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学校について語るときに私が語ること 6ヶ月で終わった小学校編

日本において小中学校は義務教育である。よって進学率は100%に限りなく近い。試しに調べてみると、小学校は世界で1位の就学率を誇っていた。それでも就学していない人は0.05%ほどいる。さて、私はその1人だった。正確には6年生まで学校に行ったことがなかった。

ここでクイズ。理由はなんだと思う?

答えは、ある意味単純明快な理由。アメリカでいく予定だったが入れなくなったから。親にはそう聞いた。そうして私は日本に帰り、気づけばそのまま入る機会を逃して6年生の2学期まで学校に通わなかった。

その間何をしていたか?

漫画を読むか、本を読むか、NHKの語学番組を見るか、朝日小学生新聞を読むか、くらいのことしかしていなかった。その結果何が起こるか?

友達が1人もいない。SNSなんてもちろんない時代である。4年生ごろまで私は福岡の田舎で暮らしていたので、本当に友達がいなかった。話す相手は親、祖父母、そして猫だけ。今思うとよくもまぁそんな呑気にしていられたなと思う。昔すぎてほとんど記憶がないが、多分毎日同じことの繰り返しだったから記憶に残るようなこともなかったんだろうなと思う。

そして4年生ごろ、なぜか急に親に連れられて東京に引っ越した。理由は覚えていない。そしてそれくらいから、自分が普通じゃないことを実感し始めた。圧倒的に周りに人が増えて、自分と同じ年代の小学生が制服を着て学校に通っているのも見た。なぜ自分は1人で誰とも話さずに暮らしているんだろうと不思議でしょうがなかった。親に聞いてもイマイチちゃんとした答えが返ってこなかった。児童館で仲良くなった子に、何小学校と聞かれても答えられない自分が嫌だった。恥ずかしいのか惨めなのかよくわからない、複雑な感情をずっと抱えていた。周りに人が急に増えたせいで自分がどう見られているかが急に気になり始め(思春期に突入したのも多分ある)、コミュ障になった。

そして6年生の9月、急に地元の公立小学校に編入することになった。ずっと学校には行ってみたかったけど、行けるよと言われても恐ろしかった。でも校長先生はめちゃくちゃ優しくて、事情を親から聞いていた(親、私、校長、副校長、クラスの担任で面談するってなかなか大事件。というかよく私を編入させてくれたな)こともあり色々気を使ってくれた。英語の本を特別に貸してくれたのは今でも覚えている。当時6年生のクラスは1つしかなくて、私はいきなり約25人の教室に放り込まれた。でも気が楽だったのは、周りがみんな優しかったからだと思う。近くに住む子の家にみんなで遊びにいく、帰りに公園で遊ぶ、土日はみんなで出かける。そんな当たり前の日常が、とても楽しかった。でもコミュ障は相変わらずだったので男子やあまり仲良くない女子と話すのは壊滅的に下手だった。当たり前のルール(給食当番とか班別の掃除とか)も全然知らなかった。でも仲良くしてくれた友達にはすごく助けられた。小学校6年間のうちの6ヶ月だから、わずか1/12しか私は小学校に行かなかったことになる。それでもめちゃくちゃ楽しかったのは、環境に恵まれていたからだろう。

そうして私の小学校生活は6ヶ月で終わりを迎えた。学校に行ってなかったくせにテストではいつも上の方にいたが(ありがとう朝日小学生新聞)、中学校受験は特に考えていなかったのでそのまま公立の中学校に進んだ。少し遠い場所にあったので、同じ中学校にいく人は男子1人しかいなかった。結果的に人生最良の選択をしたわけだが、それは中学校編に書くことにする。

そういえば、私小学校まともに行かなかったな。とたまに思い出すレベルになったのはだいぶ経ってからだった。どんなに辛いことも、時が経てば自然と風化していく。実際日常生活で思い出すことはもうほとんどない。そして書いていて思ったが似たようなことを高校で繰り返している。歴史は繰り返す、とはこのことか。

高校中退は別によくいるよ、とOB訪問で某社員に言われた。でも小学校を6ヶ月で修了した話はあまり聞いたことない気がする。出版就活でこの話をすることがあるのかはわからないけど、自分を最大限にさらけ出せというなら、小学校までさかのぼって話すなら、このことは避けては通れない話だと思う。ということで言語化というか棚卸しのために書いてみました。

(縮小垢からの人は読んでも引かないでネ!)


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