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4,多次元を行き来する

結婚して姓が変わり、何も変化のない穏やかな日々が続いた。

しばらくして主人の転勤で、主人の実家近くのマンションへ越すことになった。


東京での育児はストレスが多く、肩こりが酷くて、1歳になったばかりの息子を保育園に入れて、マッサージ屋を探しに自転車をこいでいた。

その時、何かにぶつかって自転車ごと大きく飛ばされた。

目の前が急に真っ白になり、意識が遠のいていく中で
「大丈夫ですか!救急車!」と誰かが叫んでいる声がうっすらと聞こえて消えて行った。

わたしは真っ白な光に包まれた綺麗な世界に行っていた。

そこはとても穏やかで温かな安心感のある真っ白い光の世界だった。
身体は軽く、ふわっと浮いているような心地いい感覚。

どのくらいそこにいたかはわからない。

突然白い光の靄の中から息子の顔が現れて「ママー」と声がしたので、ハッと意識が戻った。

「息子を保育園に預けていたんだ。早く迎えに行かないと!」と我に返った。

目を開けると、目の前には眩しい手術台の照明がわたしを照らしていて、
とっさに「何やってるんですか?早く息子を迎えに行かないと!」と動いて抵抗した。

「動かないで!今縫ってるから!骨見えてますよ」と数人の看護師がわたしを押さえつけていた。


医師からは「その日は帰れませんよ」と言われていた。

けれど、息子を迎えに行かなくちゃという思いが強くて、看護師の監視の無い隙に病院から抜け出し、前方がぐしゃぐしゃになった乗ってきた自転車を自力で元に戻して、自転車をこいで、保育園に息子を迎えに行き、息子を自転車に乗せて家まで帰った。

真っ白なスニーカーだったはずなのに赤くなっていて、不思議に思ったけれど、暑い夏だったから息子をお風呂に入れるのが最優先で、服を脱がせ、自分も服を脱ぎ始めた。
黒いズボンを脱いだその時、包帯でぐるぐる巻きにされた見たこともない怖い傷があった。
それを見た途端、急にものすごく傷が痛くなって、全治2カ月の大怪我だったことが判明した。

何も知らなかった。
わたしは突然角から飛び出してきたトラックを避けようとして柱にぶつかって倒れたということ。

考えてみればその年が31歳になる厄年だった。

わたしは一瞬、臨死体験をしていたらしい。



わたしの子はとてもピュアで繊細だったので、他の子からいじめられないように公園で遊び相手をしていると、3歳くらいの女の子が息子をじっと見てる。
「一緒に遊ぶ?」と女の子に話しかけても何も返事をしないので息子を呼んで「この子と一緒に遊んであげて」というと
「ママ何言ってるの?誰も居ないよ」と確かにここにいる女の子が見えてない様子だった。

次の日、意味がわかった。隣が墓地だった。


ある夏の暑い日曜日、大きな池のある大きな公園に親子で行った。

日曜日の公園は人がごった返していて、人をかき分けるように進んでいく。

主人と息子がアスレチックジムに急いで行ったので、その後を追いかけるようについて行くと向こう側から、濡れた着物を着た女の人がうつむいたままこちらへ歩いてくる。
その後ろを深々と帽子を被って礼服を着た御付きの紳士が付き添いで歩いている。
2人は人混みの中、人を避けるでもなくまっすぐ進んでくる。

わたしが「どうしたんですか?」と声をかけようとしたとき、すれ違いざま古い着物の匂いがして鳥肌がぶぁっと立った。

この世の人たちではなかった。

後ろを振り向くと渋滞で動かない車の中にスーッと消え入った。

あとから聞いた話、そこには昔、お城があって、敵に攻められ落城した悲願で姫が池に入身自殺をしたという。


人が多い東京で、ただでさえ混雑する街で、
わたしは見えていた。
誰が生者で誰が死者かわからないくらい。無尽に彷徨う存在が。

そして、下半身の無い人が駅のホームのベンチに座っていたり、普通ではない姿の人が電車の車窓からも見えた。

都心の踏切を渡る時、身体が重くなる。
重い理由を考えてはいけない。後ろを振り向いてはいけない。と自分に言い聞かせていた。
囲まれていたのがわかったから。
実際に事故現場を目の当たりにしたこともある。
怖かった。

だから、もう電車に乗らないでも良い生活をしたくて、踏切の無いエリアに引っ越したくて、安住の地を探した。


調べると調べるほど、東京は闇が深いことがわかった。

至るところに戦争の傷跡、爆撃地、実験場、軍需基地、自殺や他殺の現場など、わたしが求めているピュアで明るい氣の土地は無い。

主人の通勤面の都合を考慮すると、首都圏に行くことは出来ず、
何が何でも東京、新宿から30分圏内に絞るしかなかった。

こうなると直感に従おう。ということで、

あるとき、風景が見え、その通り進むと目の前の光が導くただ一つの地に誘われた。

そこは縄文時代に人が住んでいて以来手付かずの丘の上のピュアな台地で、電線地中化で整然と綺麗に都市計画されたニュータウン開発地だった。

そこにバブル崩壊後に売れ残った空き地があった。

それは店舗兼用住宅土地で、何か店舗をしなくてはいけないという条件付きの土地だった。

丁度いい。わたしはお店をやりたかったのだから。


そうして、都心から離れたのどかな多摩の丘陵地帯へ引っ越した。

それから自分の創造の世界を具現化した店を造るため、自ら設計を手伝って店舗付きの家を建てた。


レイライン上に建っているからなのか、店には生者も死者も来る。
一見するとわからないが、話していくと現実世界と辻褄が合わなくなってくるので「もしかしたら」と思うと、もう鳥肌がたっていて、それが証だった。


いつの間にか、もともとなのか、わたしは次元を行き来する存在になっていた。

人生の不思議な経験を通して、自分が他人と違うということが、だんだん理解できるようになっていった。


子どもが小さいうちに取得した資格を生かして自宅でアロマテラピーサロンを開き、練馬から越して雑貨屋併設した店舗を創った。

奥にサロン上がりの人がゆっくり過ごせるようcaféスペースを設けて、そこへ常連の友人が座ってゆっくり過ごしてくれていた。

わたしが求めていた穏やかで平和な光景だった。


ある日、サロンに来た神社の娘さんを施術していたら、娘さんの身体の中に赤い目の白い大蛇がもがき苦しんでいたのが見えた。

身体の中から出して楽にしてあげたいと思って念入りに施術をしていると、身体の中の大蛇がvisionを見せてきた。一人の男性が複数の女性と交わっている。
それ以上見たくなくてハッと我に返ると娘さんの中から白い大蛇は消えていた。

「ちょっとコリが酷いですねー、今日はここまでにしておきます。また来てください」といってその日は施術を終わりにした。

そして会計するとき、一瞬娘さんの目から赤いビームが出た。

ビームが向かった方向は、奥でcaféをしていた友人だった。

その後友人は倒れて入院してしまった。

その赤いビームを見たとき「嫉妬」だとすぐにわかった。

なぜ嫉妬されたのかはわからない。

でも、何だか、あの白い大蛇から救いを求められていたような気がする。

あとから偶然にその娘さんの知人がサロンに来て「あの神社の神主さんは女遊びが盛んでね」と話してきた。
わたしは他人に個人情報を漏らさないし、何も話していない。
その神社の守り神が赤い目の白い蛇なのだという。
それを聞くまで、その神社のことも何も知らなかった。


友人は倒れる前に気になる言葉をわたしに言っていた。
「わたしが守ってあげる。わたしが今さんのこと守るよ。」って

その友人はそれ以来、白昼夢を見て入院と退院を繰り返すようになり、

「白昼夢って現実に居る人は出てこないんだけど、今さんは出てくるんだよね。おかしいんだよね、、、もしかして今さんは多次元同時存在なんじゃない?」と言った。


それで意味がわかった。


2015年9月、わたしはサロン部屋で自分の手入れをしていたら、特殊な高周波音が聞こえた。
目を瞑るとvisionが見えて、晴天にオリーブの枝が靡いて「シャローム、シャローム」という天使の声が聞こえた。
ハッと目を開けて辞書でシャロームの意味を引くと「ヘブライ語で平和」という意味とあった。
リビングに行くと急にテレビがついて、シリアが空爆を受けたと報道されていた。

その日から空に平和を祈るようになった。


その2年後、普段から会など興味もなくて参加もしたことないのに、何故か「国際交流の会」というものに参加していた。

そこにはシリアから来た難民女性が居て、テロで家や街を失った話、夢を持って生きる意欲を聞いた。その女性の瞳が美しく、その瞳から色々な記憶が浮かび上がり、キリスト教の嘘を見抜いた。


同じく2015年、いつもテレビを見ないのに夜中にリビングに行くとテレビが付いていて海外演説番組TEDでBillが出ていた。

「これから恐ろしいのは核ではなくvirusだ。だからわたしは〇〇〇〇の会社を創る!」と言っていた。

その時もう、次にコロナパンデミックが起きることを知っていた。

マイナンバーが施行されたときも、
個人がナンバーで管理され、
自由意思が奪われるときがいよいよ来たなと思ったんだ。


2016年11月、目の前に緑色の隕石が落ちてきて、瞬時に「第5の天使がラッパを吹いたとき」と声がした。
それでとっさに、地底に大きな穴が開いたんだな。そこからイナゴの大量の群れが出てくる。とわかった。


2016年4月、阿蘇の噴火が起きる前、わたしたち家族はちょうど阿蘇山に居た。
そこにたくさんの鹿がフェンスで囲われていて、力弱く鳴いていた。
餌をあげに近づいてみると鹿は俯いて「もういいんだ」と言っていた。
死を覚悟しているような目をしていた。

そして帰りのSAで休憩をしているとき、テレビで「たった今、阿蘇山が噴火しました!」と報道されていた。
あの鹿の死を覚悟した目はこれだったのか!と気づいた。

それから東京に戻り、熊本に震度7の震災が起こった。

すると、わたしの身に異変が起きて、頭に激痛が走り、脳の中で何かのロックが解除される音がした。
顔の皮が全部剥け、首と足に蕁麻疹が出来、お肉が食べられなくなった。

その日以来、所有、所属、に興味がなくなって、新築したばかりの自宅と自ら創ったお店を捨てて放浪するようになった。


筑後川氾濫、岡山の大洪水もちょうどそこを放浪していて起きる前の3~1週間以内に訪れている。

白根山の噴火は予測できた。

山の怒る声が聞こえたから。

ちょうど家族でスキーに来ていたとき、
わたしはスキーに興味がないので、そばで子どもたちの安全を見守っていた。
「お前たちが山を削り、森を痛めた罰を受ける」と太くて地響きのようなおぞましい怒りの声が聞こえた。

その帰り道、山道の下りで車が突然スリップしてくるくる回りだし崖から落ちそうになった。

主人はハンドルが取られ車のなすがままという状態。

目を瞑り、回る方向と別のらせんをイメージしながら必死に祈った。

目を開けると崖の反対側の山裾にバックからぶつかって車は止まっていた。


2019年の沖縄の首里城も消失する前に訪れている。

若い頃から沖縄には行っていたけれど、首里城に興味を持ったことが一度も無くて行ったこともなかったのに、何故かそのとき無性に首里城に行きたくなって、首里城に行くためだけに飛行機のチケットを取った。

首里城を見るわけでもなく、そこから見えるコンクリートジャングル化した那覇の街並みを見ていたら突然「偽物は消える」と風の声がした。
その声に「そう、本物しか残らないからね。本物はこの下にあるのだから」とわたしは心の中で答えた。

そして、東京に戻った時、首里城が消失したと報道があった。

次々と壊れていく。そして見せられる。


家の東側にいつも特別輝いている星があり「なんかあの星、気になるんだよな~」と息子が言うので、この子は何者なんだろう?と思っていた時、
突然「シリウスから来た」というメッセージが頭に入ってきた。

そして、私はどこから来たのか?と思っていたら「アンドロメダ」と入ってきて、娘は?と思うと「リラ」と。

知りたいことがすぐにパッパッパと応答される。

頂いたメッセージはそのまま受け入れた。


わたしに向かってずっとささやくような声がしていた。

それはよく聴くと「サニワサニワ」と言っていた。

サニワってなんだろう。と思って辞書で引くと、
『審神者=神の意を解釈して伝える者』と書いてあった。

そうか、わたしは審神者でもあるのかもしれない。


メッセージが聞こえる、見えないものが見えるというのは、他人に言っても馬鹿にされるだけ。
相手にもしてもらえない。まともに話をきいてもらえないことは幼少の頃から何度も傷ついてきたことだからわかっていた。


ベビーの頃から未来の景色を壁に絵を描いていたらしい。
言葉を話すのも早かったらしい。

「車は空を飛ぶんだ。人は地底に暮らすんだ。出かけるときはね、車が来て扉にジョイントされるよ。外の空気には触れちゃダメだからね。そして乗り込んだらバビューンと高速で連れて行ってくれるよ。山があって水がたくさん流れているnature landにね!」とか言いながら家の壁一面に絵を描いていた。

母はわたしが落書きすると怒鳴りながら消して、
父は「もっと描きなさい」と言って紙を壁一面に貼ってくれた。

気分を周波数で変えられることを知っていたから、両親に気分良く過ごしてもらうために父のレコードプレイヤーの周波数をそのとき必要な気分に合わせてチューニングしていた。

父はこのようなわたしの特異な性質を喜んでくれて、
母にはそれが気に入らなかったらしい。

父がいないときに母はわたしの特異能力を『普通』に矯正させられた。

「普通にしなさい!」「普通はこうでしょ!」「なんでわからんの!」
パシッ‼と

左利きも習字で矯正された。
今は習字のときだけ右、あとは左利き。

親戚が「ひろこは音楽の才能があるバイねー」というと音楽も習わさせられた。

3歳のクリスマスプレゼントに枕元に大きなピアノが届けられていた。

ピアノのレッスンは自宅に先生が来て隣に先生と母、両隣から「違う、違う!」と『普通』の弾き方を強要された。

ピアノ、英語、習字、学研、エレクトーン、3歳から週に5日、習い事をさせられ、他の子と違うとすぐに『普通』を強要され、『普通』に矯正された。


わたしが『普通』じゃないのはわかっていた。
だけど、どのような普通を求められているのかがわからなかった。


親は「ひろこは東大に行くよ」といつも周りに自慢していた。
なんでそんなに私に求めるのか、私にそれをさせて何がしたいのか、
わたしには全く理解できなかった。

でも、わたしが『普通』じゃないことで両親が喧嘩したり、
わたしが『普通』じゃないことで嫉妬や嫌がらせをされて友達が出来なかったり、『普通』じゃないことで他人に受け入れられない自分がとても悲しかった。



ただわたしは、この世を観に来ているだけなのに。


2017年春、わたしの娘が小学校に入学した。
主人のご両親を招いて家の前で記念写真を撮った。
4人家族+2人の両親だから6人、カメラマンは主人の父がやってくれたから5人が映っているはず。

「さあ、撮るよー」パシャ

撮れた写真には4人しかいない。

皆、綺麗に映っているのに、私が映ってないのだ。
というか、現実には映っているけど、虹色に半透明で、顔はゆらいでいて真正面に向いているはずの上半身が横を向いていて、下半身が映ってない。
というか、下半身がだいぶ離れた車の脇に片足だけあった。

まるで心霊写真のようで怖くてすぐに消去した。


わたしは多次元を行き来しているのかー。


確かに皆には見えてない人が見えてたり、聞こえない声が聞こえたり、
動物の声、鳥の声、月の声、山の声、木の声、わたしには人間の声と同じように聞こえてた。

時空を超えて、どこかわからない空間に行くこともよくある。

体験が先で現実が答え合わせのように後からくる。


わたしの人生は逆再生の連続で、

なぜ逆再生を見せられるのかというと、


何かをどこかで変えなければいけない、ということなのかもしれない。







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