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あずき色の電車 (交換)

幼いころ、あずき色の電車が走る町に住んでいた。そこには、その路線の終点に当たる駅があった。駅の先に車庫や整備場はなく、線路がぷつんと途切れて終わっているのがホームからもよく見えた。電車が到着し客が降りると、必ず駅員が車両の中を歩いて、眠り込んでいる乗客がいないかを確認していく。到着した電車は、今度は始発電車となってその駅を出発するのだ。

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私の父は新聞記者をしていた。父は自分の仕事を「シャカイブのデスク」だと言い、私はその意味を「忙しくて家にいられない仕事」と理解していた。365日24時間必ず誰かが会社にいなければならないのだ、と説明されたように覚えている。実際、父と一緒に食卓を囲んだ記憶はほとんどない。

「シャカイブのデスク」だった父は、ときどき、私と姉を連れて出勤することがあった。年子の姉は小学生になったばかりで、私と姉はいつもセットで扱われていた。弟の世話に追われていた母に言わせると、二人一緒にしておけば安心、ということだった。

都心の駅に着くと、父は、職場に行く前に私と姉を連れて古本屋街へ向かう。自分は好きな本棚を見に行き、私たちには絵本や児童向けの書籍のコーナーを物色させた。しばらくすると父は私たちのところへやってきて、選んだ本をチェックし、時には「こっちの本のほうがいいんじゃないか」などと言い、自分の選んだ本と一緒に支払いを済ませる。それから、どこへ寄るでもなく再び駅へ向かい、父は、私と姉を下りの電車に乗せ、一人で出社するのだった。

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帰りの電車はいつもガラガラだった。私と姉は靴を脱いでシートの上によじのぼり、半分だけ背中合わせになって座る。背中半身を寄せ合い、顔はそれぞれ電車の前方と後方を向いた状態で、買ってもらった本を膝の上に広げる。

車窓から明るい日差しが射し込み、車内には、私たちのほかに、気持ちよさそうに船を漕ぐお年寄りの姿があるくらいだ。カタンカタンという線路の上を走る音や、時々聞こえてくるアナウンスがなければ、走行中はまるで時間が止まった長方形の空間だった。私たちは、物語の中に入り込むか、あるいは互いの背中にもたれて眠り込んだ。あずき色の電車が静かに終点の駅に着くまで。

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半世紀の時を経て、私は今、ときどき私を本屋へ連れていく人と一緒に暮らしている。私たちはそれぞれ好きな本のコーナーをうろうろし、それぞれ好きな本を買う。たまに、私は選んだ本をそっとその人に差し出したりもする。その人は本を受け取り「これを買うのね?」などと私にたずねたりする。そして、自分の選んだ本と一緒に支払いを済ませるのだ。

昨年の春、そのようにして私のもとへやってきた本が『進化思考』だった。


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