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3つ子の魂100まで❤️

今日は、私の生育歴について書いていきます。
生育歴は、人格形成にかなり影響を及ぼすのではないかという、個人的見解です。

私は、中卒の両親、経済的に苦しい家庭に生まれました。
私が生まれる前、経済的に厳しく、
1人目の妊娠時、堕胎したそうです。

両親は、自分達が苦労してきた分
1人娘の私には、そんな思いをさせないようにと一生懸命だったようです。

特に、母は気丈な人です。
有言実行、倹約家、働き者、責任感の塊。正義感の塊。

一方、父は天真爛漫、明るく優しい人です。家計や教育など、人生の大切な決断は母に任せっきりで、ただただ真面目に働いてきた人です。

低学歴で、稼ぐには、大変な苦労もあったと、今は理解できます。

母は、1年365日ほぼ働いてました。建設現場で埃まみれになりながら、現場の片付けなどの仕事、その他の仕事もしていたようです。

父は、船荷を下ろす仕事を3交代勤務でずっと定年までしてきました。

そんな中、私が生まれた訳です。
私は、生後3カ月から、様々な人に
母がお金を支払い預けられました。

ものごころがついてからの記憶しかありませんが、小学2年生で鍵っ子になるまでの体験が私の人格形成にかなりの影響を与えたのは、紛れもない事実だと思ってます。

鍵っ子になった時、やっと素の自分でいられると、安堵と喜びを感じたのを今でも鮮明に覚えています。

数えきれないほどまではいかなくても、かなりの家庭に預けられる中、
子供の心を傷つけるような発言をする大人もいて、でも、そこにいなくてはいけないので、気にいられるように、ひょうきんな言動で可愛いがられるように、自己防衛していました。
常に、人の顔色を見て、空気をよんで、愛嬌をふるまいていました。

やっと、母の仕事が終わり、家に帰ると、今度は厳しい母の躾けが待ってました。
たとえば、

近くの駄菓子屋で、アイスクリームを食べている子を見ただけで、羨ましがるような卑しい目で見るなと怒られ、風呂敷に荷物をいれて担がされ傘も持たされ、家から追い出されて、玄関の前で途方にくれる。

門限を過ぎて家に帰ると
ふとん叩きで叩かれました。

母が更年期の時にも、かなり酷く当たり散らかされました。

何処かに出かけるのも、母がお金を渡して他の家族と遊園地などに行く。
私にしたら、気を使うだけで、全く楽しくなかったです。

鍵っ子になって、自分1人の時間だけが幸せでした。
土曜日、午前中学校で帰ってから、
自分で焼き飯作って、食べながら、
吉本新喜劇見るのが楽しくてしかたがなかったです。

しかし、母は手強かった。
自分達が学歴がないから、私に学歴をつけさせようと、
ある日突然、そろばん🧮教室、フランス語教室、書道教室、塾にと連れて行かれ、私の自由な時間は、また奪われるのです。

私の全てを管理し、自分の価値観を押し付けてくる母。
その価値観の押し付けは、緩和されたものの、今もなお続いており、呪縛に苦しんでおります。

こんな生育歴を持つ私は、ある程度の学歴を得て、自分がピエロになることで、コミュニケーション上手になり、沢山の人を笑わせて、学校でも
職場でも、盛り上げ役でした。

他人に好かれようと、人間関係も仕事も完璧主義になりました。

そうすると、否定に弱くなってしまうのです。中には、一生懸命な姿を疎ましく思う人もいます。
入社して間もないのに、社長に認められ、大きな仕事を任せられると、気に食わない先輩が嫌がらせをしてきたりもありました。

そんな中、母の干渉も続いており、給料も全て管理されてました。

仕事の責任、先輩の妬み、嫌がらせ
母との関係で、心が悲鳴をあげて、過食をきっかけに摂食障害になり、それでも誰にも弱い自分を見せられず、
幽体離脱するようになり、マズイ、と思い、自分で病院へ行きました。
即、入院となりました。
入社して3年目のことでした。
続きはまたの機会に。

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