見出し画像

[妄想] 意識について

コンピューターがクロックサイクルによって動くように、意識にもクロックサイクルがあるのかな、とよく妄想します。意識のフレームレートと勝手に呼んでいるのですが。

意識がある種の演算処理なら完全に連続した処理であるより、繰り返される断続的な処理である方が仕組みとして納得感があると思うんです。
メモリを読み、演算し、結果をメモリに保存する、が延々と繰り返されるという、情報工学でおなじみの流れです。

そうだとすると、コンピューターのクロック信号の合間に処理が無い状態があるように、意識もフレームとフレームの間は意識がない状態なのかなと思います。

つまり、今の瞬間の僕は1つ前のフレームの僕がメモリに入れた記憶を取り出して受け継いでいるだけ。今のフレームの僕と1つ前のフレームの僕は基本的に別物。

僕たちの記憶はフレームの切り替えによって前の意識から次の意識に受け渡される。記憶を受け継いだ僕は自分が連続して生きている気がしているけど、記憶を渡した僕はすでに消滅している。

さらに、フレームレートが僕達に時間という概念を与えている。フレームレートに従い意識が更新されるので時間の流れを感じる。意識が宇宙から消滅すれば時間という概念もなくなり、物が「動いているかもしれないし動いていないかもしれない」という曖昧な状態が残る。

なんて事を妄想しています。(^ ^)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?