実らない努力をしていた学生時代の話

野球に明け暮れていた小、中学時代。


兄の影響で始めたものの、常に学年で一番身長が低く
「前へならえ」では延々と腰を当て続けていた自分には、

努力だけでは決して埋まることのない大きな壁にぶつかり続けて
その壁は壊れること無くあっさりと野球人生を終えた。


そんな万年補欠野球人生での"実らない努力"の話。

筋肉量、パワーや守備範囲等で圧倒的に不利な低身長、かといって類い稀な野球センスがあるわけでも無かった自分には
中学になると試合への出場回数はほぼゼロに等しくなり
レギュラーの座を取りに行く、という熱い気持ちは全くと言っていいほど無くなっていた。

通っていた中学の野球部は県内でも優勝するほどの強豪校で
平日はもちろん毎日朝練から放課後の練習、土日も朝から練習か試合の繰り返し。

そんな毎日を過ごしては年下にドンドン実力で追い抜かれ、
練習の成果を全く出すことなく、ベンチから応援を繰り返す日々。

ただ、それでも部活を辞めたいとは思わなかった。


一人で居残り練習をするのが好きだった自分は、休日の練習が終わった後、自分だけ部室に残り、全員が帰ったことを確認してはグラウンドで素振りや盗塁の練習をしていた。

一人で居残り練習をするために片づけたベースやバットを再び引きずり出しては、暗くなるまで練習した後にはグラウンド整備までして40分かけて歩いて家路につく。

周りから見ると、なんでレギュラーにもなれない奴があんなに頑張ってるんだ?って思われていただろう。
正直言うとどれだけ練習してもレギュラーになれる気なんて全くなかったし
練習したら上手くなれる!とか評価される!とかを一切考えていなかった。

ただひたすらに、無心に居残り練習をするのが好きだった。

"楽しい"という感覚ではなく"一人で無心に練習をすることが好き"だったんだと思う。

ただひたすらに無心でバットを振って
無心で盗塁の練習をして
無心でグラウンド整備をして
無心で40分かかる家路を歩いて帰っていた。

その時間がすごく好きだった。

そこに立派な考えやマインドは一切無かったし、人一倍練習したところでその先には何もない。
そんなことは分かりきっていたのに、来る日も来る日も一人で居残り練習をしてた。

周りから見ると必死に努力しているように見えたんだろうけど
努力というより一人遊びをしている感覚に近かった。

ある日、それをたまたま見たコーチが自分を呼び出し、今にも涙を流しそうな顔で
「今やってる努力、直ぐには報われないかもしれないが、いつか人生で役に立つ日が来るからこの気持ちを忘れるなよ!」
と、本来ならば報われない努力をしている部員を励ます青春の一ページ的なシーンだったのだが
当時は努力という感覚が全く無かったので一ミリもその言葉が刺さらなかったのを今でも覚えている。

今ならあの言葉の意味が凄くよく分かるし、コーチの涙を流しそうだった顔の理由も分かる気がする。

結局、中学では公式戦に出ることは一切無く、
高校は野球はお金がかかりすぎるからということであっけなく野球人生を終え、代わりにハンドボールを始めたのだが
当然のごとく一人遊びとも言えるあの居残り練習は続けていた。

今思えば「良くもまぁ一人であんな居残り練習やってたよなぁ」と可笑しく思えるし、同時に当時の自分が少し羨ましくも感じた。





そんな学生時代の真っ直ぐで不思議なあの"一人遊び"、周りから見るとそれは"努力"と言われるあの貴重な時間が
ブレイクダンスと出会い、大いに活躍するのはまだ先の話。

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