見出し画像

儚いものは尊くて美しい、


大きなスーツケースが並ぶ電車の中、きっとみんな故郷に帰るのだ。私はというと、今年の年末年始は福岡に帰らず、2月の祝日と有給をくっつけてゆっくり帰省しようと思っている。

年末か年始、どちらから福岡に帰っていたので丸々帰らないのは留学していた時ぐらいだと思う。ここ数年は毎年少し無理して帰省していた部分あったから今年の年末は思い切って帰らないとだいぶ前から、決めていた。

-
水曜日、終電の電車に揺られながら車内であっという間に日付を超えた、こんな年明けは嫌だななんて思いながら。よかった、まだ28日だ。明日は仕事納め。そんなことを思いながら、飲み会で26歳は悩むみたいな話が出た、社会人になって数年、転職を経て1年、新しい土地に住み始めて1年半、パートナーと出会ってから3年は経っていた。確かにこの一年は、転職をしてゆっくりと時間を過ごせるようになれた部分もあって、よく今後の人生を凄く考えていて、これからどうしていくべきか、どうしていこうか、道を決めるために色々と考え込んだ一年ではあった。

1年に沢山のイベントがあるのは一年は意外と長いからそれを短くさせるための先人達の、一種の工夫なのかもしれないなんて思った、四季のおかげで時間が過ぎていることが体感できる、ずっと穏やかな天気の場所に住みたいなぁなんて思っていたけれどそれはそれで意外としんどくなるのかもしれない。冬も夏も終わりに向かっているから、儚いし、恋しく思えるから厳しい冬も長い夏も過ぎれば愛しく感じることができるのかもしれないね。
-

一昨年を痛みの一年と呼んでいて、去年は覚悟の一年だった。今年はそういう意味では、愛の一年だったかもしれない。だって、色んな愛に触れたから。それは単にパートナーとの愛が深まっただけの話では無くて、ヌードルという小さな犬を飼い始めて、無性や見返りを求めない愛を感じ、知った。ヌードルは来て一年も待ってないけれど沢山の愛を教えてくれた、愛おしい存在。もし明日、野生に放ったら、ヌードルは生きられるのだろうか?なんてたまに、考える。もちろん、赤ちゃんではなく、動物だから生きられるような気もするけれど、ヌードルはそれくらい私を必要としていてくれて、そんなか弱い存在を一生かけて甘やかし、見返りの求めない愛を与え続けようという覚悟は出会った時ももちろんだけど一緒に生活してきて強く持っている。

旅先で感じた愛がいくつかあった。愛媛を旅した時に触れた、見知らぬ人たちがくれた愛が温かったり、ルーヴル美術展に行った時、色んな愛を考えたり。SNSを通して、いつか会いたいなぁと思ったユナさんとはじめて会った時、きっとこれからずっと、定期的に会いたいと思った感情も今考えたら一種の愛の種だったと思う。

私の周りには無性の愛やきっと自分が苦しくなった時に助けてくれるような人達ばかりなんだけれど、そういうことをより、感じることができた一年だった。ただ、人間関係は以前書いたように去年と比べて新しい友人は出来てはいるのに、以前よりはすっきりしていて、自分に不必要な関係や一緒に居続けると価値観が違って苦しくなるなぁと思ったいくつかの関係にはそっと別れを伝えた。いろんな愛があるけれど、私の美学の中では、見返りを求める時点では本当の愛とは言い難いから。

やっぱり良い年だった、ここ数年には無い穏やかな一年だった。それは去年と一昨年の痛みや覚悟の年があったからだと思う、来年やりたいことも大体は決まっている。来年やるべきこともなんとなく見えている。きっと沢山勉強する年になると思う、

努力していて、果てし無く終わらせることが無謀だと思えるように見えることも分かってる。
だけれど、どんなに気分が悪くても、どんなに険しい岩山を登っていても、いつだって自分を解放できる、ただ、自分の行動に向き合って、修正できるものは修正し、やるべきをことで。
それがすべてだから。

来年は今年みたいに、穏やかな一年ではないかもしれない。けれど努力する準備もしんどいことに対面する覚悟もできてる、それに今年は穏やかで湖みたいな一年で、沢山愛を感じたから。


Side note :
今年も沢山、私の投稿を読んでくださってありがとうございました。Twitterに別れを告げ、皆さまとお話しする機会はきっと沢山減りましたが、noteを訪れてくれてありがとう。ここは、決意表明のようなものではなく、走り書きのようなものを徒然と置いていきたい場所にしたいといつも感じています。皆さんが良い一年になりますように。また来年。

フォローもいいねもとても嬉しいです。今年中に本を出すために執筆中です。自費出版なので、そちらの資金に使わせてください。沢山の愛をありがとう。