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「いい感じ」は人によって違う

酒寄進一訳、F.ヴェデキント作『春のめざめ』を読み終えました。

10代半ばの若者が性に興味をもったり、モラルに苦しんだりする。
親は性の話を汚らわしいことだと誤魔化すし、妊娠してしまって母親がヒスって中絶させようとしたり。当時は禁じられていた同性愛者がいたり。自殺するのも。色々な社会問題みたいな、個人的な大問題が沢山ある。
本に出てくる全部は作者の周りの体験らしい。だからか、すごくリアルで共感できる。
先生は決め付けばかりで理不尽。親は介入してくるのに本当のことを話してくれない(彼らは何を隠したいのか)。
何もわかってない。

「ヴェデキントの作品はよくドイツ表現主義の先駆けといわれる。(中略)自分の伝えたいこと=表現が他人に完全には伝わらないという究極の苦悩に根ざした叫びが表現主義の根底にある。」(167頁)

この本を読んでいると自分のことをよく考えられる。

私は反骨精神がすごくある。権威的なものに抑圧されてきたから。今でも命令とか指示は根拠が無かったり理解できなきゃ反発してしまう。みんなiPhoneだからXPERIAにしてみたり。そんな選択も影響されてる。
ずっと親は過保護だった。彼らは放任のつもりだったようだけど周りの地元の子達よりレールを走らされてきたと思っている。中高一貫では私の親よりも過保護な親がいるのも知った。親を立てるためにも、良い子でいたかった。自分のやりたいことは親が好まないことである場合が多くて沢山我慢した。学校でも1度も教師を有り難いと思わなかった。私たちを洗脳して同じ個体にしようとしているような気がしていた。彼らの思う良いものが良くて、彼らの思う悪いものが悪い世界。良し悪しを決める彼らは何を知っている?教師と神様の違いは、神様は自分が教師でないことを知っているってことだろう。彼らは私たちを見ているようだったけど私は全く心を開かなかった。普通に考えて無理だろう、40人の人格を一人で把握するなんて。天海祐希の女王の教室みたいなのは幻想でしょう。点数を付けて指導してるフリ。呆れてしまう。何を指導したのやら。彼らの支配下にいるのは学校教育の都合で仕方のない上下関係が生じてしまうから?理不尽なことだらけだった。絵が下手、字が下手、体力がない、これは個体差な気がする。でも点数が下がる。「やる気がないように見えた」って言われたけど先生は私の何を見たのだろう。ていうか、やる気を出したら出来ないことができるようになったのかな。まるで説得力がなかった。学校は嫌いだった。家でも学校でも塾でも習い事でも、臨機応変にその場に応じた求められる子供であり続けなければならなかった。成績とかだけじゃなくて、校内の友人のこととか、スカートの長さとか、化粧したり眉毛を手入れしたりするのも。私は模範的な優等生を実現できないのに、良い子でいることが強要されている気分になり、全ての苦痛から解放されるために家を出た。
大学から一人で暮らした。成人するまではあなたを管理する義務があると宣言されて、収入や支出を管理され続けた。心の問題は無視されたけど。結局親の扶養に入っているとかいう理由で成人後も金銭面を管理され続けている。金銭の動きで私の生活を妄想して「浪費しすぎ」とか「バイトしすぎ」とか叱られるのはもう慣れた。確かに自分が普通以上にお金を使った自覚があった。自覚してるのに叱られるのはかなり堪える。自分で罪深さを理解しているのに追い討ちを掛けてくる(電話やLINEを発明した人のせい!)。
苦しくて、大学でも友達に「嫌い」って言われたしバイト先でもセクハラされるし掛け持ちの方ではパワハラされてて、すべてに絶望してた時の現実逃避の一人旅も事前に親に告知しなかったために怒られた。逃げるのもダメなのか、と落ち込んだ。初めから「いつにどこへ旅行する」と打ち明けていても、お土産を渡すと「いつ行ったの?」と忘れてるくせに。心配だからと言ってるけど、勝手に私が行動するのが嫌なんだろうと思わざるを得なかった。全部自分が悪いことだと思うしかなくて、十分自分を苦しめるほど反省して、生きてるだけでとても苦しくて、四面楚歌な気がしてて味方も見えなくなってしまって、旅行途中で飛行機が墜落して死んでしまえたら楽なのにと思ったこともある。
でも旅行とかショッピングで浪費して叱られても、まともに説教を聞くと死にたくなるから念仏のように聞き流して、数ヶ月の間倹約すれば赦される。私は節約や倹約が美徳だなんて思ったことはないけれど、親は国家のプロパガンダか何かの影響を受けたのか知らないがそれを押し付けてくる。実際親は私よりも良い食事をして良い趣味をして日本中を行き来していたのに。でも、何の映画を見ても、何処へ旅行をしても、何の本を読んでも何も言われない。実家時代よりもマシだから全然よかった。
でも就職活動にも口を出してきた。彼らは、私を教育したから当然の権利だと思っているだろう。私が何に興味があるのか、もはや分かってないくせにここよりもあそこの方がって言う。心配してるフリしてるようだけど、私は操られている気分。私だって自分の未来のこと考えているつもり。頑張ってるつもり。親に認められないのは悲しい。「未来なんてどうにでもなれ」なんてまだ思ってないし色んな情報を集めて判断したつもりだったから、私の決断を支持してくれないのが不快だった。
大学の学部は法律学だった。法律学は結構好きだった。法治国家だから。権力的なものよりも正しさが大切だと思う。私にとっては自分の思う正しさが貫けているかが大事。だから、何を優先するかで私は変わらなきゃいけない。優先順位は私だけのもので、他人は理解できない。不器用なんだと思う。私の考える正しさはすぐに覆される。だから自分がどうしたらいいのか分からなくなってしまう。不適合かもしれない。分かってるように見せてるけど、ホントは何も分かってない。

他人のことばかり考えても自分は幸せになれないと思う。親のために生きるのは違う気がする。本当に私の意見を尊重してくれない。バイト先でも文句は沢山言われるけど、私の意見は求められてない。外でナンパしてくるクソったれ共も。私の声を聞けよ。やだって言っても聞いてくれない。要らないって言っても押し付けてくる。なんで質問してくるの?私に興味ないくせに。なんでこんなに図々しい奴らばっかなの?世の中。
本当に自分の存在が肯定できなくなっちゃうから、いい加減、他人の思い通りになる人間でいるだけって感じなのをやめたい。都合よくなきゃ嫌われちゃうのかなとか、考えるのもやめたい。確かに、嫌われたって構わないけど、好きな子から嫌われるのは悲しいかも。本当の私を受け入れられないってことだったら嫌われても仕方ないし、無理して人付き合いするのやめたいかも。

私の意見を聞いてくれない人たちばっかり。聞いて欲しい人に聞いてもらえない。ていうか、私の意見を聞かないくせに相手は要求ばかりしてくる。そういう人ばっかり。
今まで私の声聞いてくれたのは兄と、掛け持ちのバイト先でパワハラから唯一守ってくれてたお兄さんと、最近離れた初恋の人と、他の僅かな人たちしかいない。全員好き。好きな人の要件が私の意見を聞いてくれることなのかも。

でも、きっといつか、私の矛先にいる人たちの気持ちが分かる日が来るかもしれない。

良い感じはそれぞれ違う。僕はよく、良い感じでよろしくと言う。

V6の岡田准一氏が言ってた気がする。
いい考え方やと思う。私はまだ到達してない。

自分の伝えたいことが他人に完全には伝わらないという苦しみに悩んでしまう。
伝わらないなら伝えようとしない方が苦しまずに済んで楽だし諦められる。
でも、それじゃ誰かを守るために傷付いても、それを表面上に出せなくて無駄な損傷になっちゃうんじゃないのかな。
言っても分かってくれなさそうだったら言わなくてもいいってこと?
よく分からない。
私は何でも言えば良いと思う。
何で隠そうとするの?
例えば、拳銃自殺したのが火薬を発明した人のせいじゃないのは、刃物とか首吊り、毒物などでも自殺ができるからだとしたら、つまり自殺したい人から拳銃を奪っても意味ないってことになるけど、これは何か違う。死にたい人の目の前から道具を隠して精神病院に閉じ込めたとしても、彼の抱える問題を解決しないと意味がないと思う。
だから、隠したって解決しない。分かり合おうとしないとずっと辛いこと隠し続けなきゃいけない。

それを諦めて、各人のいい感じに委ねて我慢するのもありなのかもしれない。
人の性格の問題なのかな。
もっとうまくやれるように頑張ってみる。

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