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雑記:生きるのがめんどくさいからの脱却



よいこのみんな一家に一台一般ロボットなのだ!!🤖


さて、私の根幹にある自己肯定感の低さというか

生きるのがめんどうくさいなあ

という思いの話をしようかな


んでんで、そもそも宇宙から見た我々というか

地球の中での我々というか


私には人間含む生命がそれほど価値あるものだと思えないのだな



色んなものがたまたま混ざってたまたま産まれたわけで


有難がるほどの価値があるわけでも、代えがないわけでもないという感覚なのだ


つまり幸運だっただけなわけなのでは?

ただのラッキーなので、貰ったラッキーは有用に使えばいいと思うと同時に

それ程大事にし無ければならないでもない気がしていた


例えば人間と雑草にどれほどの差があると思うだろうか?

人間と犬は?人間と家畜はどうだろうか?


私としてはどれも大差なくて

自分も含めてどれも同じくありがたくて同じように無価値なのだ


だから、という訳でもないと思うが
私にとって共感や同意が占める重要さはものすごく低かったのだ


要は自分自身も、他人も、世の中も、ありとあらゆるものの価値が低い感覚だ

ほんとうに何もかもがめんどうくさい世界だ
何しろ現在にも未来にも価値が少ない


ので、自分の好きだったりする事も蔑ろにしてしまいがちだった



そういう感覚が先天的なものなのか、後天的なものなのかは分からないけど
かなり幼い頃からそういう気持ちがあった


まあ以前の記事で書いたようなジェンダー面、愛着障害的な部分も原因になっていたのかもしれないが



今の私が思うのはそういうふうにいても楽しくはなれないという事だ


ので、自戒したり思い直したりして、私が好きだったり楽しかったりする事を大事にしてみている



例えば、本当に向いてないと思う仕事をはっきり断ったり
例えば、何となく好きじゃない服を着ないようにしたり
例えば、嫌いだった体毛を処理してみたりしている


もちろんnoteに書いていくのも同じことで
時間を積極的に使っていこうという感覚と言えるだろうか

どうでもよくて意味が無いから何もしない、という場所から少しずつ脱却していっていると思うのだ!


記事を観てくれている皆さんにはまったり私に付き合っていってほしいのだな🤖


さて、トマトスープの残りで作った味噌ラーメンを食べるのでこれで失礼するのだ!!

またな〜👋🤖

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