2021/1/25 深夜
昼からBTSのライブ上映会をカラオケ屋で行い3本も見た。すっかり疲れたので今日はnoteも更新せず早く寝られるものだと思っていたのだけど、色々と(都合の)悪いことばかり思いめぐらすうちに眠れなくなった。表現したいという悪しき欲求がだだもれになってしまったので、悶々としているうちにそういえば昔の私は何を書いていただろうかと大学自体の文章を引っ張り出してより根深い恥を感じた。
とはいえ私という人間が地続きなのだけあってたまに今の私にも響くいいこと書いているなというのもあり少し安心した。
大学2、3年あたりに近代文学の演習でプロレタリア文学作家の中条(宮本)百合子の「冬を越す蕾」(昭和8年)という評論を扱う機会があった。これにより多少プロレタリア文学とは何ぞやということに触れることができたのだが、当時の私のレジュメをかいつまむと、昭和7年から治安維持法による文化団体の取り締まりが強くなり、昭和8年に小林多喜二が拷問死している。そうした厳しい時代の中、プロレタリア文学作家が次々と転向する状況について注意深く記されたのが「冬を越す蕾」ということらしい。
で、この評論について分からないなりに表面をさらっていった結果、次のような百合子の文章に出会った。
彼等(チェホフ、ウェルサーエフ、カロッサ)はいずれもそれぞれの時代、それぞれの形で、人間は不合理と紛乱と絶望の頁を経験したが、それでも猶、窮屈に人間は絶望しきらず、非合理になりきらず、人生は謙遜に愛すべきものであることを物語っている作家たちだ。……自然と人間のいきさつをときあかす科学が、彼等の魂の砦であった。狂乱やこじつけを自然はいつもうけつけない。黙ってしっかりそれを食いつくし、正しい秩序に返して再現する。その威力の美しさ、無限の鼓舞がそこにある。
世代から世代へ渡る橋桁は人間のその心の光で目釘をうたれ鏤(ちりば)められていることを、彼等は遂に見失わなかったのだ。
昭和18年、拘置所で熱射病により死の境をさまよった百合子が、ほとんど目が見えなくなった状態で書きつけた原稿とのこと(中村智子『宮本百合子』筑摩書房)。「冬を越す蕾」の10年後になっても百合子は投獄されてなおこのような文章を書いたのだからすごい。これに対して大学生の私は次のように書いていた。
「今がいつか終わる」ことをはっきり意識しながら今を闘っていたのが百合子の鋭いところであろう。今はいつか終わる。もっと言うならば、今はいつか終わらせられる。「冬を越す蕾」において裏切った同志を励ます百合子のメンタリティはそこに見出すことができよう。国のためや、思想のため以前に、何より、生きている人の今のために百合子は闘ったのではないだろうか。
演習なのにずいぶんロマンチックなことを書いていてこれもまた恥ずかしい限りだが、「今がいつか終わる」というのは、いい言葉だなと思った。いつも胸に抱いていたいものだ。過去の自分に救われることもある。
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