2020_1020
自分がまだ愛知に住んでいて、名古屋で熱心にバンドをやってた頃。
(sukida dramasってバンド)
2014年くらいのときで、確かバンドはレーベルからシングルを1枚リリースした直後で、そんでアルバムリリースを控えてた時期だったと思う。
今だから書くけど、そのとき色々なストレスや悩みでぼくもメンバーも超いっぱいいっぱいな時期だった。メンタルがかなりやばくて、シングルの売れ行きも芳しくないし外側も内側もまぁまぁ問題だらけで、まぁバンドやってたらよくある悩みの類だとは思うんですけど、結構悩み多き時期だった。なにこれ?みたいな。まじでやばい時期だった。暗黒だったと思う。
そんなときに赤い公園からワンマンツアーの名古屋場所のオープニングアクトのオファーがとつぜん来て。
当時赤い公園と僕らじゃ人気なんかもちろん天と地の差があって、
「なんで!?!?!?」って感じだった。(ほんとに全然売れてなかった...)
それでその後オファーの経緯を聞いたら、津野さんが名古屋の知人に名古屋バンドをいくつか紹介してもらって、色々聴いて、結果的にぼくらを選んだって言ってくれたんですよね。それはそれはまじびびった。そんな選び方最高のやつじゃんって。
当日迎えたらお客さんはもちろん満員で、自分らもライブもいい感じに出来て超楽しくて。めちゃめちゃ覚えてるんだけど、赤い公園のお客さんが最高すぎてその日物販が人生で一番ってくらい売れたんですよね。これホントにめっちゃ覚えてる。赤い公園のライブも死ぬほど良くて、超かっこよかった。打ち上げもめちゃめちゃ楽しかった。みんないい人で最高だった。
今でも1年に一回くらいは誰かとこの話したり、思い返したりする。笑
人生の恩人だとか大それた事全然言うつもりはないんですけど、津野さんがその時OP ACTに選んでくれたのはほんとにマジでメンタル的に超助かって。暗闇に差し込んだひとすじの光というか。
「あ〜、こうやって、自分たちを選んでくれる人もいるんだ...」ってすんごい嬉しくて、個人的にめちゃめちゃ救われたんですよね。ほんとにほんとに当時キツかったので。
とにかく当時は「赤い公園のOP ACTに出る!」というイベントが、浮いた話がぜんぜんないぼくらにとって超浮いた話だった。笑
そんなこともあって、勝手に津野さんをはじめ赤い公園の皆さんには「あのときはありがとうございました...」という想いをずっと抱えて過ごしてきた。
だから津野さんが亡くなったと聞いてボーゼンとなった。
誰が死んでも悲しいけど、縁あった人が死ぬのは結構食らっちゃうな。
実際、情報はなんとなく追っかけてたけど、共演してからお会いしてもいないし、なんか人の死に乗っかって偽善っぽいこと書いてるようでなんだかなぁという気持ちも正直あって、まとまってないんだけど。
だからこの文章は本当にただの自己満だけど、書いておきたくなったので書いてみた。
ご冥福をお祈りします。
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