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なぜ漫画やアニメはオタクのものと言われ続けてきたのか

今日も今日とて面接対策が捗らない中ひたすら漫画を読み漁っていて、思ったことをとりあえず書き出してみる。


いわゆる「命を救われた」体験というと大袈裟に聞こえるが、一部の人にとっては他人事じゃないと思う。それは例えばサメに襲われたとかそういう物理的なものじゃなくて、精神的なもの。死にたいと思い続けていた時に、ふと「でもこんなのおかしい、このままじゃ嫌だ」って気づいて、前を向けるようになる瞬間がある。私にとってそのきっかけは数えきれないほどあるが、漫画とアニメは確実にその中に含まれる。

突然話は変わるが、私は「黒子のバスケ」の黒子テツヤが大好きだった。Twitterのアイコンにもヘッダーにもしたし、グッズもいっぱい買った。チームメイトがいて、過去のトラウマや同級生と和解しながら仲間と共に強くなっていく姿は私とあまりに正反対で、顔はめちゃくちゃ好きだけど嫌いだった。でも目が離せなくて私はいくらキャラが増えても黒子っちが推しだった。今振り返ってみると、羨ましくて妬ましかったんだと思う。

私がクソアニオタだった時期、まだオタクは日陰者だった。アニメイトに行けばいるのは自分と似たような痛バを持ち、メガネで、すっぴんで、服のセンスは子宮においてきましたっていう感じの人が大半。だからこそオタクがクラスでいじめられるようなポジションになりがち、だったと思う。そういう人がオタクになるのが先か、オタクだからそういう人になるのが先なのかは鳥と卵の問題より簡単。そういう人、が先に来ると思う。

私が当時いわゆる2次元にどハマりしていた理由は色々あるが、一番の理由は現実逃避だ。思い通りにならない最悪の現実、何者にもなれない自分の気持ち悪さ、味方がいない。でも2次元に逃げ込めば、そんな自分から一瞬でも逃げることができる。美男美女を拝める。悪者は成敗され消えていく。善人は必ず報われる。自分がその一部になるなんておこがましいことは考えない。ただ現実を忘れて逃げ込みたい。そんな自分に一番向いていたのが2次元だったというだけで、タイミングが違えばその対象は別のものになっていただろう。

さて、表題に戻ろう。漫画やアニメのオタクになる人には共通点があると思う。何かしら悩みを抱えていた、ということだ。そしてそれに寝食を忘れるくらいのめり込む人になると、よっぽの強火担か命を救われるほどに影響を受けた人かに絞られる。ここで、命を救われるほどの影響をそもそもなぜ受けるのか。それは、漫画やアニメ以外でそれだけのことを言ってくれるorしてくれる人がいなかったからだと思う。

今ではSNSがだいぶ普及し、家族、学校や習い事など昔からあるようなコミュニティ以外のところでも人間関係を構築することが可能になった。しかし、自分の本心を言い出せるほど深い関係になることはほとんどない。逆に、違う自分になろうとした結果墓穴を掘るタイプもいる。結果として、薄っぺらい人間関係のままよくわからない「知り合い」が増えるだけ。何も変わらない。そういう関係の人といて生まれるものは特に何もないのだ。せいぜい傷を舐め合うか、趣味の話をするくらい。深い関係にない人を親身に心配して声を掛けるようなお人好しに出会えれば別だが、そんなことはほとんど起きない。ぬるま湯に浸かったまま、毎日気力をじわじわ削がれていくだけだ。そんな時、自分をぶん殴ってくれる存在が現れることがある。それは画面越しの「知り合い」ではなくて、画面上のキャラクターだったり、セリフだったりする。これまで周りにいなかった自分と似た存在、誰も言ってくれなかったような言葉に出会うと、急に自分は一人ではないと思えるようになる。急に視界が広くなって、肯定された気分になる。同じ屋根の下にいる誰にも理解されなくても、この言葉さえあれば生きていける。それくらいに影響される言葉を、初めて言ってくれた人や媒体を好きになるのは当たり前だ。私にとってそれは「CIPHER」や「フルーツバスケット」だったというだけで、人によってこの対象は変わってくる。

そしてこういう体験をした人は、環境か学力か外見か何かはわからないが、周りとはどこか違うことが多い。いわゆる「まとも」な人は先述の漫画を読んだところで、「いい話だな〜」と思いはしても心に突き刺さるほどの衝撃は受けない。そういう言葉を必要とする環境に生まれなかったからだ。それは本当に幸運なことだと思う。

結果として、どこかしら周りとは違う人が集まった結果世間一般のイメージするオタクが出来上がる。オタクになった結果、その人が成長してもそのままか、這い上がろうと決心して進化するか、行き先は様々だ。しかし原点は、その人が置かれていた環境だと思う。その人に足りていなかった何かや必要だった言葉を、漫画やアニメが与えた。ただそれだけのことでも、泣きそうなくらい嬉しい出来事になる。

世界中の人と繋がれる=自分にとっていい人とは限らないし、可能性だけの話だ。出会いにも行動範囲にも限りがある。そんな時助けになれるのはエンタメであり、すべてのメディアミックスの源である漫画だと私は信じている。落ち込んでいる時に読んで、そっと気分を引き上げてくれる漫画はそう多くない。視野を広げて、もう少し生きてみようと思える漫画もなかなかない。そんな漫画を、私は創りたいと思う。そうしたら、早く死にたくてしょうがなかった自分のような人間を少しは減らせるんじゃないかとおこがましくも考えてしまうのだ。そうすれば、自分の経験も本当の意味で無駄じゃなかったと胸を張れる気がする。


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