見出し画像

2021/1/24 夜

昨日は寝過ぎて腰が痛かった。ベッドが悪い。狭い部屋で生活してるので、窓際にベッドを置かざるを得ない。そうすると洗濯物を干したり窓を開けたりするたびにベッドを踏む。寝る以外に負荷をかけているのでかなり古くなっている。買い替えたい。あまりに大きな買い物なのでなかなか気が乗らない。買うことよりも処分することの方がだるい。あと寝過ぎて腰が痛いこともあんまりないのですぐどうでもよくなる。今日はもうほとんど痛くない。明日には忘れる。

腰が痛いと弟のことを思い出す。大学3年生くらいの時に元々腰を痛めがちだった弟がギックリ腰になった。私はその日水族館のバイトをしていて、休憩中に母から弟を見に行ってくれと連絡が入っていた。そんな、腰くらいで、と思いつつ遠方で来られない母のために行ってやるかとバイトが終わってから一度自宅に帰ってシャワーを浴びて寝巻きなどを詰めて結構遅い時間に弟の家に行った。

弟にもうすぐ着くよ、と連絡すると、鍵は開けといたから勝手に入れ、とのこと、適当にご飯を買って家に行くと、暗闇の中で弟がベッドの中にいた。珍しく、来てくれてよかったと素直に言った。明かりもつけられないほど痛くて動けないらしい。私も弟がそこまで大変だとは文面だけだと分からなかったので、あぁ本当に来てよかったと思った。ベッドから降りてトイレに行くのにも脂汗をかいて荒い呼吸をする弟に、しんどいなら私は気にしないからベッドにいたまま用を足してもいいんだからね、と言ったが、その後も少しだけ体を支えてやりながら弟はトイレに行った。

次の日になっても弟は動けないようだったので、私はバイトを休んで救急車を呼んで病院に付き添った。母からいつもより多めに仕送りを送ったから気にせず使えと連絡があった。痛み止めとコルセットをもらってタクシーで家に帰った。TSUTAYAに返しに行くはずが行けずに延滞料金がかかっているのが気になるとのことで、代わりに返して一度自分のアパートに戻り、その日も弟の家に泊まってご飯を作ったりした。あとはベッドにいてもご飯が食べられるようにチューブに入った補助食品を置いたりした。

結局その後何日一緒にいたのか憶えていないが、あの日を思い出すと、大切な人が苦しんでたら何もできなくて良いから自分の納得のためにも絶対にそばにいてあげたいと思う。暗闇にいたことは本人からすると当然の成り行きかもしれないが、私はなんでバイトを早退けしてもっと早く明かりをつけてあげられなかったんだろうかと自分を責めた。

この年末年始、万全の予防を2週間してから1年ぶりに実家に帰った。晩ごはんのとき健康の話になり、弟が腰の痛み止め=座薬の話をした。「尻に入れて少し押し込むと吸い込まれる」とのことで、めちゃくちゃ笑った。尻の抵抗ないんかい。私や母がどれだけびっくりして心配しても、当の本人はその様子なのだからまぁ笑い話になって良かったと思う。人の痛みは自分が痛いのよりずっと痛い、そういうものだ。

父ちゃんがまもなく誕生日だ。帰省した時に母ちゃんが、来年は還暦かつ退職だからみんなで旅行とかしたいね、と言っていた。ついに父もそんな年齢になったか〜母もその翌年には還暦だ。自分の親の年齢を意識するようになったのが40歳前半くらいなので、それくらいから記憶が止まっている。今回の帰省では、最近親の顔見てないなと思って目に焼き付けたのだが、記憶よりだいぶ老けていた。心の中でどんなに体が衰えても愛しているからねとは思ったが、体感であまり変わってないということはまだまだ若々しい方なんだろう。職場の部長クラスがちょうど両親の世代だが、彼らもまた私のような世代の子どもがいると思うと不思議だ。

ここ1、2年は兄弟で連絡を取って両親にプレゼントを贈っている。そのため今も検討中だ。とはいえ、年に数回しか会わないので何がほしいか分からない。酒も飲まないし欲しいものは自分で買ってるし日常一緒にいたら分かるであろう変化に気づけないのが申し訳ないなと思う。これはもう仕方ないことで、数年前には自分の中で整理したことだが、やはり時折さみしくさせてるかもしれないと思うとやりきれなくなる。プレゼントする時は、自分で買わないがもらったら嬉しい何かをあげたいものだ。

この一年はなんだか例年より家族との連絡が多い。私もこまめに連絡するようになった。良いことだ。家族が仲が良いと嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?