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旧東海道歩き14 権太坂と投げ込み塚と江戸時代の旅行

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何気に分かりにくい、権太坂の入口。
間違えて、現東海道をけっこう進んでから、戻ってきた。。。
そして、権太坂と言えば、箱根駅伝。

もちろん、駅伝で走るのは現東海道だけれども。
そして、ここは、日本橋から歩いてきて、一番最初の難所なのだと。
まぁ、もちろん、舗装もされていないし、草鞋だし、特に雨の日は歩くのしんどかっただろうなぁ。
それと、まぁ、宅地造成とかで坂が削られてるのは想像できるとしても、とは言え、そこまでの難所か?とは思ってしまう。

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で、しばらく登っていくと、台地、みたいな感じで、平らで、不思議だった。
こちらは、光陵高校の垂れ幕。

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で、ここ、投げ込み塚(無縁仏を供養する塚)があるんだけど、、、そんなに難所だったのかなぁ。。

井戸に投げ込んでいたのだと。
その井戸、使えなくならないか???

そして、こういう塚、街道沿いに色々あるんだよね。
牛馬の塚とか。
あとは、遊女の投げ込み寺か。

悲しい話。。

そもそも、江戸時代の旅行。
まず、前にも書きましたが、大山参りとか、伊勢参りとか、ああいうのって、そもそも、講で、共同出資した中から旅費を捻出していくものだけど。

なぜ講か、って、自分だけの資金じゃ行けないから、共同出資のグループから代表者を選んで、行ってもらう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9B

だから、「はい!私、明日から大山に行ってきます!」とはならないはずで。
そうなると、江戸時代の何割の人が「旅行」をしたんだろうか。
そして、そんなことを考えると、旅行が好きな私は、良い時代に生まれたな、と思ってしまう。
江戸時代の人たちの行動範囲、めちゃ狭いらしいし。
そうすると、やっぱり、東海道を歩くこと自体が、贅沢だなー、と思ってしまう。

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