神奈川東部出身の意見ですが……

いつももやもやっとするんだけど5秒くらいすると忘れてしまうことをさっと書き留めておく。


・○○のことを「△△」って友人に言ったら伝わらなかったんだけど笑 ちな××県の北の方出身みたいな意見とそれにまつわる会話、ほんとにほんとにほんと〜に意味ねえな〜〜って思う。
・こういう方言やローカルな文化の話をする人って、言葉に無頓着すぎやしないかと。

・【言い訳1】日記とはいえネット上にupする文章だからいちおう言い訳しておくと、言葉に無頓着なこと=ギルティ、言葉無頓着即斬(言葉に無頓着そうな必殺技)、とは思ってない。それが人間の価値の全てではない、くらいに思っているだけだ。
・【言い訳2】また、方言や文化の違いについては私も興味深いものだと思っている。旦那の実家に行くといつも料理の味つけの違いや行事の過ごし方の違いを目の当たりにし嬉しくなってしまう。

・じゃあ何で全力でしょうもな〜〜って言うかって、そういう話を(特にネット上で)したがる人は、その反面、実のところ、まったく、地方ごとの差異に興味が無いのがわかるからだ。
・この手の人は、方言や文化の違いを「地域」の違いとしてまとめたがる。言語や文化・生活の風習の差異は地域よりもっと小さな単位のまとまりでの共通認識であるはずだ。完全にシンクロするのは、都道府県、市町村、集落……より小さい、家庭。これが最小単位であるはずだ。隣の家は完全に我が家と同じ文化で暮らしてるって、誰が断言出来るの?
・【言い訳3】同じ家庭を構成する個人ですら背景が異なることもあると思うけど、言語や文化は人間と人間が関わるときに発生するものだとしたいし、大抵の人の最初の・原始の関わりは家族とのものだとしたいから、する。そうでない人の話や、2020年はそうでなくなってきているかもしれないのだ……的な話は別の機会にしたい。うんあんまりしたくない。
・テレビのリモコンって各ご家庭で好きなあだ名をつけられてると思うんだけどそれを自分の住んでる市町村と紐ついてるように発言する人はいない。それは「リモコンの呼び名は家庭ごとに違うものであってしかも親のさじ加減とか時の運でなあなあに決まるもの」と各人が理解してるからだ。

・【閑話】それともテレビ自体の衰退によりもうリモコンにあだ名はないのか? 今のちっちゃい子供はよくYouTubeを見るというから、タブレットなどの端末にあだ名をつけるケースが多くなってるかもしれないな……。「お前んちタブレットのこと何て呼んでた?」スレが数年後の5ちゃんにはあるかもしれない。ていうかそもそもテレビにリモコンが無くて本体のダイヤルスイッチだけの時代があった。何なら物心ついた頃の実家のテレビはそうだった。つまり自分よりもうちょっと上のダイヤル世代は過去の5ちゃん(それは2ちゃん)「お前んちテレビのリモコンのこと何て呼んでた?」スレを見て「そうか若い子たちはアレありきで育ったからリモコンにあだ名が……!」ってなってた可能性が……って、書いてる途中にハッとした。

・方言や文化もテレビのリモコンの呼び名と同じなのに、何故地域でくくろうとするのか、くくれると思うのか。要は、感じていたのはそういうもやもやだったという話。
・関西弁とか北海道弁とかっていうわかりやすいラベルは、学者の方々が苦心の末に便宜上貼ったものであるのに、逆にそのラベルの数しか地方のバリエーションが無いと思う人が少なからずいるというのは逆にすごい時代だとも思うんだけど。
・テレビかラジオか電話か、電車か新幹線か、具体的には何だかわからないけど、通信手段の発達で文化の共有相手がローカルからどんどん広くなったこと。交通の発達で相対的に日本が狭くなったこと。そこらへんが文化や言語を平らにならしていき、いわゆる「標準語」が日本全国に根づいたんだろうな。あとは右へならえな国民性とかも関係するのかもしれない。結果的に文化は画一化して、だからこそみんな自分が浸っている環境こそが普通だと思っているし、違う文化は遠いものに思っているように見える。遠いもののラベリングについて人は雑になりがちだ。それこそ関東から遠く離れた場所に住んでる人が、関東のことをまるごと「東京」と表現するように。私も昔、フォッサマグナより西の本州はみんな「関西地方」だと思ってたし、吉本芸人みたいな関西弁を喋るんだと思ってた。(こうやって安易に「私も」と言うのが無頓着なんだよね。他人が同様であると前提にするなって)
・地方でくくる人は無頓着ゆえに、××地域を代表してるっぽい感じになるのももやもやポイント高い。
・しっかしさ、「××市住みですが〜」って文章の入り方すごくない? 無意識に主語でっかくなってるよ? 統計のために良かれと思って地域名書くんだろうけど、お前が主語大きくしてるせいで逆に統計をゴミにする可能性に気づけよ。……とね、言葉が荒くなっちゃいがち。

・神奈川東部に生まれ、近くにある母方の実家と母の影響を受けて、母方の実家のあたりで使われる方言(中居くんがよく使う湘南弁ではない)を標準語に混ぜてたまに使いながら育ったが、たまに、だったのは、同じ学校に同じ方言を使う子がいなかったからだ。何故かはわからん。おばあちゃんと同居してる子いっぱいいたろうに。
・母の実家の近所に住んでる同じ歳の人と話をしたとき、「たまに出るそれどこの方言〜?www」って煽られたことがあった。君の家のあたりの年寄りが使ってるんだよ、と言いたかった。その人は多分外から引っ越してきたか何かして近所の人と話す機会がなかったのかもしれないし、ずっとあの方言に晒されてたけど影響を受けずに標準語で育ったのかもしれない。
・こういう変な環境で育ったので、私は私の文化のことを地域代表として話すことは到底無理。

・あとさ、こと遊びにまつわること(トランプゲームのローカルルール・グーパージャンケンの掛け声・天の神様の言うとおりの文言)は隣の小学校行くと全く通じなかったりするのに何故か未だに地域を引き合いに出そうとする人いるよね〜。都道府県や地方で母数の多いアンケートして、やっと「この県では△△が多い傾向にある」程度のふわっとした傾向が見えるかどうかだと思うから、ちょっとした遊びの場で言うのはまーーー無意味。気まずい人と喫煙所で二人になってしまったときのネタにするなら無難でいんじゃないの、的な無責任で5分話が保てばいい的なシチュエーション以外で言うな。

・言葉や文化って、本当に小さい集まり(家族など)それぞれで異なっているのは当たり前で、でも近所ならば異なる箇所は少なくなりがち。
・この前提に気づくことなく「○○地方では××のこと☆☆って言うんでしょ〜知ってるよ〜」みたいな何の実りも無いやりとりして楽しそうにしてる人は、前提抜けてるのに一見興味深げな顔をしてるから憎たらしい。
・文化は地域にあるものではなく、そこに住む人達の中にある。それをわかってないと、いずれ真っ平らにならされちゃってメイン以外の事柄は消えてしまう。最大公約数を拾うことすらできなくなったら……別に人類滅亡とかは無いけど、絶対そんなのつまんないぞう。

・ちなみにうちは、テレビのリモコンは「ピッピ」だった。ダイヤルはもう記憶うっすいけど「ガチャガチャ」だったような気がするな。今度親に聞いてみよ。

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