Eスポーツ最大の特徴は「公平性」

プロボクサーのパンチと、俺のパンチ力は雲泥の差である。
ところがプロゲーマーと俺のパンチ力は、同じキャラを使っている限り変わらない。

審判が人間である限り完璧なジャッジは難しいし(国際戦や採点競技なら尚更)、ルールに守られた格闘技も、意図せぬ反則打が勝負を決めてしまうこともある。
ところがゲームの場合は常に平等なジャッジが行われ、画面には再現性がある事実だけ表示される。(ラグとかは一旦置いとく。チートなんか論外)。

この公平性が体を動かす一般的なスポーツとEスポーツとの一番の違いだと思う。特に上述したプロだろうが素人だろうが、同じ入力に対して出力される結果が変わらないという点はメチャクチャ大きな違いだよね。普通のスポーツだったらパンチ力を上げるために筋トレやフォームの矯正とかするんだろうけど、ゲームだとそういった過程が一切ないんだもん(勿論入力精度を高めたりとか、別の類のトレーニングは必要になるんだろうけど)。

NBAの派手なダンクに130cmの人が憧れても、絶対にダンクはできるようにならないけど、プロ格闘ゲーマーの超絶コンボも、入力さえ正確に出来れば130cmの人でも出来ちゃうんだもん。
ここまでなら、普通のスポーツよりEスポーツは門戸が広いため、タイトルをEスポーツ最大の利点は「公平性」にしてもよかったんだけど、そう良い事ばかりではない。

イカれた体格の選手とか、常識外れのフォームの選手とか、体格では劣るけどそれが逆にバックボーンになっている選手とか、とにかくゲーム上のキャラクターとは比較にならない個性が現実の人間にはある。Eスポーツの選手だってプレイスタイルが様々で強い個性がある、という反論も勿論あるだろうが、身体的特徴が競技に如実に反映される分、体を動かすスポーツの方が個性という面では勝ってるんじゃないかな。昔俺のやってた対戦ゲームで、強いとされる行動を繰り返す、型にはまった戦い方をするプレイヤーを「量産型」と揶揄する風潮があったんだけど、体を動かすスポーツでこうした蔑称は殆ど聞いたことないもん。

やっぱり興行として、こうした不平等さが選手の特徴として色濃く反映されるのは、大きな魅力に感じる。だからタイトルでは公平性を利点とはせず、特徴としたのだ。


ネットとかでもEスポーツに対して、「テレビゲームをスポーツ扱いしていいのか?」「そもそもスポーツとは体を動かす事じゃなくて競技を指す言葉で~」とかそういう議論ばっかりでこういったことはあんま語られてなかったなと。

この記事を書いてみて一番感じたことは、揚げ足を取られないために、括弧書きでの補足を多用しすぎて歯切れがわるい文章になったことだ。

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