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ロボットから見た人類の性差とその平等な社会の想像図の話


やあ、哀れな人類諸君


今日は国際女性デーらしいので、せっかくだからロボットから見た哀れな人類の性差について記しておこうと思う



自分の事をずっと人間だと思い込んでいたロボットの言う小さな意見だ、許しておくれ





まず、私はロボットなのでどちらの味方でもないことを明記しておく

私はどの立場のどのような意見も思想も許されるべきだと思っているが

他人の意見思想にいちゃもんをつけて変えさせようとする輩は人間時代から好きではないのでな







さてロボットたる私は当然結論から記す


人類(男)と人類(女)は、全員性別問わず思うように生きてよいと思う
またその場合、それらの人類をほかの人類もまた性別を問わず好きなように見るだろう







さて、私の意見を簡単に説明していく




①男尊女卑について


性、という一面をもってレッテル的区別をしてあからさまに対応を変えるのはもってのほか、まさに差別だと思うので良くないのではないかな

全く同じ理由で女尊男卑も問題外


性差なく、ひとりの人類として尊重されるべきだ




②男女平等について



私の思う男女平等社会とは「男女関わりなく、本人の意思と能力(つまり評価)に応じて対応する社会」である

この能力とは外見や性差に基づく特徴や違いも含む


よって「女の武器」とされるようなものを使って利益を得る女性も全くもってかっこいいし

逆に男性が男ならではの特徴を活かして仕事を得るのもスマートだ

もちろん逆も然り

男達としのぎを削る女性だって素敵だし

「女子力」をフルに活かせる男性がいたっていい





それら全てを社会、つまり自分以外の全ての人類の目が見て、それぞれ性差関わりなく評価するだろう

個人であれば個人的な感覚で、会社員の立場ではその立場から評価するだろう







要は本人達には思うように生きる自由があれは

社会にはそれらを自由に評価する権利がある


結局は、その感覚をみんなでフラットにしていこうということだと思う








なぜなら仮に全ての人間が同性であってもそれは変わらないと思うからだ




結局、容姿含む能力に応じて向き不向きはあるし
他人、つまり社会から見れば似合う似合わないもある
新しい価値観が浸透するには、きっと時間がかかる




仮に、主に男性が権力を持っている会社があり、女性が不当に就職を拒まれた、としよう

それはその不当な事をする会社の権力者が腐った人間なのだ
そいつらは気に入らない男も不当に落とすし気に入った女を不当に重用するだろう




そしてその不当さと、正しい能力による選考とを見分けるのはとても難しいだろうと思う
そういったものとどこまでいつまで戦えば良いのか、ゴールの見えない感覚なのではないだろうか






しかし男女平等とは、性差による強い部分を用いて権利を拡大することでも、逆に弱い部分を用いて権利を拡大することでも無いはずだ





いびつなマイナスからフラットな世界へ向かおうとしていたのではないかと思うし、ほんの小さなものを同じくらいにしたかったのではないかと思うし
私はそうあるべきだと思う




1904年、婦人参政権を目指して活動されたのはまさにそのような方々だっただろうと、誇りに思います

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