さとのば大学卒業して

地域を旅する市民大学であるさとのば大学を3月17日(私の場合は色々あって19日)に卒業しました。ここで私が成長したこと、これから目指したいものを自分に言い聞かせる意味でも書き残したいと思います。


「自分発で何かしたい!!」で飛び込んだ

私の中でのさとのばの一番大きな目標は、「自分発で何かをしたい」でした。これはなぜかというと、高校時代から、私はずっと「誰か発」のプロジェクトに乗っかってきて、自分から何かアクションを起こす、という経験がなかったから。それはプロジェクトの起こし方がわからなかったこともそうだけど、一番は勇気が出なかったから。自分に自信がないから。多分私は周りが思ってくれるほど器用じゃないし、生きるのも下手くそだなーって思うし、できることほとんどないし、なんかわかんないけどとりあえず自分に自信ない、って感じ。このモヤモヤしたなんとなくの自信のなさが、自分から何かアクションを起こせたら自信に繋がるんじゃないかって思って。そうしたら、私の夢の「世界中から福島を羨ましいと言わせたい」に繋がるんじゃないかって思って、さとのばに参加しました(ほんとはもっと前段階があるんだけど長くなるので今回は割愛)。

そんな単純な理由だけで見ず知らずの土地である西粟倉に飛び込みました。めちゃくちゃ知ってる南相馬でも良かったし、何なら私がずっとやりたいと思っている放射線の問題は絶対さとのばの提携先にあるめちゃくちゃ知ってる南相馬のフィールドがピッタリだけど、あえて今回は南相馬を外しました。自分の知らない場所に一歩踏み出さないと成長できないと思ったからです。さとのばの同期の言葉を借りるなら「Confort Zone」(自分が全てをコントロールでき安心できる場)から「Stretch Zone」(Confort Zone から一歩外に出た挑戦の場)へ飛び出さないといけないと思ったからです。いつまでも自分に自信ないし、何なら根っからの引きこもりだけど、ここだけは腹を括らないと意味がないと思いました。


自分発、Something Niceを伝えること

自分発で何かしたい、そこで私が選んだのは「西粟倉で見つけて感じたSomething Niceを西粟倉を知らない人に向けて伝える」ことでした。これをやろう!と思えたこと、実際行動に移せたのは私の根っからの「表現者」気質ではないかと思います。12年エレクトーンをやってきたこと、絵を描くのが好きなこと、話すより文章で書く方が得意なこと、…。そしてそれを鍛えてくれた、エレクトーンでいろんな人の声や音を楽器の組み合わせで表現すること、黙々絵を描くことができたこと、『高校生が伝える福島食べる通信』で鍛えられた文章力、SS部(科学部)で鍛えられた観察力と論理力と客観的な目線、伝え方。どれもバラバラだしサイエンスとアートで真反対に見えるけど、「表現する」って根っこは同じだってことに今更ながら気づきました。だからこれからさとのばを離れて自分発で何かをするときも、「表現する」ってことが私の中のキーワードになりそうです。


成長したこと:言語化

これはもうめちゃくちゃ鍛えられた気がします。モヤモヤをめちゃくちゃ蜂の巣状態で突っつかれた…。それをモヤモヤのまま言葉にできない、考えてることの10分の1も言葉にできないってことがほとんどだったけど、7分の1くらいは言葉にできるようになりました!!(いやまだまだ足んねーわ)


成長したこと:自分のキャパ

「私って他人より圧倒的にキャパシティねーな????」と気づきました。どこかに余白のある生活じゃないと軽率に心が死ぬし、体調悪い時が他人よりも圧倒的に多いので、余白をしっかり取ってスケジューリングしたり計画立てないとダメだな、と感じました。超超最低基準(健康で文化的な最低限度の生活のさらに下、あと1ミリで死ぬど、ってレベル)で一日30分は日記描いたり本読んだりしないと私は心が死ぬみたいだ、と気付きました。あとそろそろ貧血治そうね私。医者に「何で立って歩いて生きてるのか不思議なレベル」って首傾げられてんぞ。あとそろそろ血小板ちゃんの過疎レベルが看過できなくなりそうなのでそこもがんばりましょう。そんな不健康優良児の私ですが、ちょっとずつでもできる範囲でキャパ増やしていけたらいいなと思います。


これからの目標:Something Niceを伝え続けたい

今回飛び込んだ西粟倉で見つけたSomething Niceをこれからも伝え続けられたらいいな、というのが1点目です。一回作って売って終わり、って勿体無い気がして、あと西粟倉のSomething Niceがめちゃくちゃ素敵だから布教したいってオタクの性。しょうがないじゃん根がクソオタクだって言われてんだから。これからも西粟倉に関わり続けたいなという思いと、ここから地域や地方を盛り上げるような仕組みづくりとかしていけないかなって思いと。これから西粟倉の人との関わりどうするのーとか、今回作ったものを作り続けていくのどうしよーとか、私が作るとしてプランどーしよーどこで売ろーとか、色々考えるべきことはあるけど、なんかまぁ自分のペースで進めていけたらいいな、と思います。だって私キャパ小さいので!!(ここで綺麗なフラグ回収)


これからの目標:「科学翻訳家」になりたい

これは私の人生の目標かもしれないです。今回、私の根本が「アート」にあるという気づきがあり、それが私の武器になり得る、ということにも気付きました。この気づきと、「放射線をわかりやすい言葉で伝えたい」というずっと抱えてきた思い、「科学翻訳家」という言葉はこの2つから思いついたことです。

高校時代、放射線関連でお世話になった方が「これから必要なのは、科学者と一般の人とを繋ぐ通訳のような人間」とおっしゃっていました。当時の私にはこの言葉がものすごい刺さって、大学生になって環境社会学という学問に触れて、それを修めたいと思ったのもこの言葉がずっと心に引っかかっていたからです。文系で科学部にいて、放射線という物理学の中でもわけわかんない部類の学問領域に必死に食らいついて、それを福島で生活している放射線について深く勉強していない人に説明しようとした時に感じたあの壁を、私が一番初めに放射線というものに触れてぶつかったあの壁を、もっと楽に乗り越えられる梯子をかけたい、と思いました。多分その梯子をかけるのが「通訳」みたいな人なんだろうなーって思っていたけど、私はちょっと違う、「翻訳家」という言葉をあえて使いました。

研究者の難しい専門用語を一般の人にわかるように言い換える、という点では同じです。でも私がやりたいのは、研究者の言葉をリアルタイムで言い換える「通訳」ではなく、私の「表現力」という武器でじっくり考えながら一つの「作品」を作る、「翻訳家」に近いのだと思いました。その表現方法や言い換えの仕方が物語だったりアートだったり音楽だったり。そこはこれから私が試行錯誤して、高校時代にぶつかった壁を当時とは違う方向からよじ登って梯子をかけていくのだと思います。



最後に:まとめ

さとのばで「自分発で何かしたい」という目標はとりあえず達成しました。これからさとのばでの学びをどう生かしていくのか考えていくことが目標です。「卒業」ってただの一つの区切りにしかすぎなくて、人生って区切りなくずっとずっと続いていくものだから。例えるなら本の第1章とか第2章って区切りでしかなくて、これから3章4章って続いていくもので、後になって前に出てきたものをどれだけ活かせるのが作者=生きびとの腕の見せ所であり、役目だから。フラグは綺麗に回収してフルコン目指していこうぜ!!の気持ちです。最終章で、「いい人生だったな」って笑い飛ばせたら万々歳だし、私はきっと最終章までだだだーーっと突っ走っていくような気がしてるので。

てか何でさとのばの話から人生観の話まで脱線してんだ(途中で我に返るな)。

とりあえずまとめると、「さとのば大学出身です」って胸張って言えるようになるくらい、これからさとのばを一つの起点に成長し続けられたらいいなって話!!


2022年4月6日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?