ASKA「星は何でも知っている」レビュー ~優しさと繊細さでファンを想う歌~

配信サイト Weare ASKA『星は何でも知っている』
https://weare-music.jp/_ct/17199984

「星は何でも知っている」は、デビュー39周年記念日に発売とあって、CHAGE and ASKAを思い出させる楽曲だ。メロディーラインが美しく、アコースティックギターの音色が温かい。加えて、ASKAのうねるように言葉をつないで甘く優しく響かせる歌唱は、唯一無二の芸術である。

 楽曲の構成も、これまでにはなかった独特の「AAB間奏ABC間奏A」という形で、サビと呼べる部分がない。Cメロがサビと呼べなくもないが、1番にないのでCメロと呼ぶべきだろう。ラストのAメロも、後半が初めて出てくるメロディーであり、全編を通じて異色の構成だ。

 おまけに、他の楽曲と聴き比べると、前月発売の「憲兵も王様も居ない城」との繋がりも感じとれる。
 そもそも、歌いだしの「とは言うものの」の「言う」が意味する内容は、「憲兵も王様も居ない城」で主人公が言っている内容がそっくり当てはまる。
 「憲兵も王様も居ない城」の後に続く楽曲としてふさわしく、おそらくアルバムやライブでも、この順番に並ぶのではないだろうか。

 「憲兵も王様も居ない城」と「星は何でも知っている」。
 どちらも、旧事務所から決別し、CHAGE and ASKAメインの活動を封印して、険しい道である個人活動への専念を表明した歌だ。

 ただ、違いは、「憲兵も王様も居ない城」が男性的な意気込みと力強さで決意表明した楽曲とするなら、「星は何でも知っている」は、女性的な優しさと繊細さでファンを思い慰めてくれる楽曲だ。

 つまり、「憲兵も王様も居ない城」が男性ファン向け、「星は何でも知っている」が女性ファン向けの楽曲ともとらえられる。

 「憲兵も王様も居ない城」では、自らを「王様」や「ひまわり」に例えているのに対し、「星は何でも知っている」は、「僕」という等身大の自分で描いている。
 だからこそ、リアルなASKAの実像が迫ってきて、楽曲の世界に引き込まれるのだ。

 さらに、「憲兵も王様も居ない城」では、自らを見守るものを「お日様」に例えているのに対し、「星は何でも知っている」は、「星」に例えている。
 それがサウンドにも顕著に表れていて、「憲兵も王様も居ない城」は、日中の野外活動のように猛々しく、「星は何でも知っている」は、夜景を眺めるように穏やかである。

 注目したいのは、「お日様」が太陽に限定されてしまうのに対し、「星」は無数にあることだ。
 「憲兵も王様も居ない城」は、常に自分を見守るお日様のような人がいない孤独を表現しているのに対し、「星は何でも知っている」は、無数にある星のどれかが自分の言動のそれぞれを必ず知ってくれているという共有感情を表現している。

 そう考えると、「星」は、Fellowsを例えているのだと言えなくもない。
 星のように無数にいるFellowsは、ASKAを見守っていて、1人ではASKAの言動のすべてを理解してはいないけど、ASKAの1つ1つの言動の真実をFellowsの誰かが必ず理解している。

 罪を犯し、家庭を出て、旧事務所と決別し、CHAGE and ASKAの40周年イベントもやらないASKAを、いい人ぶった世間は、悪く言うだろう。
 しかし、その1つ1つが持つ理由を、Fellowsの誰かは、必ず知ってくれていて、微笑みながらうなずいてくれる。
 そして、一緒に悲しみと苦痛を経験してくれる。

 この楽曲は、それらをまとめて表現しているからこそ、どうしようもない後ろめたさと、完全には理解してもらえないだろうという孤独と、ファンを悲しませたり、苦しませてしまうのが辛いという優しさが入り混じる。

 自らの意志を貫き通すには、悲しみと苦痛を避けて通れない。でも、人生は、悲しみと苦痛があるからこそ、喜びと楽しみがあるのだ。

 「星は何でも知っている」には、「憲兵も王様も居ない城」と同様に達観した人生観が見えながらも、極めて優しく温かく響く。
 だからこそ、この楽曲は、聴衆の心にすっと入り込んできて、体に溶け込んでいくような感覚になるのである。

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