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かつての悲しみで今誰かが救われていると思いたい

私の祖母は3年前に背骨の病気で歩くのも難しくなりました。
手術で治る病気なのですが、高齢のためリスクの方が圧倒的に大きい。
コロナの関係で、メールで祖母の状態を知りました。
病院でコロナ患者さんとほぼ毎日接してる私は県外に住む祖母のところへお見舞いに飛んでいくこともできない。
かなりショックでした。
私はずっと祖母のことを妖怪だと思っていましたし、祖母の母、曽祖母もなんなら妖怪です。
でも二人とも妖怪でもなんでもなく、ただの人間なんですよ。

祖母の話を詳しくする前に、曽祖母の話がしたい。
曽祖母は膝が悪くて水が溜まってしまいやすいので、たまに手術をしていたらしい。
年齢が離れすぎて話してても何言ってんのか全然わかんないけど、曽祖母のことが好きでした。
私の父と母方祖母の歳の差は10歳。父と母の歳の差より、父と祖母の歳の差の方が近い。
祖父は結婚大反対だったし、母方は縁を切る代わりに結婚すれば?って感じだったそう。
私が生まれたら初孫ということもあり、縁を切る話とかどっかいったし、私に対してはデレデレ。今でもデレデレ。
隣の家の祖母一家とほぼ姉妹みたいに仲のいいばあちゃんたちもデレデレ。
もちろん曽祖母もデレデレだったそう。
祖父はデレデレになるまでに5年くらいかかった。
ということなので、言ってることは全然分からんが嬉しそうに話を聞いて何か返事をしてくれる温かさが好きでした。
曽祖母はオセロが強くて、あの当時、親戚のじいちゃんばあちゃんをオセロで負かせまくってた私ですが、一回も勝てませんでした。
盤面がまだ全部埋まってないのに曽祖母の石の色に染まってることもしょっちゅうあった。
その上、祖父の家の庭で米を炊くところから餅作りをしたときに、火を消したばかりの、水をかければすごい音ともに水蒸気が上がる熱さの釜を持って、「おめぇら若いくせに軟弱……」とか言いながら外の水道で釜洗ってるんですよ。
もちろん火傷なんてしてないし、そもそも膝悪いのにクソデカ釜よく持てたな?とびっくりした。
このとき小学校中学年くらいだったんですけど、曽祖母はたぶん妖怪なんだなって思ったんですよ。結構長生きしてるし。妖怪でしょこれ。
戦争を生き抜いた人でもあるし、聞き齧った話を繋げて見る限りの人生はとても凄惨な感じがする。
そんな人生の先で穏やかに笑ってる妖怪が私は好きでした。
でも、”その日”は来てしまうんです。
曽祖母の住んでいた家が火事。曽祖母は生きていたものの、火傷の範囲が広すぎな上年齢的に皮膚の移植をしても回復しないと診断されました。
ICUで緩和ケアを受けながら、1週間後に亡くなりました。
タイミングが悪すぎた。
ちょうど曽祖母が亡くなる数日前に、最速で曽祖母や祖母の家に行くための特急が通る線路が土砂崩れで埋まってしまった。復旧までに時間がかかりすぎるので、その行路は使えない。
遠回りだけど、東京まで出てさらに東京から新幹線を使えば行ける。
社会人としてもまだ新人。この遠回りを使えば生活費も貯金も消えるし、親に借金してしばらく生活しないといけない。
それでも最後の挨拶がしたかった。
本当に亡くなったのか、この目で確認したかった。
それに対して、「遺体はやはりショッキングな見た目になってしまうし、見ない方がいい。元気な頃の姿だけ覚えててあげて」が親戚の総意でした。
本当に悲しかった。
今も悲しい。
私は何もできなかった。
親戚のことなんて押し切って、病院に行って、間に合ってなくても葬儀で、聞こえてるかわかんなくても「大好きだよ」「ありがとう」って言うだけでも何か違ったかもしれないのに。
「私は曽祖母に何もしてあげられなかった」
これが心の中でいくつも背負ってる十字架のうちの一つです。

話がなんとなく見えてきたでしょうか。
そう。今度は祖母です。
かつて祖父ががんで余命半年と診断が出てから、できるだけ自宅で過ごせるようにと、ヘルパーの資格を取って祖父を介護していました。
祖父が他界したのちは、本当に荒れてしまってどうしていいのか分からない。祖母の家に行くと祖父の話をしながら、泣きながら酎ハイを飲みまくって、あのお酒の入ってる縦長のダンボールからになるくらい飲んでるんですよ。祖父母は結構酒豪です。
私は正直どうしていいか分からなかったし、私は私で生まれてこのかたずっと姉妹として暮らしてたセントバーナードが他界して、酷めのペットロスで苦しんでいたので、転がってる空き缶を集めながら積み木みたいに積んで遊んでるくらいしかできませんでした。
そんな祖母も気がついたらなんか元気になってるし、介護ヘルパーの資格を活かして訪問ヘルパーとして働いていました。
自分より年下の方の介護いっぱいしてると、豪快に笑ってました。
自転車で走り回り介護して家事もして、庭では家庭菜園。
虫は毒性がないものは素手で退治。
出現すると阿鼻叫喚になるGも一撃で仕留めます。ちなみにこの方法は習ったのですが、結構一撃で行けます。周りからドン引きされるけど。
まあ、そんな感じで、曽祖母と同じくこの人も妖怪なんやろうなって思ってました。
勤め先の社長が変わったことによる働き方の考え方?が合わなくて85歳でヘルパーは退職したそうです。
そんな歳まで介護できる強さ、やっぱ妖怪だとしか思えない。
でも、冒頭で述べたように、人間なんですよ。妖怪だったら背骨の病気なんてならないと思う。
コロナ禍の中で職場からはそもそも県外に出るなと暗黙のお達しがあったので、母親のメールでしか状況が分からない。話を聞く限り歩くのも歩行器が必要だし、介護の認定も受けて家に手すりをつけたり、ヘルパーさんに介護してもらったり、定期的に母親が祖母のところに行って車がないと行けないところに連れて言っている状態だそうでした。
その時、私は何か祖母のためにできることはないか、と考えていました。
曽祖母の時は何もできなかった。
祖母にはまだ十分に時間がある。
歩けなくなった人は体の衰弱速度が早くなって、歩けてたらもっと長生きできたのにね、みたいな話を聞いたことがあったので、歩行器がないと歩けないなら、遠くない未来に亡くなることも視野に入れて考えていました。
県外に出ないでできること、ありました。
ちょうど病気の発症が秋だったので、年が変わって初詣。
私の地域の人は神社でなくお寺に初詣に行きます。このお寺、私が感じたことではあるんですが、健康に対して力入ってるんですよね。
目の悪い人のお守りとかあるんですよ。
と言うことで、係の人に相談してみたところ、毎月1回病気の治癒を祈祷してお札を送ってくれる方法があることを教えてもらいました。
私は行けないけれど、お札が代わりに祖母のところで支えてくれる。
神とか仏とか信じないって人もいますが、私は割と信じてる方ですし、何より闘病で頑張ってるところに孫から「少しでも元気になってくれたら嬉しいよ」って届くの、喜んでくれるんじゃないかなって思いました。
神仏の存在云々ではなく、このお札が届くことで、曽祖母の時には伝えられなかった「大好きだよ」は祖母には伝わる。
お札は無事に祖母のところに届いて、喜んでいる写真が届きました。
嬉しそうにお札掲げて笑ってました。
そしてコロナが5類になったので、祖母に会いに行ってきました。
聞いていたよりもしっかり歩いていて驚きました。
リハビリの効果が出ているようで、発症した時より楽に歩けるみたいです。
病気で背骨がかなり曲がってしまったので、この人ってこんなに小さかったっけ?とびっくりしたけど、「あんた随分背が伸びたね」と言われるの悪くないです。
今年の初詣でも昨年と同じように毎月祈祷してくれるお札セットをお願いして祖母に送りました。
先日、遅くなったけど今年もお札ありがとう嬉しいわ、と電話がきました。
会いに行った時より歩けるようになっていて、介助があれば杖をつきながらデパートで買い物もできるとか。

曽祖母の時は悲しむことしかできなかったけど、祖母には自分ができることをしています。
何もできなかった悲しみで、今祖母には後悔しない向き合い方ができてる。
自意識過剰かもしれないけど、この先どうなってしまうかも分からない病気との戦いの中で私からの応援(お札)はわずかばかりでも祖母の救いになってくれたらと思っている。

曽祖母への悲しみがなかったら、祖母への行動はなかったかもしれない。

電話で祖母はまた顔見せに来てね、と言っていた。
絶賛転職活動中なので、就職先が決まったら、イェーイ決まったぜ〜!って格好つけて遊びに行こうと思う。

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