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学校について語るときに私が語ること 中学校編

中学校の3年間は、大学を除けば唯一学校にほぼまともに通った時期と言っていい(ほぼ、な理由は1年生の5月までロンドンに旅行に行ってたから。なんでその時期にわざわざ行ったのかは謎)。しかし相変わらず私はインキャでコミュ障だったから、女子特有のグループにどうしても入れなかった。そして思春期真っ最中なのでそれにまた恥ずかしさを感じた。一応3人のグループはできたが、うち1人は留学に行ってしまい、私ともう1人だけが残された。あぶれ者同士みたいな空気になって、仲はいいけれどどうにも話が合わなかったりして気まずくなった。そのあとまた女子特有の揉め事が色々あったりして、結局1年生最後の日は特に誰ともつるまないまま家に帰った。ちなみに亀梨和也と出会ったのはこの頃である。

そして2年生。同じグループの子とまたなんとなく一緒にいるようになった。私の中学校は移動教室制で、授業ごとに教室移動しなくてはいけなかった。よって1人だと非常に浮く。時は思春期。人の視線をめちゃめちゃ気にする頃だ。よって1人になることだけは避けたかった。多分これは女子あるある。そんな時、ある先輩と偶然仲良くなった。アメリカと日本のハーフで、モデル体型で、めちゃくちゃ可愛い先輩だった。Justin Bieberが大好きという共通点のおかげで、2年生の時は同級生と全然つるまず毎日先輩と帰るくらいに仲良くなった。可愛くて面白くてかつサバサバしてるという、最強の女友達だった。卒業する時は本当に悲しかったが、私の中学2年生は彼女のおかげで最強に楽しかった。この頃くらいから、自分に引け目を感じなくなったと思う。ありがとうBFF。そして、中学最後の1年が始まる。

3年生に進級すると同時に校長が変わり、それまでの学校のルールが大きく変わった。その一環として、私は一生同じクラスにならなかったであろう同級生と同じクラスになる。そこで出会ったのが、今でも大親友の女の子だ。びっくりするくらいに価値観も何もかも似ていて、一気に仲良くなった。それからはずっとその子と、3年から転入してきた女の子と3人でいるようになった。タイプは全然違うがお互いのマイペースさや価値観や押し付けがましくないところやサバサバ感がちょうどよかった。毎日帰りにマックに寄って、ひたすら駄弁り続けるといういわゆる青春を送るようになった。その頃私はもうアメリカの高校に行きたいと考えていたので英語の勉強もしながら、友達とひたすら遊んでいた。成績はよく、見た目は優等生ぶっていたので先生にも怒られず呑気に過ごしていた。あの1年が10代で一番青春していたと思う。

しかし同時におかしなことになり始めたのもこの頃だ。母子家庭でずっと生きてきた日常に、乱入者が現れた。その乱入者は急にやってきて、気づけば私は親と家で会う回数が圧倒的に減った。しかしその頃には私は何時間話しても足りないくらいに仲のいい友達に恵まれていたので、大して気にすることはなかった。しかしその乱入者はどんどん生活の中に割り込んできて、私はどんどん家が嫌いになった。「アメリカの高校に合格すれば寮に入れる。」私は家を出ることをモチベーションに英語の勉強に勤しんだ。結果無事に合格し、アメリカ行きが決まった。友達も無事進学先が決まり、3年の終わり頃にはひたすら3人で遊びまくった。卒業式は大泣きしたが、私は意気揚々と新生活の準備を始めた。アメリカは9月入学なので、渡航するまでは友達とも頻繁に遊んだ。乱入者に関心も湧かないくらいに私は浮かれていたのだ。大学の心配をする必要もなく、ずっと行きたかった高校に合格でき、家からも離れられる。しかし、そう簡単にうまく行かなかった。むしろ最悪の事態に陥る。

次回、「ニューヨーク0泊2日の旅」

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