いソノてルヲさんのこと。

1980年代前半までにラジオでジャズの薫陶を受けた人なら誰しも、いソノてルヲさんという音楽評論家の名前を知っていると思う。
なんでも、元米国大使館員 なんだそうだ。
ロックでいえば渋谷陽一さん的な人だ。
こういう言い方をするのは、勿論含みを持たせるためだ。
オスカー・ピーターソンと仲が良いことを何かとひけらかす気障な語り口のいけ好かないおじさんで、「テリーズ・ブルース」というピーターソンの自作曲を自分に捧げたものだと言い張っていたが、本当はクラーク・テリーに捧げた曲である。
いささか不憫ないソノさんだけど、スウィングするとは何かということを彼の選曲から学んだ、とオレは思っている。
中学生の頃聴き始めた2時間枠の『ジャズフラッシュ』は、いソノさんひとりでMCを務めていたが、後の番組改編でこれが40分に短縮され(渋谷さんの「ヤングジョッキー」が日替わりMCの「サウンドストリート」になったのも同時期)、『ゴールデンジャズフラッシュ』と名を変えてから、MC担当を本田俊夫さん(俊之さんの父君)、行田よしおさんの3人によるリレー形式となったのだけれど、これが互いの得意分野が如実に現れた格好で良かった。
行田さんは日本人ミュージシャンによるディキシーランド・スタイルのジャズ、本田さんは白人中心の西海岸ジャズ及びチコ・ハミルトン等のサード・ストリーム・ミュージック、そしていソノさんは50年代後半〜60年代初頭の黒人中心の東海岸ジャズ。
今や定食屋やカフェでは小洒落たBGMとしてジャズがかかっていたりするけれと、そんなときオレはいソノさんのラジオの声を思い出したりしているのだ。
余談だけど、意外にもウェザーリポートのライブ・イン・トーキョーの冒頭に、司会役だったいソノさんの声が収録されているのは豆知識な。

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