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2021/1/22 深夜

全部忘れちゃうのが怖いから全部思い出せるようなものがほしい。でも全部記録することってできない。人との連絡、紙へのメモ、SNSのいいね、業者への電話、今日買ったもの、聴いた音楽、思い出したこと、シャワーを浴びるまでにダラダラした時間、そんなあれこれをいつかすべて記録できるようになってほしいような気もするし、忘れてしまえるからこんなに愛しいのかもしれないとも思う。

TwitterをメインにSNSを使っていると、自分のツイートといいねとブックマークでほんの少し記録ができる。でもあの時見たやつなんだっけ…というぼんやりした記憶ではほとんど掘り出せたことがない。別の方法で記録するならnoteかな、と思ったが、結局noteに何を残しておくかも分からなくなって、Twitterでたくさん呟いてるからもう言いたいことないかも、とも思い、それから半年経った。

最近はもっぱら映画を見るか、漫画を読むか、BTSを見るかしかしていない。つまらなくはないが、最高に楽しいってなんだっけな?とは思う。人と話す機会があっても上手くいかなかったなと後悔することが多くて、会話の後、あ〜…となることが増えた。知らない人と話すときに多少盛った自分であの手この手でこの人に好かれてみようとするのは、好きな服にしっかりメイクで一人出かける時くらい、自分の良い部分を見つけて満足できる行為だったのかもしれない。

いまとてもさみしい。季節によるものなのか、友人と会えないからか、あるいは恋人に準ずるものが欲しいからなのかは分からない。目的のないさみしさを陳腐に感じて耐えられない。仮にこれが季節によるものなら晴れても曇っててもどうでもいい生活をしているのに身体だけが敏感に反応しているということなので殊勝だなと思う。

あーあ、さみしいな〜

みかんが美味しい。みかんを食べている時は、みかんが美味しいな〜嬉しいな〜としか思わない。季節のフルーツを食べる時はおおよそそういう感じかもしれない。去年は食べることくらいしか楽しみがなかったのでフルーツをたくさん食べたが、結局みかんが一番食べやすさと一回の食べきりの量がちょうど良い。みかんを食べると、芥川龍之介の蜜柑を思い出すことがあるが、いつも、太宰治だっけな?と思う。そんなことを考えて読み返してたら偶然ぴったりな一文があった。
「私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。」

結局Twitterみたいな使い方してるな?私も毎日日記書こうかな。最近みんなやってない?めんどくさがりだしツイートするのが楽すぎてなかなか長文を書きたくならない。あと私にも夜のテンションで書いてしまって恥ずかしいとかいう感情があるので、とりあえず書き出しておいて後で消すというのはTwitter同様あるかもしれない。
とはいえTwitterではあまりポエムは書かないようにしてる(無限にできてしまうから)のもあって、あんまり誰かに吐き出しておきたい気持ちが吐き出せてないような気もする。紙の日記も書いていたけど続かなかった。代わりと言ってはなんだがものは試しに眠れなくて悲しくなった記念でnoteに書いてみた。自分の書く文章が好きだ。だから好きな自分を少しでも残せたらいいなと思う。

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