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旧東海道歩き5 品川宿と道幅など

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gooの古地図、ここまでしかなかった。。

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京急線を横切って、いざ、品川宿へ

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そして、八ツ山橋、JRをまたぐ跨線橋。
跨線橋という名前も、東海道を歩いて知ったのだった。

はまれぽで、青木橋と八ツ山橋で、どちらが日本初の跨線橋か、という検証をしている。
そして、「八ツ山」という地域の名称

元々、ここら辺、山だったのを、江戸時代に、道路整備や目黒川の洪水復旧、護岸整備のために切り崩され平地となってしまったとのこと。

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あと、品川宿の辺りは、都内に残ってるの信じられないぐらい、江戸時代の街道の「感じ」があるんだよね。
大体、道幅が、ギリギリ車がすれ違えるぐらい。

川崎宿から保土ヶ谷宿まではほぼ3間(約5.4m)、それより以西では2間から2間半と狭くなっていることがわかります

それと、いわゆる、町家が続く感じ

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もちろん、この建物が江戸時代にできたとは思わないけれども、スタイルとしては、完全に町家

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その町家が軒を連ねる風情が、今でもたっぷりある。

そして品川と言えば岡場所
本来であれば、日本橋から出発して、品川に宿を取る必要は無いわけです。
なのに、ある=別の事情がある。
非公認の遊郭として、1つ目の宿場町
・東海道の品川
・中山道の板橋
・甲州道中の内藤新宿
・日光道中/奥州道中の千住宿
この4つを江戸四宿と呼ぶらしい。
で、よく、時代小説とかで、商家の放蕩息子が逗留しているイメージ笑




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