ちいさな世界

東京ディズニーランドに行くと、ちいさな世界に乗る。
It’s a small world.
メアリー・ブレアが携わった美しいアトラクション。世界各国の衣装を見に纏い、歌い踊る人形達。国によって楽器やリズムが変容する、一貫した旋律。シンプルだからこそアレンジが効くなあといつも思う。当然ながら、その楽器の音の方向に耳を傾け、顔を向けると楽器を演奏する子どもや動物。違和感がないように設計されているんだなあとしみじみ思う。
ちいさな世界は訪れる度に違う表情を見せてくれる。
その時の世界の情勢や、自分の精神状態や、なんやかんや諸諸の影響を受け、様々なことを感じたり、ふうむと思いを巡らせる。どんな風に印象が変わったか、4回分を書き留めました。自分用メモ。

1回目。
世界がひとつになった。と思った。カラフルな、色とりどりの世界が真っ白になることで、世界はただひとつである、と思った。感動で泣きそうだった。

2回目。
個性を白というひとつの色に塗り替えること。個性を殺すこと。そうして、白という絶対的な君主であったり独裁者だったりに、支配されるということ。
感動とは真逆の、恐怖と絶望に苛まれた。あんなにも美しいと思った純白が、こんなにも恐ろしいと思う。

3回目。
白く見えている世界はフィルター(或いは色眼鏡)を通した世界でしかなくて、そのフィルターは、色眼鏡は、宗教という名を持つのかもしれない、ということ。
教祖が白と言えば、彩り豊かな世界も白になる。そうして、見えていた色が見えなくなる。世界が宗教で染まる。当然のように。

最新(2022.5.13)宵猫さんと。
世界はひとつには成り得ない。世界平和は幻想。
目に入るもの、見るもの全てをどれだけ白く塗り潰したって、文化や歴史や、それらから培われた、積み上げられたもの、例えば襟の形やスカートの長さ、帽子の形は決して崩されない。どれだけ制限されても、個性は殺すことは出来ない。言葉や文化の違いは、救いであり、罰である。

3回目はリニューアル後だったので、そこかしこにディズニーキャラクターたちが配置されていたはず…だったのですが特に何も違和感を感じず。
ただ、4回目で一緒に行った宵猫さんがリニューアル後に乗るのが初めて、ということを意識したのか、現実世界とディズニーのキャラクターが介入したことで、現実(今までのちいさなせかい世界)と夢(ディズニーキャラクターが介入した、現実のようで現実ではない世界)が混在するのか…と思うようになりましたとさ。次回はここの着地点、自分の中での落とし所を考えられるといいのかもしれない。

ちいさな脳みそで色色ゴチャゴチャ考えています。
よく分からないなあと思った貴方様。正解です。
私も何が言いたいのかよく分からない。
頭の整理のために書いているので、今日はこれくらいで許して欲しい。
ちいさな世界。
どんなことを思いますか?

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