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生きる背中を何が押すのか

IDOLiSH7というゲームの中で、
君のための強さが、僕の背中を押した。
というキャッチコピーがある。
曲の中にも、誰かのための強さが自分の背中を押した、と出てきます。
まだ前職で仕事をしていたころの話。
このフレーズが心に刺さった。
この頃はやたらと躁状態のことが多くて、睡眠時間2時間で17連勤とかしても全然嫌じゃなかった。仕事が楽しかったし、ゲームのシナリオが進んでいるから楽しかった。
先輩からは「仕事量やばいのに、他部署の人が相談に来ると笑顔で対応してるのすごいですね」って褒めてもらったことがある。
怒ることもあまりない代わりに褒めることもしない人だったので嬉しかった思い出。
あの頃は山積みになってる仕事の先に、名前も知らない、存在も知らないたくさんの患者さんがいた。病気から救われる患者さんがいた。
だから、事務職という医療行為ができない職種ができる最大限がどこかで命を救ってる。
命の尊さが私の背中を押して、私を生かしていた。
余談、部署全体で忙しかったときは、私が自分の判子とリップクリームを間違えて書類に押そうとして、「先輩、判子が押せないんです」と言い始めると全員強制帰宅の合図になってたし、17連勤のあと仕事が落ち着いたら不眠症と酷い胃炎になって療養休暇の診断が出た。1+1を聞かれて1って答えるレベルでおかしくなってた。
今思い出しても頭やばいやつになりすぎてて怖いですね。

部署が変わり、コロナという厄災が押し寄せてきた。
仕事の内容は一変したし、上司はかつて主治医から仕事を少し休ませろという診断書を握りつぶして主治医がブチギレたやばい人だ。
毎日泣いて家に帰る日々を3年間続けた。
私が本来持っている仕事はコロナ禍ではできない内容だったので、対コロナ戦線の前線の一つに送り込まれた。
いっぱい患者さんの対応したし、その中の結構な数が陽性だった。
院内にコロナが入り込まないように、外でひたすら患者対応をしてた。
コロナの後遺症で十円ハゲがあると聞いてからは余計に感染が怖かった。
髪の毛の量が多いので、美容院ですいてもらうだけでミディアムの人がショートにした時くらいの毛量になるから、心配しなくてもいいのでは?って思うかも知らないが、母方の女性陣はハゲの家系だからセンシティブなんや。
そんな中で、辛いけど、自分は誰のために背中を押されてここ(外)に立ってるんだろう。
3年間自問自答しながら、自分を励ました。

まあ、根本の話なら、基本さんのための強さが私の背中を押すんですが。

たまに自己満足みたいな感じで背中を押されてる時もある。
職場で医学に関する雑誌を発行してて、その編集担当が退職前の大仕事だった。
論文だけでなく、随想や活動報告、色々掲載するにあたって、このドクターにはどうしても随想を書いて欲しいって人がいた。
2回くらい随想を書いていて、その話がめっちゃ面白い。医学的な話を分かりやすく書きながらも難しさがなく、それでいて疑問を投げかけてくる。テーマについて、自分なりに考えてみることが結構ある。
最後の大仕事、この先生から何としても原稿をもらう。
この時の私は自己満足のために自分で背中を押していたし、こだわりってとこだと、ADHDの特性も入ってくるのかな。
ドクターに最初いくつかテーマを持っていって依頼したときは案の定断られた。のらりくらりとかわすのを毎年見てたからわかってる。
勝負はここから。
ドクターが視界に入った瞬間、猛速歩。病院の廊下は走ってはいけないのでね。走らないギリギリの速度で先生を追いかけては随想書いてください!!を3週間くらいやった。
そしたら元々別の雑誌に掲載を考えてたけどこっちの雑誌の方が合ってる気がする、と言って原稿が送られてきた。
とても嬉しかったし、内容も面白かった。
その日の仕事は珍しく泣かずに家まで帰って来れたなぁ。
退職当日、挨拶に行ったら、「あなたが担当でなかったら書いていなかった」と言われた。
熱意が人の心を動かしたってこういうことかな。

いろんな時期に、いろんな何かのための強さが私の背中を押して生きてきたし、これからも生きていくんだと思う。
次は誰のための強さで生きていくんだろう。
今はまだはっきり見えて来ない曖昧なビジョンが、いつか明確になって、きっと誰かのための強さを見つけるんだろう。
にいくつもの誰かのためがあって、それが全て背中を押し切ってくれたあと、基本さんのための強さが、私の背中を押すのだろう。
それが、喜劇的であろうと、悲劇的であろうと、悲惨でも凄惨でも私たちは押された方向へ歩いていく。
そんな人生なんじゃないかな、とふと思った。


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