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学校について語るときに私の語ること 1ヶ月で終わった高校編

知ってる人は知ってる、私の伝説の高校時代。もちろん悪い意味で。

時は某年9月。念願の高校に入学。一歩出ればニューヨーク州。寮の部屋に帰ればルームメイト。朝はみんなでカフェテリア。念願の高校生活!

と思っていたらある夜Skypeで親からメッセージが来た。内容を要約すると、日本に帰ってこいということだった。ルームメイトも部屋にいる中で親と大げんかした。泣きすぎて慰められて余計にまた泣いた。逆らえるわけもなく、私は荷物をとりあえずまとめて日本に帰った。しかし帰る先は東京から大阪に変わっていた。私の渡米と同時に親は乱入者の元に引っ越していたからだ。荷物を全て持って帰れるわけもなかったので、私はまた1人でニューヨークに、しかも日帰りで行く羽目になった。今思うと私の人生で一番大変な1日だったと思う。朝JFK国際空港に着いて、中央駅に空港バスで向かって、電車に乗って、駅でまたタクシーを捕まえて、学校に着いたら事務の方に手伝ってもらって私物を全て詰め込んで、空港までタクシーに乗って。飛行機に乗り遅れないかと気が気じゃなかった。それからは毎日のように親と喧嘩し続け、ニューヨークに帰りたいと叫び続ける地獄のような日々が始まった。親は完全に信用できなくなっていた。

世間では親と喧嘩することもなく平和に暮らしている人が大多数なことは理解している。私はそうではなかった。毎日恨み続けた。何も悪いことはしていないのになぜこんな目にあわなければならないのか理解できなかった。小学校の時より病んだ。友達がいたからだ。何気ない日常を知ってしまったからだ。ただ恥ずかしい、と思えるような自分ではなくなっていた。私は親とまともに話さなくなり、なぜこんなところにいるのかと思い続けた。

ここで登場するのがツイッターとアニメだ。ツイッターは当時既に立派なアニメオタクとなっていた自分にとって欠かせないものになっていた。またアメリカに行くことの唯一の心残りは、リアルタイムでアニメやアニメ映画を見られないことだった。しかし私は日本にいる。グッズも買える。暇さえあれば梅田や京都のアニメイトに逃げ込んで推しを眺めていた。死にたいと思った時もどうしようもなくイラついた時もツイッターを見て、精神をなんとか保っていた。アニメを見ることで現実逃避をして、キャラのかっこよさに元気をもらった。完全にツイ廃のアニオタに進化したわけだ。時間は腐る程あったから、アニメもYouTubeも見放題だった。勉強なんて全くしなかった。それでも大検を受ける時にはさすがにちょっと勉強した。大学に行くことはあまりに非現実的だったのでモチベーションは低かったが、無事に一発合格した。でも当時の状況が変わるわけではなく、やっぱり私は親を恨みオーストラリアに隕石が落ちろと呪い続けた。

転機はオーストラリアから福岡に移ったことだった。乱入者と親が仲違いし、距離を置こうと福岡に帰ることになった。空港に迎えに来てくれた祖父母を見て、私はなぜか感動した。自分を無条件に受け入れてくれる存在がまだいたのが嬉しかったんだと思う。そしてこの頃、趣味に亀梨和也が新しく加わった。アニメ・宮野真守・亀梨和也という3本柱に支えられ、のんきに猫を触りながら、私は少しずつまともな人間になり始めた。大検には受かっているので、大学受験の資格は持っていることになる。しかし私は大学受験に見事に失敗した。正直勉強はしていなかった。それでも落ちたことはそれなりに悲しかったし、また1年勉強するのかと思うと憂鬱になった。そんな時、KAT-TUNのコンサートに偶然行けることになった。当時KAT-TUNは田口の脱退による活動休止が決まっており、休止前の最後のライブだった。それまでコンサートに行ったことがなかった私は初めての体験にワクワクしながらコスメや参戦服を買い込み、東京ドームに向かった。初めて生で見る推しの姿に圧倒され、その芯の強さに惹かれて私はさらにKAT-TUNが好きになった。そして私は心に決めた。

「次にKAT-TUNに会う時には女子大生として会う」

福岡に帰り、私は再度大学受験に向けて勉強を始めた。といってもオタクなのでアニメは見るし、亀梨和也が出ている番組も欠かさず見るし、ゲームもやめなかった。でもそのやり方は結果的に自分に向いており、無事大学合格を果たした。ようやく、普通の人間の生活に戻れると感じた。地獄の10代から解放されたのだから、新しい環境で新しい自分になろう。そう決めて私は東京に帰ってきたのである。


エンタメ業界のESで私はほぼ毎回「どんな状況にある人にも平等に娯楽(エンタメ)を与えたい」と書いている。何度も死にたいと思った。仲がいい人はいても、自分と同じ境遇の人は誰1人いない。何をしても認められない。報われない。そんな人生の暗黒期にあった私に、唯一平等にあったのはエンタメだった。教育も、正しい環境も、普通の人間関係すらも当時の私には与えられなかったのに。

何かを好きと思う感情は、人を少しだけ良い方向に進めてくれる。私の場合はアニメや亀梨和也、そして宮野真守の存在で大学へのモチベーションを保ち続け、今に繋がっている。今も元気にKAT-TUNに貢ぎ、ESの企画で宮野真守をねじ込めないか画策できているのは全て当時私のそばにあったエンタメのおかげだ。しかし自分は恵まれている方だった。心の支えにできるほど好きなものに出会えたからだ。好きという感情は全ての原動力になり得るが、みんながみんな自分の好きなものに出会えるわけではない。人生に楽しみや逃げ場すら見出せずにどん底に落ちていく人はたくさんいる。自分がそうなりかけていたからこそ思うことだ。そして人の悩みは人それぞれで、環境も全て違う。そんな人たちに平等に与えることができて、かつ心の支えとなれるのはエンタメだと私は信じている。

エンタメ業界に自分を支えてくれた恩を返したいという気持ちもある。しかし根本にあるのは当時の自分のような人を1人でも幸せにしたい、1ミリでも前を向くきっかけを作りたい、という思いだ。いつか自分が関わったエンタメ作品で「この作品が心の支えになっていました。出会えてよかったです」と言われた時、真に私は自分の過去を昇華できる気がするのだ。

数ヶ月後、自分の夢を叶えられる会社の内定を持っていますように。


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