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旧東海道歩き9-3日目 川崎宿と宿場町

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もう、さっさと歩き始めよう、と。
ネカフェを出て、西へ。
朝早いから、影も長い!
そうだ。宿場町の構造の覚え書き。

まず、宿場の境界が棒鼻。宿場のはずれの語感
そして、宿場の入口、たいてい、桝形になっていて曲がってる。
で、これが、江戸方面は「江戸方見附」、京方面は「京方見附」「上方見附」って呼ばれる。
で、見附付近に木戸があって、夜は閉められる。
問屋場は、人馬の継立、助郷賦課等の業務を行った、まぁ、お役所みたいなところ
本陣は大名が泊まる宿
脇本陣は、そのおつきの人とかが泊まる宿
旅籠は庶民が泊まる宿、飯盛女がいるところ
一番安いのは木賃宿で、ご飯は旅人が自炊する

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そして、こちらが、棒鼻に、その日に泊まる大名の名前を掲げた関札のレプリカ。
「加藤遠江守宿」と書いてあるそう。

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芭蕉句碑
郷里の伊賀に帰る途中に川崎宿で門弟たちと別れる時、1694年に読んだ句

麦の穂をたよりにつかむ別れかな

芭蕉句碑、ほんと、いたるところにあるんだけれども。
これは、門弟たち、作りたくなっちゃうのかね。。。
そして、松尾芭蕉が亡くなったのも1694年。
で、これ、、先に書いてしまいますが。
ほんと、ゆかりがあるのか無いのか分からないところに、芭蕉関係のアイテム、ちりばめられてるのよね、、、
でさ、義仲寺に「芭蕉の墓」みたいな看板あったんだけど、有料だし、「またまた~」と思ってスルーして、戻ってきて調べたら、え?本当に遺言で、木曽義仲の隣に墓を作ってくれって言ったの??と。
しくじった・・・

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