネタを見つけては無限に心配している。当の娘は、まだハイハイもできない。

 娘が生まれてからというもの、人生で初めて抱く感情をいくつか経験しているが、そのうちのひとつがこの「心配」である。自分の人生についての心配は人並みにしてきたものの、娘への心配は全く違うものだった。
 親が今まで謎に私を心配してきた理由がわかる。ニュースで何か事件が流れてきては、「あんた、こういうことはやっちゃダメだからね!」「こういうとこに行っちゃいけないんだよ!」と、普通にわかることをいちいちヒステリックに訴えてくる母親。なんなんだろうこの人はと思ってきたが、なるほどそういうことかと今なら理解できる。

 産後やることもないので妄想が暴走し、毎日娘の未来をひたすら不安に考えていた。攫われないようにするにはどうしたら…。事故に遭わないためには、水に流されないためには…。ちょうど子どもの痛ましい事件・事故の報道もあり、不安は常にマックスだった。
 そんな時、児童館の0歳の月一回の集まりのようなものに行った。参加者は私と娘だけだった。娘はちょうど眠い時間で、遊びも早々にぐずって眠ってしまった。
 児童館の先生に「実は毎日不安なんです」と、日々の酷い妄想について打ち明けてみた。すると、こんな回答が返ってきた。

「私もそうよ〜!今は大人になったから別々に暮らしてるけど、娘から連絡がないと死んでるんじゃないかって未だに不安になる!」

 私だけじゃなかった!
 そこから不安トークは盛り上がり、親一年生の私はかなりほっとした。
 私がおかしいわけでもない、母親は大なり小なりそういう感情を持つ生き物なのだ。ちゃんとこの感情を危機管理に使っていこう、と思えた。
 その後また不安になることもあったが、ネットを検索したら自分と同じように子どものことで不安に思う親御さんがわんさかいた。
 なんだ、私だけじゃない。

 とはいえ、その不安を昔から親にぶつけられていた私は、当時はわりとたまったものではなかった。親からは「不安に思わせるお前が悪いんだから言われて当然」という態度を取られていたが、なんにでも限度というものがある。
 自分は娘にあまりそういう面倒な気持ちにさせたくはないな、という想いがある。反面、万が一の何かが起こったりしてほしくはないので、最大限対策をしつつ見守っていくしかない。腹を括って、一定以上は信じ、祈るばかりである。

 ひとまず、歩き始めたらハーネスをつけつつ、ショッピングモールのトイレは中学生になるまで必ず一緒に行こうと思う。

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