「個性」を袋叩きにしながら「個性」に好きと囁くDV社会
僕は現在進行形である実験を行っている。髪色をちょっとずつ明るい青色にしながらどの段階まで怒られずに職場を過ごせるかという実験だ。
まだ始めたばかりなので黒髪がちょっと青みがかってるくらいであるが、仕事の取材相手に不安感を与えない程度まで青くしていくつもりだ
不思議なことだが学校や就活は「個性は大切」だと言いながら個性をとことん抑圧している。学校では制服が用意され、髪の毛の色や長さも指定される。果ては靴下やスカートの長さ、シャツのボタンの何番目まで閉めなければならないなどということまで厳しく決められている。未だに行われていることかは知らないが、僕の高校では女子生徒のブラジャーの色まで白かベージュに指定されて、男性教師が透けたブラウスごしにチェックするということが平然と行われていたから驚きである。
こうして学校で個性を抑圧された子供たちが社会に出る「就活」という儀式の頃にはもうこれだ
誤解を恐れずに言えば、同じ服装、髪色、髪型の労働ロボットのフリーマーケット化しているのが現在の就活というヤツである。
僕は就活の写真を見るたびに手塚治虫先生の『火の鳥 復活編』を思い出すのであった!
社会に漂う「個性というものを憎み攻撃しながら個性は大事だよ」という空気とそこに疑問を抱かず屈服していくこの感じ、彼女に暴力を振るいながら「好きだから怒ったんだよ」ってギュッと抱きしめるDV彼氏と愛されてると勘違いしてまた彼氏の元に戻ってしまう彼女の関係を見ているようで気持ち悪い!!
日本が古来から持っている集団主義的な文化、明治維新の富国強兵政策で取られた均質化教育が大きく見直されることなく21世紀の現在でも最大限の効果を発揮してしまっているのだ。
接客業でなくてもスーツを着るしかなく、髪は黒か茶で、女性はスカートを穿かなければならない職場も未だに数え切れないほどある。合理的な理由などそこにはないし、もしあるのだと主張する人がいれば、是非教えて欲しい。論破する自信があるので是非議論しようではないか!
もうこの個性抹殺への強い意志は実社会でもだいぶ破綻してきているので、個性というものが尊重、重視される欧米社会の人がタトゥーを理由に銭湯に入れないということも起きている。
刺青はかつての日本で罪人に入れる慣しがあった。罪を犯し続けるごとに「犬」という文字を一文字ずつ入れて、五画目の罪で死刑になる地域もあった。またヤクザが倶利迦羅紋々なる刺青を掘っていた関係で刺青=犯罪者の偏見が根強いが、それもあくまで偏見だ。アイヌ(蝦夷)や琉球・奄美群島では成人になると刺青を掘る文化があったので、刺青への偏見は文化弾圧にすら当たると思う。
たまにニュースなどで「刺青を入れたことを後悔している」という人が刺青を消す為にクリニックを訪れる様子などが放送されているが、後悔すべきはそんな偏見と差別で人を蔑んだ目で見る人たちとその偏見をただ垂れ流しにするメディアの方だろう。
人の個性を馬鹿にしたような「空気至上主義」をいつまで続けるのか。おじさんたちに期待はできなそうなので僕は髪を染めることでちょっとずつ反抗していきます!
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