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究極ラーメン

子供時代から、好きではなかった。

ラーメンになど、本当に
別段思い入れはなかった。

特に思春期やダイエットに気
を使う20代の頃などは、

むしろ敬遠する対象の食べ物だった。

しかし、兄や彼など周りの男たちは、
みんなラーメンが大好きだった。

彼と食事に行く際も、
ラーメン屋なんて...と
残念な気持ちになった。

ギトギトした店内で
ギトギトしたおじさんが、
これまたギトギト光る麺を
ただひたすらズルズルと啜って、
ギトギトしたスープをズズッと飲み干す。 
汗だくだったりすると
更にイメージは最悪。

お客さんは高回転率で入れ替わり立ち替わり....
若い女が足を踏み入れてはいけないような...
そんな感じがまだまだあった時代。

一人じゃ何もできないのに、
生意気で無知な小娘だった私には、
それでも、

「この上なく下品で安っぽい食べ物」

それがラーメンだった。

当時の私にとって、
「ラーメンとは限りなく男だけの食物」
だったのだ。

普段からよく行っていた
ラーメン屋は近所にある、
当時からわりと人気のあった
家系ラーメンだったのだが、
結婚して子供が生まれて、
家族で食事に行くときでさえ、
そのラーメンを食べたがる夫を
無性に腹立たしく思っていた。

またかよ。ラーメンしか知らないのかよ...と。

若い頃はお洒落なカフェのごはんや、
どうせならばちょっと高級なレストランに
それはそれは憧れた。味など2の次なのだ。
食事は場所やその店の雰囲気も含めて
楽しい時間を共有するという役割や目的が
自分の中では大きかったのだから。

娘も特に好きではなかった。

女の子なので、可愛いお子さまランチや
ファミレスでいろんな御馳走や、
色とりどりのデザートをオーダーできる
楽しみがないからだ。無理もない。

娘も大きく成長し、親の手からも離れ気味に
なった頃、本格的に社会復帰して
自分でしっかり稼がなくてはいけない状況が、
ほぼ、無理矢理訪れた。

それ以前は、子育ての傍、
短時間のパートをするくらいの
ゆるい生活だったが、
正社員でフル勤務となると
ライフスタイルが一変した。

数十年ぶりに社会に放り投げ出された
感じだったから、仕事が軌道に乗るまでは
本当に大変だった。
それこそ、寝る暇もないほど必死で働いた。
食事もラーメンどころか、
コンビニのもので済ませたり、
帰宅は自炊する時間もないほど
深夜や午前様になることだって
日常茶飯事だった。

そんな、今思うと、自分の人生で
一番多忙で多分ものすごく頑張った時期、
必死になって懸命に働き、
業務内容や対人関係も安定し
自分の立ち位置や自己実現も少しずつ
波に乗り落ち着いてきていた頃、
職場の上司に誘われた。

「ごちそうするからラーメンつきあえ」

えっ...ラーメンですか...。
そう思ったが、上司の誘いだったし、
その日はとても忙しく、
そして予算も達成できていたので
気が上がっている、楽しい雰囲気を
ぶち壊したくもないし、
ご一緒させていただいた。

上司と行ったラーメン屋は
北海道のチェーン店で
味噌、醤油、塩の3種のみだったが、
会社の人やお客さんの話でも
美味しいと評判だったこともあり、
塩味をオーダーしてみた。

寒い冬、激務の仕事あがり、
疲れ切った体と憔悴しきりながらも
ナチュラルハイな状態になっている心根に
そのとんこつベースの塩味は染み渡った。

暫くぶりだったからかな?と、
その時は本当にそれで済ませてしまったが、
その後、あの感じはなんだったのだろう....
と思い返すほど...衝撃的に美味しかった。

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それからも気になり、
何回かそのラーメン屋さんに通ったが、
普通に美味しくて。
それでもあの、久しぶりに食べた時の
衝撃は再びは、なかなか訪れなかった。

何年かして、会社で役職を持つようになり、
業務の大変さの質が変わった。
それこそ泣けてしまうほど落ち込んだり、
大失態をやらかしたり...
かなり辛い時期もあったが、
その辛さは新人の頃の受け身のものでは
なくなっていた。
自ら能動的に業務をこなす上での
大変さへと質は変わった。
その間、いろいろな人たちとの関わりや、
仕事を通していろいろな人たちの人生を
垣間見る機会をいただいたり、
人と接するうちに自分の中で何かが
大きく変わっていて、間違いなく
以前の自分はいかに、「からっぽ」
だったかを知った。

そんな中、日々の業務の中で
嬉しい出来事があった。
本当に心血を注ぐが如く努力し、
のめり込んだ内容だったので、
周りからも評価された時は心の底から、
一点の曇りもないほどに、
とにかく嬉しかった。
それと同時にものすごく疲労困憊していて、
とにかく、とにかく、お腹が空いていた。

上司や後輩と祝杯、でもなく、
家で好きなものを作って食べて飲んで
好きなだけ寝よう...
それもちょっと考えたけど、
そんな感じでもなく、

その夜は以前、夫と娘とよく通っていた、
例のかつて近所だったラーメン屋さん
に一人で直行していた。

何度も食べて慣れ親しんではいたけれど、
数年は離れていたあの味。

今夜の自分であれを食べたい!そう思った。

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見慣れた店内。懐かしいにおい。
夫は麺かため、味濃いめ、
が定番だったが私は以前の通り、
麺、スープ、硬さ、油、全て普通にした。

懐かしさがこみ上げて、
いまだかつてない高揚感の中、

特別ないつものラーメンが運ばれてきた。

ひと口、スープを啜る。

お店は違うのに、前回、
上司が御馳走してくれた
ラーメンの時と同じように、
なんとも言えない濃厚な旨味が
空腹で疲れ切った体はもとより
更に五臓六腑に染み渡った。
涙が出るほど美味しかった。

家族のために一生懸命に
働いてくれていた夫のことを思った。

部下のために鉄の如く
人生の機微を教えてくれた上司も
とてもラーメンが好きだった。

仕事でお話を伺う機会のあった様々な職種で
様々に健闘されている人たちも挙って、
みんな一様にラーメンが好きだった。

既に気づいていたけれど、その時に確信した。

ある一定の頑張りと自己達成をやり遂げた者にしか、この味はわからない。

自分の中のリミッターを振り切った数値に比例して美味しさが増す。

思えば、たらたらゆるく、
「頑張っている」とか、
「成し遂げる」ということが
如何程のものなのかさえ
わからなかった以前の自分は、
このラーメンのどこが美味しいのか
さっぱりわからなかった。

暇つぶしの如く、
半ば嫌々付き合いで
惰性で食べるなんて、
この美味しさがわかるはずもなかった。

懸命に心血を注いで何かに取り組み、
心と体に汗をかいた人間にしか
美味しく感じないようにできている
のではないか?とさえ思ってしまった。

それほどまでに、
その人間の脳の記憶にある味覚
に訴えかけてくる。

いろんな状況で、いろんな感情の時、
何度も何度も脳に擦り込まれた味。

食べていると当時のいろいろな
感情や思い出が蘇る。

頑張れない自分を心のどこかで
疎ましく思っていて、
頑張っている人たちの仲間に入れない....
そんな疎外感を潜在意識の中に
持っていたのかもしれない。

だから、必要以上にラーメン屋さんも、
ラーメン好きな人たちも避けて
いたのかもしれない。
そんなふうにさえ思えてくるから不思議だ。

今では、ラーメン大好きな人が、
私も大好きになった。

もちろん、ラーメンも大好きだ!

きっとラーメン好きな人は、
とても頑張ったことがあったり
絶賛頑張り中な人ばかり
だと思ってしまうからだと思う。

まさしく、ソウルフード。

魂の味なのです。

ラーメンって人生なのかな....
一杯のただのラーメンなのに、
いろいろな人生がきっと透けて見える....
そんな深い食べ物なのかもしれない。

ちなみに、娘はというと....
まだ、ラーメンに強い思い入れはないようです。

もうじき、娘も私がラーメン開眼した年齢に突入です。

パワーラーメンに是非とも出会って欲しいと

密かに願う母なのです。

ところで....

このラーメン屋さん、以前はこんなこと書いてあったような。

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一度じゃまだまだ

二度目で納得

三度たべたらやみつきだ

....その通りでした。

究極のやみつきラーメンなのです。

悟るまでにずいぶん時間かかったけど、

これからも定期的にいただきます!

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