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好きなことを好きなだけ発信できる場所が無くなってきている

好きなことを好きなだけ発信できる場所が無くなってきている、と感じていることに気づいた。

98年ごろにインターネットの世界に出会って、自分でホームページを作って趣味を1000%爆発させて音楽を語りまくって、そんなゴリゴリな趣味が合う人が不思議なことに少なからずいて、掲示板やらなんとか通信で出会って好きなだけやり取りすることができて心底が楽しかった。

気づくとSNSはいつの間にか他者に気を遣った内容・頻度が求められるようになってしまった。自分が発したい事よりも他者が欲しているものを発しましょう。何者でもないあなたのポエムなんて誰も読みたくありません。タイムラインが汚れます。なんかすみません。

じゃあ誰にも見られない場所で好きなだけ発すればいいじゃないか、という答えがすぐに出てくるけども、やっぱりそういうもんじゃない。発するからには受け取ってもらいたい、読まれたい、聴かれたい、観られたい、そのままの姿で繋がれる相手を欲している。承認欲求ですか?その通りです。
かつて、公序良俗に反しないいわゆるマトモな範囲で好きなように発信し、受け取って濃いコミュニケーションした体験があるからなおのこと窮屈さを感じる。

現実世界では社会人を演じ、家庭人を演じ、法律や村のオキテを守ってるのだ。その全部とは言わないまでもネットの世界ではそれを解放させたいじゃないか。

ところがこの四半世紀の間にネットの世界も第二の現実世界だったり、現実世界と地続きの世界だったりになってしまった気がする。

と、ここまで書いて「うん、これ要らない記事だわ」と気づく。
だってnoteはだいぶ好き勝手書ける場所だものね。

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