【読了】ドラッカーとオーケストラの組織論
「ドラッカーとオーケストラの組織論」という本を読みました。
ドラッカーは、言わずと知れた、マネジメントの父。経営者。
これは、ドラッカーとオーケストラの関わりから始まり、指揮者を置くようになったオーケストラの組織図変遷や運営形態を述べ、音楽業界の未来について語られている本です。
マネジメントとしてのみの観点かと思っていたら、指揮者やセクションリーダーを据えている楽団内の演奏者同士の組織論を含む集団としての在り方にも斬り込んでいて、ページ数以上の読み応えがありました。
演奏団体の歩みを知った上で、今後自分たちが担うべき役割について考えさせられました。
なかでも印象に残ったのは
「コミュニケーションは受け手がいて初めて成り立つ」
「音(音楽)は聴き手がいて初めて成り立つ」
という主旨が、ドラッカーの言葉や、著者山岸さん自身の言葉で何度も繰り返されていたこと。
なるほど、と驚かされる定義であると同時に、私が学生の頃からずっと考えていたことと同じであったから。
大学時代、中学で教育実習をした私は、最後の研究授業には「鑑賞」を取り上げました。
※音楽の授業には器楽・合唱・音楽づくり・鑑賞があり、私の実習先では、研究授業として好きな分野を選んで良いことになっていました。
私自身、大学の教職科目のなかで鑑賞の授業が一番苦手だったから…というのもありますが、既にインターンとしてオーケストラ事務局に関わっていた私は、音楽業界を盛り上げるためには需要を増やす必要があり、そのためには聴き手を育てることが欠かせないと考えていたため、この分野を選びました。
また、自分でも気づいていなかったこともあったのですが、それは、実習期間最終日「最後の挨拶」として生徒たちに向けたスピーチの内容で自覚しました。
“音楽の授業は聴かなくてはいけません。
それは受け身なことかもしれません。
だけど、ある曲を聴いて感想を持つというのは、人の話を聴くのと同じこと。
それはすごく大事なこと。
だから、音楽の授業があります。
これからはそんなことを考えて、授業に取り組んだり、好きな音楽を聴いてみたり、してくださいね。”
というようなことを話したと思います。
緊張していたうえ、もう何年も前なのでうろ覚えですが。
音楽は情操教育に良いともてはやされ、けれどもそれが時に綺麗事に聞こえたり、具体的な成果が可視化できないために必修科目としての単位を減らされたり、その必要性と評価はなかなか不安定なもののように思います。
ここに書く私の意見も、感情的な言葉に聞こえる人もいるかもしれません。
だけど「聴き手がいないと始まらない」ことを専門的に学ぶために「耳を使う」授業というのは、音楽だけではないでしょうか。
「聴」という漢字には、心という漢字が含まれています。
ただ聞き流すのではなく、耳と心を傾ける行為に専念すること。
なかなか数値化できるスキルではありませんが、このような時間を作るというだけでも、音楽の授業時間は意義のある良い機会だと提案したいです。
さて、著者の山岸さんは、心を傾けて聴くことを本当に常に念頭に置かれていて、落合陽一氏とのコラボレーション企画「耳で聴かない音楽会」を始めとするシリーズを立ち上げ、コミュニケーションとしての音楽の在り方ーーー音を聞き流すだけではなくあらゆる五感や心を使って演奏を聴く機会を提唱し、数々の賞を受賞されています。
聴覚障がいを持っている方も音楽会という時間を楽しめるような演出や、オーケストラビギナーも足を運びやすい工夫がちりばめられています。
そしてこの企画も、やはり私自身、学生時代に五感を使って演奏会を楽しむ方法はないか、嗅覚に訴えかける形でのレポートを授業で提出しているため、とても興味を惹かれるものでした。
オーケストラというのは本当に大きな組織ですから、マネジメントしていくうえで常に様々な課題と隣り合わせになることでしょう。
また、新しい形での音楽というのにはまだ見ぬアプローチがあるでしょう。
ですが如何なるときでも、音楽の本質と、それが社会に与えうる影響というのを常に考え、私自身この業界に関わっていきたいと考えさせられました。
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