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絶対音感考

今日も言われました。

「絶対音感があるんですか?」

床屋に行って、タクシーに乗って、演奏家(音楽家)だと言うと、いつも言われる「それじゃあ絶対音感があるのですか?」という問い。

音楽家に価値があるのは、絶対音感をもっているからではなく、相対音感をもっているからなのです。以下、説明を試みてみたいと思います。

ドとミの間隔(長三度)、ミとソの間隔(短三度)etc。そして、ドミソ(主和音)、シレソ(属和音)、ソシレファ(属七和音)、さらに複雑になってゆく様々な和声(音の彩り)を操りながら曲をつくったり、演奏したりできる。ここで問われているのは、音と音の相対的な間隔。つまり「相対音感」になります。

さて、「絶対音感」が、作曲するにあたって、演奏するにあたって、ましてや調律するにあたって、かえって邪魔にさえなるものであるということをご存知ですか?

そもそもAが440Hzと国際的に定めらたのは1939年のこと。このAの高さ(ピッチ)を絶対的な音感としてもっている人を絶対音感があるというわけですが、それ以降も、例えばウィーンフィルはもっと高いピッチを採用していますし、アメリカのオーケストラは低いなど、世界で必ずしも統一されているわけではありません。世界に絶対的な高さがあるというわけではない。精巧な絶対音感を頼りにしている人は、約4Hzも違いがあるアメリカからヨーロッパに渡れないことになってしまいますね。

ましてや、それ以前、ピッチは各時代、各地で様々でした。18世紀のバロック時代、パリに行けばA=392Hzだったり(現在より約一音低い)、ドイツのある地域ではA=415Hzであったり(現在より半音低い)、古典派時代になると、430Hzの地域もあれば、隣街に行けばまた異なるピッチが採用されていました。

そんなことが当然の世の中にあり各地で演奏や作曲を繰り広げていた、バッハ(先祖・子息含む)やモーツァルトにとって絶対音感が是か非かなどという考えがあろうはずもありません。

たとえ、A(ラ)が世界どこに行っても440Hzとなったとしても、演奏する者がいつもラを440Hzで演奏しているとお思いでしょうか?イ長調のラ、ヘ長調のラ、ハ長調の第6音のラ、全て音高は異なります。「私は絶対音感があって、確実な440Hzのラを出しているのだから、あなたたちは私のラに常に合わせて音程をつくりなさい」、なんて言っている演奏家は一人もいなくて、同じラでも出てくる度に音程を微妙に操作してその都度純粋なハーモニーに近づけけるよう努めながら演奏しているのです。弦楽器だって、管楽器だって、合唱なんて最たるもの。ピアノは調律師によって音程が決められてしまいますので違いますが。

しかし調律においても、「平均律」により、12ある全ての音の間隔を等しく揃えて調律をするのが常識になったのは、20世紀に入ってからです(国際標準ピッチが定められた頃とシンクロ)。それまでの鍵盤楽器の調律にはさまざまなやり方(法)があって、必ずしも均等割されていたわけではありませんでした。調律法によってさまざまな高さのドやミがあったのです。

佐村河内守さんが耳が聞こえないのになぜ作曲ができたのか!もったいぶって〈絶対音感〉なんて言っている番組がありましたね。あれはかなりのインパクトを日本国民に与えました。作曲するにあたって大切なのは相対音感であって絶対音感ではありません。なにも分かっていない放送局が繰り返しあのようなデマを流したことによって、日本中に「絶対音感神話」のようなものが満遍なく広がってしまったのではないでしょうか。この罪は真の作曲家について検証を行わずに番組をつくったこと以上に罪深いものです。つくづくレベルが低い。嘆かわしい。

しかしながら、絶対音感があってA=440Hz(もしくは日本の標準ピッチと言われている442Hz)を拠り所とし、そのピッチでしか演奏ができない演奏者(歌手)がいるのも事実としてはあります。絶対音感があることを誇る演奏者がいるのも事実です。(往往にして、そういう人たちは合奏仲間をはねつけるようなピッチの取り方をしてくるものです。)

今は、クラシック音楽演奏界も多様化してきて、300年前のバロック音楽は当時の楽器を使って、当時のピッチでやろうという柔軟な考えをもつ演奏家たちがいます。そういう演奏家は、昨日はモーツァルトを430Hzで古典派タイプの楽器で演奏し、今日はヘンデルを415Hzでバロックタイプの楽器に持ち替えて演奏し、明日は、現代楽器で442Hzで演奏するという、柔軟な態度で演奏会に臨みます。そこには絶対音感に固く縛られた窮屈さはなく、ピッチにおいても表現においても、柔軟に時代と場所を行き来しようという自由さを見ることができます。彼らはより一層ピュアなハーモニーを求めようという志向が高いということを付け加えておかなければなりませんね。

プロの中には結果的にかなり精度の高い絶対音感を備えている演奏家はあたりまえのようにたくさんいますが、プロの演奏現場、作曲現場で、「絶対音感」のあるなし、もしくは精度の高さで、演奏家の格が落ちたり上がったりするというようなことは全くありません!ここ大事かも!!

ところが「相対音感」をもっていなかったら、誰も演奏(歌)することはできません(楽譜の読める読めないの話ではありませんよ)。相対音感(和声感を含む)の精度の高さによって音楽家を階級分けすることはできるかもしれません。それほど音楽家にとって大切なもの、命と言ってもいいものが和声感を含む「相対音感」なのです。重ねて言いますが、「絶対音感」は場合によっては邪魔になってしまうもの。音楽家にとって必ずしも大切・必要なものではないのです。

さて今日のタクシーの運転手さん、この説明で分かってくださるでしょうか?

さまざまな時代のさまざまなピッチのオーボエたち

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