フレンチ・ディフェンス⑤ タラッシュ・オープン(3. Nd2 c5)

 イオリです。少しずつ春めいて来たようですが、いかがお過ごしでしょう。

 この時節、茶道でよく使う禅語に「春色無高下」や「花枝自短長」、というものがあります。平等というものは無条件に尊く、逆に不平等というのは是正して然るべき、という風潮がありますが、禅の心は必ずしもそれをよしとはしません。もちろん断罪することもありませんが、物事には一長一短があり、互いに秀でたところや欠けたところもあり、それらが渾然一体となって、この世界で調和している、そういうありのままを受け止める心の中にこそ、真の和らぎがあるのでは、と思いながら、我々は春の柔和な光の中で、一服のために茶を点てるのです。
 思うに汎用性の高い心持ちですが、白と黒の渾沌の中で、正しい手を選んでいるつもりでも、あちらを立てればこちらが立たない、そんな戦況に頭を悩ませるチェスというのは、とても禅の有り様にマッチした精神修行である、と言えるかもしれません。パスカル曰く「精神の訓練場」、カスパロフ曰く「精神の拷問」、そしてジョン・サイモン曰く「精神の冷たい風呂」……様々な呼称があれど、たびたび被虐的な精神的営為に準えられてきたチェスですから、あながち遠からざるところを射ているようにも思うのですが、如何でしょう。

 前置きはこの辺りにして、今日も元気に精神を苛めていきたいと思います。思えばフレンチの解説が5回目ということで、そろそろ飽きてきましたね(?)
 今回はタラッシュのオープン・バリエーションを紹介し、次回らへんでクローズと、或いはそのコンテクストからモロゼヴィッチあたりを示し、季節一新気分刷新、新しいことをしたいな、という絵を描いています。

(図1:3. ... c5まで)

 図1までの手順:1. e4 e6 2. d4 d5 3. Nd2 c5

 c7を突くのはフレンチの構想の主たるものでしたね。ここでは3. Nd2とタラッシュに決めた白に対して、いきなりc7-c5と突き出して反応を見るのがタラッシュのオープン・バリエーション(Open variation)になります。これを早々にこなしてしまうことで黒はクイーンサイドでの駒組みがやりやすくなります。例えば、Nc6を早く動かしてしまうとc7を進めてセンタリゼーションに嫌味をつけにくくなる、というのは3. Nd2 Nc6と進めるギマール・バリエーションのデメリットでした。

 また、白マスビショップをBd7〜Bc6と使うフォート・ノックスでは、やはりビショップがc6にいるせいでcポーンを動かしカウンタープレイを仕掛けるタイミングを図ることが難しい、という短所が生まれていました。

 果たして序盤早々にぶつけていく手をカウンタープレイと呼ぶべきかはさておいて、いずれやりたいムーブであるc5を能う限り速く行ったのがタラッシュ・オープンです。
 これは3. Nd2であるから出来る構想で、3. Nc3と白がポールセンで選んできた場合にはやり辛いものとなります。

(図2:4. ... Qxd5まで)

 図2までの手順:図1より4. ed Qxd5

 すなわち、こういうことですね。タラッシュではポールセンと異なり白のd5への支配力が駒ひとつ分だけ劣るため、4. ed Qxd5と黒は序盤でクイーンをセンターに使うことができる、というわけです。黒の主張は通ったようですが、白も前進してきたクイーンを標的にオフサイド・トラップを仕掛けていけるので、その駆け引きが4. Qxd5バリエーションの展開を握ります。

 白から4. dcは4. ... Bxc5と黒のピース展開を手助けすることになるのでやりたくないですね。同じ意味で、4. ed Qxd5 5. dcも気が乗らない選択肢です。ということは、このラインを深掘りする必要はないのですが、黒の構想として本筋とリンクするものがあるので少しだけ触れさせてください。
 もし白が5. dcとしてきたら、5. ... Bxc5は急がなくて良い手なので、私であれば5. ... Nf6を先んじて行います。

(図3:5. ... Nf6まで)

 図3までの手順:図2より5. dc Nf6

 白6手目の候補としては6. Ngf3/c4といったところでしょうか。先に6. c4を見ましょう。

(図4:6. ... Qxc5まで)

 図4までの手順:図3より6. c4 Qxc5

 早急に前線へと躍り出てきたクイーンを標的にするのは白の戦略ですが、Nd2の流れを生かしたように見える6. c4は、実はあまりいいムーブではありません。というのも、Bf1の進路を自ら塞いでしまう手だからです。この局面では、g8のナイトが展開されている分、後手の方がキャスリングに近い、というのも腑に落ちないところです。なので続く白の手は7. Ngf3となりますが、それでは仕掛けの権利が黒に映ります。
 黒7手目としては7. ... Nbd7/b6が面白そうですね。

(図5:7. ... Nbd7まで)

 図5までの手順:図4より7. Ngf3 Nbd7

 ナイトに関して対称形となった現局面ですが、白はc4でひとつ白マスビショップの障害を作った上にNe2として、さらに閉じ込める訳にはいかないでしょう。キャスリングを標榜しつつピースを展開するなら7. Ngf3これ一手、ですが、ここで主導権を黒に渡してしまいました。
 白のこの後の自然な手としては8. Bd3〜9. 0-0というところでしょう。それを見越してのムーブが7. ... Nbd7です。これで黒からNe5として、d3やc4に睨みをつけておくことができます。もちろん、Nb6〜Nxc4も浮上してきますので、白はc4に利いているマイナーピースを動かすのに注意を要する羽目になります。
 黒7手目で面白そうだ、といったもう一方の進行が7. ... b6です。

(図6:7. ... b6まで)

 図6までの手順:図4より7. Ngf3 b6

 bポーンを突いたこの手は次に8. ... Bb7という手を企図したものです。a8-h1やa1-h8ダイアゴナルはチェスボードに於いて最長のダイアゴナルです。ゆえに、ここにビショップを張ることは、斜めの動きしかできないビショップのポテンシャルを最大限に引き出すことになるので、一般に好形とされています。このようにb6〜Bb7やb3〜Bb2、g3〜Bg2、g6〜Bg7といった形にすることをフィアンケットを組む、やフィアンケットする、と言います。
 これだけノートを書いてきておいてなのですが、私の記憶が正しければフィアンケットへの言及は今回が初めてだと思います。どこかで紹介したい、と思いながら、延び延びになっておりました。ちなみに、このようにポーンを1マスだけ進めて組むものはレギュラー・フィアンケットといい、ポーンを2マス突き出して組むものをロング・フィアンケットとして呼び分ける場合もあります。

 6. c4が良くないので、代えて消去法的に6. Ngf3となるでしょうが、ここで6. ... Bxc5として、7. Bc4 Qh5 8. 0-0 0-0と組み合えるなら、クイーンを第5ランクにおくことに成功している黒としては申し分ない展開と言えそうです。
 したがって5. dcの下流は不作でした。

(図7:5. Ngf3まで)

 図7までの手順:図4より5. Ngf3

 孤立無援のd4の応援に、5. Ngf3とキングサイドのマイナーピースを展開しながら向かうのは棋理にそぐう自然な動きです。これを手抜くと5. ... Qxd4と女王の圧政に歯止めが効かなくなります。また、機会があればNb3ともう片翼を使ってセンターを押し返せそうですね。
 一枚足したところでd4は次に5. ... cdと取られてしまうのでは?という向きもありますが、そこでは白に、黒にテンポを渡さない采配がありそうです。

(図8:6. Bc4まで)

 図8までの手順:図7より5. ... cd 6. Bc4

 これなら3. Nd2とタラッシュを選択した顔も立つというもの。これにて流石の西太后も頤和園へといったん退却を余儀なくされそうですが、クイーンというのは非常に利きが多く、そのため盤の端よりも中央で使って輝くピースです。さて、現局面での引き場所としてはどこが適切でしょうか。

(図9:6. ... Qd6まで)

 図9までの手順:図8より6. ... Qd6

 黒6手目としてはQd8、Qd7も実戦例がありますが、ポジション取りとして最も効率的なのはQd6でしょう。わざわざ横利きを好んで消すこともありませんし、何よりこの位置からなら一手でQb4と、b4の地点にアクセスできるのが主張になります。
 なぜb4が要衝なのか、というと、白の狙いにNb3としてd4に利きを足すものがある、と先述しましたね。この時に、例えば7. Nb3 Qb4+という手を用意できます。
 ここで面白いのは、7. Nb3 Qb4+ を8. Nfd2とキングサイドのナイトで防ぐのは、ピースを偏らせることに成功して黒がだいぶ指しやすくなる、ということです。したがって8. Nbd2と手を戻すしかありませんが、これを見たら黒は8. ... Qd6と元の位置にクイーンを引けばよし、です。なぜならば、以後9. Nb3 Qb4+のところで10. Ndb2ともう一度やると、10. ... Qd6でスリーフォールド・レピテーション(Threefold repetation)が発生してしまうからです。チェックをかけられている状態ではキャスリングができない、というルールを盾にとった、落とし穴めいた手順ですね。

 もしや、これもフィアンケットに続いての、初出の術語でしょうか。スリーフォールド・レピテーションとは同一局面が3回出現した、という状況のことで、これはその時点でドローになる、というチェスの特殊ルールのことです。将棋の千日手に似ていますね。したがって、黒はドロー歓迎なので、9. ... Qb4+の時点で打開の義務は白にありますが、無理に打開してもいいことはなく、これは黒を持って不足のない展開ということになりますね。
 特に連続チェックでドローを強制する手順はパーペチュアル・チェック(perpetual check)と言われます。将棋では連続王手の千日手は、王手をかけた側の負けを取られますが、チェスではそうではありません。ちなみに、公式戦では自分の手番の時にパーペチュアル・ドローの指摘をする必要がありますが、それは戦術論ではないので置いておきましょう。

 これで基本的な用語を網羅することに成功したのでは、と思うのですが、後で読み直して確認しておきます。私がルールを説明するのにノート5回分かかりました、という訳ですね。

 話を元に戻しますと、つまり6. ... Qd6は間接的に、白のNd2をその場に縛り付けておく、という意味を帯びたとてもテクニカルなムーブであると言えましょう。

(図10:7. ... Nf6まで)

 図10までの手順:図9より7. 0-0 Nf6

 白は7手目ではNb3を実現できませんでした。ゆえに先に0-0とキャスリングをします。それを見届け、黒はNf6とこちらもキングサイドを展開していくのが良いでしょう。また、白のNd2の行き場はb3だけではなく、e4に跳んでクイーンを焦点とすることも可能ですので、7. ... Nf6はe4に利かせてこれを潰しておく意味もあります。更には、Nf6〜Ng4として、ショートキャスリングの弱点であるh2の地点に殺到するような手順も、展開次第ではあるかもしれませんね。時代はユビキタス社会ですので、戦略的価値の高い地点への可動性はポジション取りを考える上でひとつの大切なファクタとなってきます。

(図11:8. Nb3まで)

 図11までの手順:図10より8. Nb3

 こうなれば念願のNb3も着手できそうですね。他にはここでは8. Re1として、e6というフレンチを採用した黒の要石をピンする、というムーブもありそうですが、ちょうどNb3-Qd1-Nf3と綺麗に弩の形を組んで黒陣を吹き飛ばそうと狙っている順が面白そうですし、実戦例も豊富なのでこちらを見ましょう。ちなみに8. Re1 Nc6 9. Nb3は8. Nb3 Nc6 9. Re1にトランスポーズします。
 黒はd4に応援を出さねばなりませんが、8. ... Nc6しか選択肢はありません。
 ところで、8. ... e5とポーン・チェーンを築きながら守るのはセンターコントロールを強固にして良いのでは、と思いませんか?その順を示しましょう。

(図12:8. ... e5まで)

 図12までの手順:図11より8. ... e5

 これには、前述しましたが9. Re1とeポーンをピンする手が辛いです。ルークの射線を遮蔽しつつキャスリングを用意する9. ... Be7が必須で10. Nxe5 0-0としますが、11. Bf4とバンバン駒を展開しながら敵陣を押し込んでいく順が白を勢いづけてしまいそうですね。

(図13:11. Nf4まで)

 図13までの手順:図12より9. Re1 Be7 10. Nxe5 0-0 11. Bf4

 なんとも、白の駒たちが躍動していてこれは黒として不満です。

 他には、9. Nxe5といきなり切り飛ばすのもありますか。9. ... Qxe5 10. Re1と、ここでルークをずらしてクイーンをピンする、という企みですね。こちらは10. ... Ne4から11. Qxd4 Qxd4 12. Nxd4 f5と進んだところで13. f3とピンされたナイトを刺しにいく、一直線にピースダウンさせる順です。

(図14:13. f3まで)

 図14までの手順:図12より9. Nxe5 Qxe5 10. Re1 Ne4 11. Qxd4 Qxd4 12. Nxd4 f5 13. f3

 これは惨事もいいところで、精密爆撃が決まってしまったように見えます。
 タラッシュ・オープンは黒がc、dポーンでもって白のd、eポーンを吹き飛ばさんとするオープニングです。そして4. Qxd5バリエーションは早々と黒がクイーンを展開できるのに対し、白はそれを標的にするという概略でした。eポーンが飛んでeファイルがオープンになると、先んじてキャスリングをしてからRe1とルークをeファイルに持ってくる動きが脅威的になる、というのはこの形の勘所のひとつです。

(図15:8. ... Nc6まで)

 図15までの手順:図11より8. ... Nc6

 というわけで戻りましてこの局面、d4を支えるためには黒は8. ... Nc6とするしかない、という話でした。
 ここでも9. Re1はナチュラルで良い手だと思います。9. ... Be7/Bd7、どちらでも黒はキャスリングを見せられますね。
 9. Nbxd4もあるでしょう。正しくは、9. Re1 Be/d7の手の交換を入れるか否か、というところで、白はNbxd4をやりたい戦況です。

(図16:9. ... Nxd4まで)

 図16までの手順:図15より9. Nbxd4 Nxd4

 ここで白は10. Qxd4/Nxd4で悩みどころです。実戦例はどちらもありますが、4:1くらいで10. Nxd4に軍配が上がります。
 10. Qxd4は以下10. ... Qxd4 11. Nxd4と清算した後、11. ... Bc5とナイトに当てながらビショップを繰り出し、12. Rd1 0-0とキャスリングをするような順がありそうですね。私は黒を持ったとしても、互角だと思います。

(図17:10. Nxd4まで)

 図17までの手順:図16より10. Nxd4

 こちらはピース・エクスチェンジを遅らせて技をかける余地を残した順です。
 白の狙いは当然次の11. Nb5でクイーンを攻めることです。11. Nb5 Qxd1は12. Rxd1で次に13. Nc7+とルークとキングのダブルアタックがあるので黒の敗勢です。
 したがって、ここで10. ... Be7は理に適ったムーブですね。以下同様に11. Nb5 Qxd1 12. Rxd1と進んだ時に12. ... 0-0が可能になります。
 もう一つ、面白いのは10. ... a6で、11. Nb5自体を不発にしてやろう、というわけです。

(図18:10. ... a6まで)

 図18までの手順:図17より10. ... a6

 ここは白の手の広いところですね。11. Bb3/c3/b3/a4/Bd3/Be2とありそうですが、裏を返せばそれだけ局面を落ち着かせることに黒が成功した、という見方もできましょう。
 この局面で最も多く採用されているのは、やはり11. Re1です。e6をピンすることで、白はNf5のような強襲が可能になるという点で、最もアグレッシブです。また、孤立しているBc4を引いてくる場所ができるという意味合いも備えていたりしなくもなくもないのかもしれません。

(図19:11. Re1まで)

 図19までの手順:図18より11. Re1

 黒は11. ... Be7としてキャスリングを目指すもよし、また11. ... Qc7とバックステップで白の孤立ビショップを狙うのもよし、です。こう見ると、11. Bb3はぼやけた手のようで、先んじてQc7と当てられるのを防いだ先の先であったことがわかります。
 11. ... Qc7 12. Bf1は興味深いですね。12. ... Be7 13. Qf3 0-0 14. Bf4 Qb6や、14. ... Bd6 15. Bxd6 Qxd6 16. Rad1 Qc7/Qb4は、これもまたフレンチ・プレイヤーの末席としては、互角のように思われます。

 ここまで4. ... Qxd5のバリエーションを見て参りました。
 続いて、4. ... edという、タラッシュ・オープンのもう一つの主要な流れをご紹介しましょう。

(図20:4. ... edまで)

 図20までの手順:図1より4. ed ed

 4手目にしてeファイルがフル・オープンになってしまいました。時代は風通しの良さを求めている、ということなのでしょうか。
 クイーンを可及的速やかに前線に送ることは見送りましたが、黒の狙いは依然、白のセンター・ポーンを消しつつ駒組みの構造的なアドバンテージを取ることにあります。

(図21:5. dcまで)

 図21までの手順:図20より5. dc

 ここで白が5. dcとcポーンを払うのと、4. ... Qxd5バリエーションと異なりeファイルがオープンであることのゆえに興味深い順に入っていきます。
 もちろん、黒の応手は5. ... Bxc5でしょう。

(図22:6. Nb3まで)

 図22までの手順:図21より5. ... Bxc5 6. Nb3

 c5の位置にビショップを呼び込んでから、6. Nb3と当てて跳ねるのが白の作戦です。
 黒はBc5をどこに持っていこうか、というところです。この5. dcの手順自体がか細い支流なので分母は決して多くはないですが、ここで最も多く、また採用され続けているのは6. ... Bb6でしょうか。持って回った言い回しになりましたが、例えば昔に相当流行ったものの有力な変化が見つかって廃れた手順は、実戦記録では群を抜いた採用数を誇ってみえても、今日指されることはないでしょう。365chess.comというサイトのオープニングエクスプローラーでは、実際にこの局面で採用1位が6. ... Bb6、ついで6. ... Bd6となっていますが、Bd6バリエーションの方を上位公式戦で目にするのは、リョコウバトを見かけるのと同じくらいレアな体験ではないでしょうか。

(図23:7. ... Nf6まで)

 図23までの手順:図22より6. ... Bb6 7. Be3 Nf6

 a7-g1ダイアゴナルはボード上で二番目に長い斜めのラインです。ここに張ったビショップを活かして6. ... Bb6と引くのは、b6地点にクイーンも利いており素朴な継続手だと思います。
 これに白が7. Be3とぶつけながらクイーンサイドを出すのが、dc Bxc5と黒の黒マスビショップを呼びつけて追いかけ回す一連のアイデアです。
 クイーンの紐がついているので黒は7. ... Nf6とピース展開を急ぐ例がusualですが、以下8. Bxb6 Qxb6 9. Qe2+と、eファイルがガラ空きのゆえに白はロング・キャスリングを見せつつチェックをかけることができます。

(図24:9. Qe2+まで)

 図24までの手順:図23より8. Bxb6 Qxb6 9. Qe2+

 これで黒が9. ... Be6と応じるのは、10. Qb5+という準備がある、というのがこの流れでの白の主張なのでしょう。かといってチェックをかけられていてはキャスリングができないので、ここで黒が0-0を手放してくれれば白は0-0-0として満足、ということなのでしょうが、私は正直9. ... Be6 10. Qb5+ Nbd7 11. Qxb6 Nxb6 12. Bb5+ Kf8の順も、単純な9. ... Kf8の順も黒としてそこまで不満な展開ではないと思っているので、相手が5. dcバリエーションを取ってきたら応じることはあるかもしれませんが、自分からこれを仕掛けることはないでしょうね。
 ちなみに、この進行では序盤でeポーンが互いに消し飛んだ結果、9. Qe2+とeファイルにクイーンを載せるだけでチェックがかかることが前提ですが、手順中で例えば7. ... Nf6に替えて7. ... Ne7や、そもそも6. ... Bb6に替えて6. ... Be7など、黒から能動的にeファイルの窓を閉めておくような備えができるので、できることならイニシアチブを握りたいという観点からも、白にこの順を敢えて採るメリットが少ないと考えています。

 では白が主導権を取れるような5手目とは、どのようなものでしょう。

(図25:5. Bb5+まで)

 図25までの手順:図20より5. Bb5+

 ひとつ思いつくのは5. Bb5+とチェックでキングサイドのテンプルを展開することですね。c7-c6とこのチェックを遮断することが出来ない、というところにも付け込む余地を見出したムーブです。
 これにキングを動かさずに応じるには、現実的には5. ... Nc6/Bd7といったところになります。ゲームを主導するためには、なるべくなら相手のムーブは縛った方がいい、そういう意味では序盤にチェックをかけながらピースを展開する手というのは往々にして価値が高いものではあります。また、思考リソースという点でも、相手の候補手が広いところではそれだけ広く読むことを要求されるので、手を縛るということは同じ計算資源でもより狭く深く読むことができることに繋がります。

(図26:5. ... Nc6まで)

 図26までの手順:図25より5. ... Nc6

 しかしながら、この順はちょっと先走りなのでは、という所感です。口ぶりでわかっていた?まあ、そういうこともあるかもしれません。
 進行の一例は5. ... Nc6です。そもそも3手目にc7-c5と突くことが出来ているので、c5-Nc6の形を取れる、という意味ではこのムーブは黒に何の瑕疵もありません。ピンが残るのは憂慮しなくてもいい可能性があります。というのも、続いて白が6. Ngf3なら6. ... Qe7+と先攻して、7. Be7を強いることができるためですね。
 5. Ngf3〜6. Bb5とトランスポーズして重複するところも結構あるので一概に悪いわけではないですが、ならば形を決めないだけ5. Ngf3でいいのでは、などと思ったりするのです。

 白が先んじで6. Qe2+とかけてくるなら、以下6. ... Be7 7. Ngf3 Nf6で不足ないでしょう。ここで8. 0-0 0-0の進行はポジショナル・ストラクチャーが黒の方が抜群に良いので、8. dc 0-0 9. Nb3と黒の方が先にキャスリングを済ませる手順が本筋となりますが、ここで9. ... Re8と潜在的にクイーンをピンする手があるので黒のテンポがどうやら良さそうです。つまり6手目に自分でeファイルにクイーンを持ってきた形が白としては祟り続けることになるのです。

 強いていうなら6. Ne2とかどうでしょう、というところですが、チェックをかけてアグレッシブにいった割には随分陣形が低くて消極的な感が拭えません。また、ここで6. ... a6 7. Bxc6 bcとすれば、孤立していたdポーンに紐をつけながらbファイルをセミオープンにできる反面、黒はc6-c5のダブルポーンが重く、白マスビショップの活用を問われるといった感じで、互いに長短ある、つまりは黒としては不足ない展開なのでは、と感じるところです。

(図27:5. ... Bd7まで)

 図27までの手順:図25より5. ... Bd7

 正直いってこちらの方が指しやすいんですよね。というのも、5. ... Nc6では起き得るとすればナイトとビショップのエクスチェンジだったからです。価値は概念的に同等とされていても、異なる種類のピースが落ちると「何があって何がない」、がゲームが進めば進むほど付き纏ってきます。したがって、あくまで同じピースが落ちている状態の方がエンディングに向けて些か読み易くなる、というのがあると思います。

 思います、というか、ここは余談になりますが、私にはあります。例えば、この局面から6. Bxd7+ Nxd7は自然な進行ですが、互いに1基ずつビショップをピースダウンしたこの時点で、ビショップ・ペアがどちらか、或いはどちらにも残るようなエンディングは考える必要がなく、枝切りしてしまって良くなりますね。オープニングに熟達する理由のひとつは、中盤以降のねじり合いに余力を残すため、もっといえばゲームに負けないためですから、私はそういう視点でオープニングの研究をします。
 もう少し脱線しますが、チェスでは将棋や碁に比べ、競技に占める『早指し』の比率が高いです。これはワンゲームの中でもそうですが、そもそも持ち時間がかなり少なく設定されたゲームも多い、という意味でもあります。沈思黙考の許されない状況では普段やってきたことがものを言うわけで、早指し戦のオープニングは手癖と反射と言っても過言ではありません。そこで入り組んだタクティクスを用いるためには、極論すれば、最も良いと思われる分岐のみならず、想定されるありとあらゆる分岐に対応できる必要があります。なぜなら、混乱した相手が指してきた思わぬ手にこちらも混乱させられてしまっては元も子もないからです。正解と思しき手以外が指された時、なぜそれが成立しないのかを知っている、或いは似た局面から理論的に導き出せるがゆえに咎めることができる、そのためにも、オープニング研究では、否、でこそ、『成立しない手順』の分析が不可欠と思います。

 話を戻しますと、5. ... Bd7以下、6. Bxd7+ Nxd7 7. Ngf3には7. ... Ngf6とするのもよし、また7. ... Qe7+として相手を伺うのも楽しみがありそうです。8. Qe2ならNgf6で囲い合う展開に、8. Kf1なら8. ... Qe6〜Qh3+なんかを狙っても、というところでしょうか。
 
 最後に、5. Ngf3バリエーションを見ていきましょう。

(図28:5. Ngf3まで)

 図28までの手順:図20より5. Ngf3

 こんにち最も多くプレイされているバリエーションですね。極めて自然で効率の良いムーブだと思います。キングサイドを展開しつつ、Nd2のせいでクイーンの庇護を受けられなくなったdポーンに利きを足すことで、相対的に黒の孤立ポーンを貶す向きです。またd4が生きている限り、Ne5は白の権利です。

(図29:5. ... Nc6まで)

 図29までの手順:1. e4 e6 2. d4 d5 3. Nd2 c5 4. ed ed 5. Ngf3 Nc6

 ここからはタラッシュ・オープンのメインラインと呼ばれる流れです。他に黒の5手目としてはNf6/a6などもあります。
 早々にc5を突いた利を活かしNc6と跳ねるのは黒の狙い筋ですし、センターを破壊したいので執拗にd4を狙います。

(図30:6. Bb5まで)

 図30までの手順:図29より6. Bb5

 白がNc6をピンをしながら0−0を見せる6. Bb5はセオリー通りで味の良いムーブです。これで次に0-0を候補とするのは勿論、7. Qe2+から嫌味をつけた時にNc6が防御に寄与できない状態となります。

(図31:6. ... Bd6まで)

 図31までの手順:図30より6. ... Bd6
 6. ... Bd6は人気の手ですね。キングサイドの展開はもちろんひとつの意義です。またクイーンの進路をビショップで妨害しないので、カウンターアタックの余地も残りますし、e5やf4に利かせているのもいいですね。白の攻撃の構想にはNb3〜Bf4もひとつありますし。
 ここで6. ... Qe7+と黒から先にチェックを入れるのも勿論候補手なのですが、それと比較すると黒マスビショップの活用を先んじた、という意図です。ちなみに6. ... Qe7+は7. Be2と引いてくれればピンが解除されます。

(図32:7. dcまで)

 図32までの手順:図31より7. dc

 ここで白から0-0の前に7. dcと一手入れておくのは細やかな工夫ですね。今しがた出てきた黒マスビショップに当てつつ解消しておき、なおかつ7. ... Bxc5と取らせれば、黒はf8のビショップをc5に使うために2手かけたことになるので、黒のテンポを悪くすることができます。またc5に引き摺り出しておけばNb3が先手で当たりますし、クイーンの見晴らしも良くなりました。
 ここで7. ... Bxc5が素直な応手ですが、7. ... Qe7+と、チェックでクイーンをeファイルに使えるチャンスを活かすのも理がありそうです。Qxe7+以下8. Qe2 Bxc5 9. Nb3と進めば戦場がdファイルでなくeファイルに映っているのでd4地点の当たりは多少緩和されます。9. Nb3以下9. ... Qxe2+ 10. Bxe2 Bb6 11. 0-0 Nf6と進み、ここではa7-g1ダイアゴナルで幅を利かせるビショップを威嚇して12. a4なんて手もありそうですね。

(図33:12. a4まで)

 図33までの手順:図32より7. ... Qe7+ 8. Qe2 Bxc5 9. Nb3 Qxe2+ 10. Bxe2 Bb6 11. 0-0 Nf6 12. a4

 12. ... a6を見届けて13. Bg5のように、いいところでキャスリングを済ませたのを活かしルークに鞭を入れていきたいところですね。これは少し黒はやりづらいかもしれません。
 替えて7. ... Bxc5を見てみましょう。

(図34:7. ... Bxc5まで)

 図34までの手順:図32より7. ... Bxc5

 8. Nb3なら8. ... Qe7+ 9. Qe2 Qxe2+ 10. Bxe2 Bb6と進んでいいんじゃないでしょうか。なので8. 0-0ですが、黒はこの辺りでキングサイド・ナイトを使っておきたいですね。使い道はNf6/Ne7とありますけど、8. ... Ne7の方がd5の孤立ポーンに利かせて味が良さそうな気がします。代わりに8. ... Nf6だと、9. Nb3 Be7というように、e7にビショップを引いておいて焦点を作らないという方針が取れます。

(図35:9. ... Bd6まで)

 図35までの手順:図34より8. 0-0 Ne7 9. Nb3 Bd6

 せっかくa7-g1ダイアゴナルに置いてあったのだから、9. ... Bb6と引く手はないのか、と思うのは非常に良い着眼です。
 結論を申しますと、ここで白が0-0を済ませたことで、Re1という手が生じており、これがかなり当たりが強いんですよね。なので、a7-g1に置くことに拘泥するより、e7に利かせておきたい心で9. ... Bd6と引きます。
 ここはかなり広い局面で、候補手も10. Re1/Nbd4/Bg5/c3など様々考えられますが、10. Bd3と引いてBd3〜c3〜Bc2〜Qd3と白マスビショップを使うことで、Bc2+Bc1のビショップ・ペアで黒のキングサイドを狙う大艦巨砲主義が面白いのでは、と個人的には思っています。

 さて、今回も盛りだくさんの内容となりましたが、ぜひアプリでもなんでも、ボードとピースを並べて、時折手を止め考えつつ読んでいただけたら幸いです。
 どういう因果かは不明なのですが、チェスのノートを書くと競馬が当たるんですよね。これからも頑張っていきますので応援、フォロー、拡散のほど、よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?