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小さなパラダイムシフト

亡き父は昔、母の事を「おい」とか「おまえ」と呼んでいた。子供の頃の僕にとってそれはとても当たり前のことだった。
ところが、僕が高校生で、父、母、僕の三人でオーストラリアで暮らしてた頃、世の中から見ればとても小さな、でも僕にとってはとてつもなく大きな変化が訪れた(姉は大学に通うため日本に残っていた)。

父が母の事を「おい」や「おまえ」ではなく、「母さん」でもなく、「〇〇さん」と名前で、しかも「さん」をしっかり付けて呼ぶようになったのだ。

父と母の間にその時何があったのか知らないし、聞かないことにしている。ただ、その変化はよそよそしさなどではなく、明らかに父が母に対する敬意を「言葉にして」示すようになったものだった。

この記憶は、年を重ねるごとに僕の中で重みのあるものになっていった。人に対する敬意は言葉にして伝えること(全然できていないけど)。それから、自分に与えられた「社会的既得権」に甘んじないこと。

父は日本の「男性伴侶=主人」という文化で育った。その社会的既得権を甘んじて受け入れて、母を蔑まないまでも敢えて敬意を言葉にはしない、ということもあり得たと思う。

オーストラリアは男女平等の社会だ、とは言えない。オーストラリアの社会はとても複雑で、多様性に揉まれた先進的な価値観と、古くから残る男尊女卑の文化の名残が混ざりあう事なく存在している。
それでも、日本に帰って来たとき、僕には洪水のようにそれまで持っていなかった「社会的既得権」が流れ込んで来た。日本では仕事を持ち続ける上で、男性である事はものすごく大きなアドバンテージになる。
多分、父が示した母への敬意、その小さなパラダイムシフトが記憶に根付いてなければ、僕はこの「社会的既得権」をすんなり自分のものとして受け入れてしまっている思う。

この小さなパラダイムシフトは、父が僕に与えてくれた最も大きな遺産だと思っている。

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